リベンジ葛川越え


荒廃砂防ダム



2010、4、3(土) 曇りのち雪 小てつさん、ikomochi

コース:
大谷川林道〜荒川峠道取付き9:00 〜大岩谷分岐9:20 〜大岩谷川原9:35 〜レスキューポイント@ 10:30〜レスキューポイントA 10:55〜葛川越え11:15 〜昼食(11:30=11:45)〜烏谷山12:00〜荒川峠12:40〜水場(13:45=14:00)〜荒川峠取付き14:30〜大谷川林道








 あわやの山行から1年半、先輩諸氏から 葛川越えには単独で行かないように・・と重々の注意。さすがのわたしも言いつけを守り一人では行かないが、なかなか同行者を見つけることができぬまま日が経った。そんなある日、常日頃 「比良なんか登らへんわ」ご宗旨の小てつさんが、どうしたことか「『葛川越え』やったら行ってもいいなあ」 と言うではないか。やったぁ このチャンスを逃すものか と、いそいそと地図の準備をするわたし。で、山上での様子は小てつさんがオモシロおかしく書いてくれたので割愛するとして、葛川越えの古道をリベンジしてみました。

大岩谷砂防ダム 分岐を大岩谷へ

 毎度の稲妻号で荒川の林道を登り、荒川峠道の取付きをさらに過ぎて、あの幻の林道を探しに行く。荒れた林道の先に橋が現れ、ありました堰堤が。これやなあ 行く手を阻んだのは。コンクリートの擁壁に貼ってあるプレートを読むと「大谷川大岩谷荒廃砂防ダム主堤高さ20m幅40.5m副堤高さ9・5m竣工昭和59年」の2段式ダムとある。

 大きなダムだ。2段構えになっているので、木々に阻まれ林道も橋も見えなくて当たり前だ。橋の先の林道は、崩落した大岩に覆われて車では進めない。徒歩で橋を渡り様子を見に行くと、堰の右岸に踏み跡があった。こちら側から脱出できたのかもしれないが、いずれにしても両岸は谷に落ち込む急傾斜。このダムは地形図に記載がないので、用心に越したことはなかろう。

 荒川峠道の入り口に稲妻号を停め、山道を登る。15分ほど行った分岐を左にとる。この道は、以前は枝が置いてあり進入しないようにのマークもあったけれど、すっかりきれいになっている。川に沿ってユリ道を進むと、轟々と水音が聞こえる。途中あの時必死の思いでよじ登ってきた山道や大岩も確認したので、ここを通ったんやなと合点しながら歩く。

山道から川原へ 古道を探す

 道は川と平行になり、最後は木の枝につかまって川原に下りた。古いテープなどがあった。左岸にある山道の取り付き部は崩れて不鮮明で、テープを見つけられなければ、ぱっと見では薄暗い木立の中にある山道は分からないかもしれない。やっぱりなあ。ここらが怪しいなと藪を掻き分けて探したほんの先に、山道の取り付きはあった。焦らず、冷静になって丁寧に探せばよかった。と同時に、こういった谷は上りよりも下りのほうが道探しは難しいと改めて分かった。初めて歩くときは、取り付きの道のはっきりしたほうから手をつけるべし です。

 目の前に、怪しいザックのあった川原が広がる。対岸の右岸斜面にトラロープが下がり、赤テープがたくさんある。前回は、このトラロープを登って怖い目にあった人の記録を読んでいたので、この先は危険だろうと調べなかったのだが、テープを見によじ登ってみると、なあんだ。上部のほうにはっきりと踏み跡が続き、さらに古道が川上に延びていた。(記録の主は多分岩登り場に入り込み、尾根伝いに中ユリに出たと思われる。)坊村と大物(小てつさんによると、「だいぶつ」と読むそうだ。「おおもの」とずっと信じていた)とを結んだかつての峠道は廃道になっていず、川岸をトラバースしながら緩やかに続いている。

対岸のテープを上る 川岸を巻く古道

 以前苦労しながら下ってきた大岩谷の流れを見下ろしながら、途中途切れ途切れの古道をひたすらたどる。崩落地があるのでいったん川原へ下り、大岩に書かれた赤ペンキの→に従って道は右手へと移動。なるほど、この岸の踏み跡はこういうことだったのかと、以前の記憶がよみがえる。

