小てつのよも山話(NO.92)
小てつに言わせて

最近度々JOEさんと花探索に通っているからだ


2011年6月10日(金)            小てつ







またしばらくの間、穴が開いている「よもやま話」に紀行文。小てつのバカは
またぞろどこか怪我でもしたか?と思うなかれ、変わらず足しげく山に通って
おります。

山へ行っているのに「よもやま話」も「紀行文」もないのは他でもない、最近
度々JOEさんと花探索に通っているからだ。JOEさんにしてみれば電車、バス
ではアプローチのしにくい場所の探索、小てつにしてみれば珍しい花を教えて
もらえるという利害の一致があり、御一緒している。

したがって、軌跡も紀行も掲載するわけにはいかず、しばらくの穴開けとなっ
ている。

・そんなケチくさいこと言わんと紹介しろ
・花抜きで書けばいいじゃないか

多々意見はあるでしょうが、こればっかりは紹介する訳にはいかない。少なく
なってきたとは言え、京都北山には、珍しい花が今でもか細く残っている。
本当に不思議に思うが、全国的に珍しいとされている花があったりで驚きだ。
(JOEさんと一緒じゃないとわからなかった・・・ははは)
花抜きの紀行文でも、詳しいかたにならピンとくるだろうし。


そのような中、やはり'困ったチャン'はいるもんで、何度注意をされてもネ
ットに出してしまいよるのがいるんですねぇ。いったいどういうつもりなんで
しょう?

去年、とあるHPに「山の恵み」の写真と軌跡を、それこそドカーンと出して
いた御仁がおられて、丁重に御意見し表題だけ訂正していただいたのだが、そ
の時の御仁のお言葉は

・アクセス数も少ないので世間にあたえる影響はない
・山に勝手に出ているのだから・・・

というものだった。そんなことは全く筋違いもいいところで、誰が見るかわか
らないネットの世界で、どんな言い訳があるんだろうか?案の定、掲載された
場所では去年、「山の恵み」は残らず先取りされていた。

「山の恵み」ならいざ知らず、花となったらもっと困ったことになる。小てつ
は何度も繰り返すけど、山登り関係のHPやブログを見ているのは「山屋さん」
だけではない。「花屋さん」も見ているのだ。

この「花屋さん」、少し誤解があるかも知れないので解説すると、「町の花屋さ
ん」とはちと違い、山野草専門の者がいるようなのだ。トラックで来て株ごと
堀起こしていく者もいれば、花だけ摘んでいく者もいるようだ。
「花だけ摘んでいってどないするん?」
茶の席や会席の飾りに季節の花を添えるためだそうだ。以前、結構名前の通っ
た料亭の板前が、山の草木を常採していて検挙されていた。直に採らないにし
て薄々出所はわかっていても、業者から「栽培」と言われれば、購入者に罪の
意識はない。他にもいろいろ使われようが、そういったのを小てつは総称「花
屋さん」と言っている。

商売が絡んでいるから、彼らの情熱は半端ではなく、罪の意識も吹き飛ばして
いる。そんな相手にのんびり自身の日記のようなブログに花の写真を載せたり
したら、イチコロである。写真を小さく載せようが同じである。

来年、写真を掲載した場所に行ってみてゴッソリやられていたら、掲載した者
は、その場所の花を楽しみにしていた他の人達に、どう言い訳するんだろう。
聞いてみたいものだ。

掲載していい花と、してはいけない花の分別がわからないと言うなら、来年も
またそこで見たいと言う花が、掲載してはいけない花と思ってみたらどうです

か?と言いたい。


今回は「落ち」も何にもない言いたいこと    という話


                        【 記: 小てつ 】