小てつのよも山話(NO.90)
道楽遊びはやめられぬ


「道を楽しむ」で、「道楽」となるんであって



2011年4月19日(火)            小てつ








 よもやま話も、89話。番外編が11話。あわせて100話も、よくくだら
ん話を書いてきたなぁと感心しきり・・・。


 小てつが中学時代の音楽の先生に、「音を楽しむと書いて音楽と言うの。」と
聞いた。でも、その後すぐに、「でも、先生の学生時代には、音で苦しむで、音
が苦って言ってたわ。」
肝心の授業内容はサッパリ覚えていないのに、こういう脱線話はいつまでたっ
ても覚えている。世の教師先生たちは、もっともっと脱線話に重きを置くべき
であると思う。

 全くの余談となるが、この春、小てつの超恩師が定年退職された。超恩師と
はもちろんただならぬ御恩を受けたということからなのだが、小てつにしても、
「手のかかる子ほどかわいい。」という言葉が本当なら、それはそれはかわいい
生徒であったと思う。超恩師の奥方が、なぜか「小てつのよもやま話」を読ん
でくださっているので、この場を借りて、

'先生、長い間御苦労様でした。一生懸命に生徒のことを考え、傍らについて
くださいました。ただ、退職されたとはいえ、小てつたちは、ずっと先生の
教え子ですので、これからもよろしく御指導願います。'


 話は最初に戻って、まあそうなれば、「道を楽しむ」で、「道楽」となるんで
あって、誠に言い当てていると思う節も思いあったりする。

 北山の低山歩きは1000m以下の山歩き、奥地に行ってもアプローチ地自
体の標高が高いので、せいぜい500mほどの高低差を楽しむものとなる。
もちろん日帰りが当たり前で、小てつの場合なんて、7時ちょっと過ぎに自宅
を出て、5時頃には帰っているので、「サラリーマン登山」と呼んでいるくらい
だ。

 低山であるからこその多種な草木をながめ、それなりの眺望もあるし、何よ
りも帰りにひと風呂あびて、家に帰って即ビール、なんてのは遠くに行っちゃ
できない。

 小てつはそれで丁度いい。遠いところの高い山にも興味がないし、四国八十
八ヶ所や、いろんな国にある巡礼道を何日もかけて歩くのも、また面白いかも
しれないけれど・・・。

日野のK氏のお言葉、

「道は、楽しむ程度にしときや。極めようとしたらあかんで〜。
 極めたら「極道」になるんやしな。」

という話


                        【 記: 小てつ 】