葛川越(大岩谷)の旧道探索


昔は荷車が通ったとのこと。
なら、河道部分を通るはずがない、
別に道があるはずと考えた。



     2010.10.11(月祝)         長岡山人




 ネット情報で見る葛川越の記録は、かなり河道部分を歩くことになっている。しかし、昭文社のエアリアマップの解説記事では、昔は荷車が通ったとのこと。なら、河道部分を通るはずがない、別に道があるはずと考えた。

 荒川峠登山口から荒川峠への道に入り、高度470m付近で大岩谷への道を進む。平坦な良い道だ。途中1箇所、谷を渡る手前で、道が崩壊しかかっているところがあるが、ロープが張ってあるので補助に使いながら通り抜ける。

荒川峠登山口から荒川峠への道に 高度470m付近で大岩谷への道を進む

 道は、大岩谷に下り、川を渡る。通常時には難なく渡れるが、大雨のあとは注意が必要だろう。この川に降りる地点、登りの時は問題ないが、下ってくるときはその地点の発見に注意が必要だ。左岸の木にテープが巻いてあるが、河道から思い切ってぐっと登る感じなので、見逃してしまうらしい。このまま川に沿って下っても道はないので、その瞬間におかしいと気が付かなければならないのだが。

 さて、川を渡り、河原を10mほど遡ると、左手上方に踏み跡が登っている。本来の葛川越の登り口は、川に沿って付いていたようだが、現在では侵食で失われている。そこで左手の踏み跡を20mほど登る。行く手にはトラロープが張られており、右に進むよう矢印がある。その案内に従い、右に進むと、大岩谷に乗り越す感じで谷側に入る。すると古道が現れる。

行く手にはトラロープが張られており
右に進むよう矢印がある
この部分だけ歩きやすい

 登るにつれ、これぞ歴史ある葛川越そのものという感じになる。この部分だけ歩きやすい。しばらく進むと、道は侵食され、崖になっている。しかしステップが切られ、左側にはロープも張られており、注意が必要だが何とか通り抜けられる。そういう場所が2箇所連続する。そうして、道は川に降りていく。

 さてここからである。ここまではネット情報にあるとおりである。ネット情報は、ここから川の中を遡るとある。上流には、大きな岩に矢印も表示されている。よほど大雨の後でない限り、簡単に登れる。

 しかし僕の疑問だが、この川の中を荷車が登ったはずはない。古道は左岸に渡っているはず。左岸は侵食され、崖になっている。大きな木が2本、崖に横たわっている地点である。よく崖を見ると、かすかにステップを切って、斜めに登った跡がある。誰でも登れるものではないが、靴のサイドエッジを効かせて足を踏ん張り、力に任せて登る。登りつくと、おお、古道が現れる。草木が繁っているが、荷車が通れる幅の道だ。

大きな木が2本、崖に横たわっ
ている地点である左岸登り口
まさしく、ここは右岸の古道から
大岩谷へ下りて行くポイントでした
「okaokaclub撮影」

 登っていくと、突然行き止まりになる感じだが、右上を見ると道が続いている。そして左に折り返して進んでいく。荷車が登れるよう、「Z」状に道が切ってあり、上っていくようになっている。道には低木が生えこみ、道の真ん中に杉が生えていたり、ちょっと戸惑うところもあるが、道は発見でき、進んでいける。左下の谷には、大岩の矢印表示に続いて、左右両俣の中尾根を登っていく地点が見える。

 古道は谷より20mは上であろうか。その先に、小さく崩壊しているところがある。その次には、大きく崩壊しているところが。枯谷に岩がなだれている。この谷は、先に書いた両俣の右俣上部にあたる。道はその地点で途切れているが、枯谷を向こうに渡る踏み跡がある。それに従って向こうに渡ると、再び古道が現れる。