 道は谷を横切り、岩の斜面をよじ登ると、川が左右に分岐しているのがわかる。この分岐の右俣奥が天狗岩なのだろう。天狗岩は、かつての石切り場跡なのだそうだ。潅木の茂るちょっとした広場を越えていく。黄色いレスキュー標識が目を引く。へえ こんなところにレスキューポイントがあるんや? 新しそうなテープの類もやたら多くて、コースがあちこちあり どこを歩けばいいんや と迷ってしまうほど。えらいにぎにぎしいなあ。

矢印に沿って対岸に渡る レスキューポイント@

 またいったん谷に降り、大岩の間をよじ登るとまた分岐。川が二股に分岐しているので、その真ん中の岩場をテープに沿ってよじ登る。左右が大きく落ち込んだ広い中州のような歩きやすい道になる。こんな道 以前はまったく分からなかった。谷芯の岩場を歩くのとはえらい違い、歩きやすい。危なくない。下から登ってみてよかったなあ。

潅木の道を進む レスキューポイントA

 そろそろ中ユリの取り付き付近に近いが。左股の大きな岩に赤ペンキで→があるが どうも中ユリの取り付きではないなあ。目印の倒木も分からないしと左手の谷を見おろしながらきょろきょろしていると、小てつさんが「中ユリはいいじゃないですか、 こっちへ行きましょ」というので、潅木の間を分けて登っていくと、いきなり急斜面の下に出た。尾根が近く、谷間がはるか足元に広がる。炭焼き窯の跡がある。レスキューポイントもある。えっつ もしかしたらもう葛川越えなん? えらい早いこと着いたなあ。イン谷に似た斜面の草むらの中をジグザグ登っていくと、深くえぐれた尾根道に出た。

葛川越え 直下 雪の葛川越え

 先ほどから冷たいものが落ちていたが 本格的な雪になり、一気に冷気が押し寄せてくる。身体中が急速に冷え、あわてて着込んだ防寒着も手袋や帽子も役にたたない。西側の谷から吹き上げてくる風と舞う雪で体温が奪われるので、吹きさらしの尾根道を急いで歩き、やっと烏谷山の麓の斜面に場所を見つけて、早めの昼食とした。そのときの顛末は、『小てつのよもやま話bV9号』をお読みください。

昼食準備 烏谷山頂

 おじさんが一人、突然の雪に震えながら急ぎ足で烏谷山に向かっていった。山中で会ったのはこの方だけ。時間は早かったが、今日はさっさと帰ろうやと烏谷山から荒川峠経由で下山した。身体が冷えて疲れ、植林地の単調な下りがとても遠く感じられた。やっとたどり着いた水場で湧き水を沸かし、小てつさんのお抹茶を頂き、やっと息を吹き返し・・・・・荒川峠道取り付きについたら、下界はぽかぽかと陽が射し、山頂の冬景色はなんだったの?と狐につままれたようだった。

水場 水場でお茶席

 okaokaさんによると、2009年5月葛川越えの詳しい記録を発表されて以来、葛川越えを歩く人が増加、レスキューポイント2箇所も設置されたのだそうだ。記録の発表も増え、整備している方もいるらしい。

 古道はところどころ崩落しているものの、川岸を高巻きながら健在です。踏み跡やテープも明確で、地形図を読みながら注意して歩けば、かつての葛川越えの道を楽しむことができます。今回は冬枯れで、道型を見つけやすかったので、あっけないほど楽に峠にたどり着くことができた。

 前回はデポのザックにおびえ 道迷いするとはいかんと、気合を入れなおしました。山ではいろんなことに出くわします。ましてや藪こぎ、獣道に惹かれる者としては、少々のことで動揺していては わが身を守れない。昨年は遭難者を発見し、その方がなぜ遭難したのか検証しに小てつさんと歩きました。団体で歩いておられたのに、なにげない場所が発端で谷に迷い込まれたようです。捜索隊もまさかと、そちら方面は探さなかった。不運が重なってしまった。誰にでも起こりうると、一層身が引き締まりました。今回のリベンジで過去の失敗を検証できて、よかったです。

 やっと長年の宿題がひとつ解決しました、小てつさん お付き合いありがとう。いつも重たい茶店セット担いできてくれてありがとう。比良もおもろいやろ。また他の道も探検しましょうね。

葛川越えのコースは 2009.5.23及び2010.5.22のokaokaさんの記録を参照して、くれぐれも注意して歩いてください。      

                             (2010.8.23記)



                          【記: Ikomochi】






名残のいわうちわ