左下の谷には、大岩の矢印表示に続いて
左右両俣の中尾根を登っていく地点が見える
その平地に降りてみる。広い。
かって建物があったような場所だ

 古道は当然上へと続くが、この地点で斜め下に降りる道がある。斜め下を覗くと平地がある。その平地は、先ほどの東西両俣の中尾根を登ってきた地点である。その平地に降りてみる。広い。かって建物があったような場所だ。ここが葛川越と中ユリとの分岐である。荷物の中継積み下ろしや休憩に使われたのであろう。

川の中の岩には、矢印に×印が書かれており、
進入不可と読める。
大きな岩に矢印と「キュウドウ」(旧道)
と書かれている

 さらに左手の対岸を見ると、木に矢印が書かれている。川の中の岩には、矢印に×印が書かれており、進入不可と読める。さらに川底にまで降りてみると、大きな岩に矢印と「キュウドウ」(旧道)と書かれている。かっては、ここから中ユリが始まっていたのだが、河道の侵食で渡れなくなっているのだ。しかし気をつけて足場を探しながら進むと、なんとか矢印の書かれた木のある地点まで渡れる。一般登山路にはならないが。その木のある地点から左に進んでいくと、崩壊した斜面に出会う。そこには何とか歩けるステップが刻まれているので、慎重に渡る。そこを渡れば、中ユリの堂々とした古道が始まる。

中ユリ分岐からしばらく登ると
炭焼き窯の跡があり
「レスキューポイント葛川越え1」の表示板がある

 さて、元に戻って、葛川越を再び登る。中ユリ分岐からしばらく登ると、炭焼き窯の跡があり、「レスキューポイント葛川越え1」の表示板がある。ここまで表示板が置かれるということは、結構な登山者があるということだ。

 そこから20mほど登った地点に、右斜め後ろに上っていく道がある。よほど気をつけなければわからないが、太い道である。一度は、これが葛川越旧道かと考えたが、しばらく上で岩なだれのような場所に突き当たりストップする。どうもかっての石切り場であったようだ。その搬出路だったようだ。

 先ほどの地点からさらに上に進む。すぐ、谷に出会う。ここも左右両俣に分かれている。テープは左俣に付けられている。ネット情報は、ここから川の中を上っていくと書かれている。しかしここで川に降りず、右斜め上を良く見る。一見わからないが、良く見ると、古道が右上に切り返して伸びている。結構生え込みがあってわかりにくいが、歩くと古道とわかる。

 しばらく進むと崩壊している枯谷を渡る。この枯谷が先ほどの両俣の右俣上部である。このあたりから道が怪しくなってくる。崩壊が激しく、道幅が狭くなる。初めてだとわかりにくいが、道跡らしきところをなぞって上がっていく。炭焼き窯のあとに出会う。この辺、旧道がたまに出てくる感じで、かろうじて古道の跡とわかる。左側には枯谷があり、時々赤テープが巻かれている。これがネット情報にある河道直登路である。上部ではこんな近くを隣りあわせで登っているのだが、河道からはわからない。

「レスキューポイント葛川越え2」の表示板がある 展望が開け、琵琶湖が良く見える

 約810m地点で、古道は白い大きな岩に突き当たり、進退に窮する。岩の裏に回りこむと、左に水色のヒモテープがある。それを目印に、突起を乗り越える。すると眼前に再び立派な古道が現れる。(この部分、大きな岩の手前を左に乗り越えていってもほぼ同じ場所に出られる。)その眼下の木には、レスキューポイント葛川越え2の表示板が巻かれている。展望が開け、琵琶湖が良く見える。

20分ほどで葛川越の峠にたどり着く 葛川越の峠

 ここから上は、ネット情報でおなじみなので略する。古道はジグザグに切られ、峠直下の急斜面を登っていく。ときどき崩壊しているところもあるが、ほぼ古道をたどれる。10年前は、もっと根曲がり竹が生え込んでいて歩きにくかったが、今はほとんど枯れ、歩きやすい。どちらが良かったのか。20分ほどで葛川越の峠にたどり着く。