久良谷再探索〜経ヶ岳(NO.9)

朝の久良谷2


平成23年8月28日 (日) 晴れ   小てつ単独






 先々週、okaoka御夫妻、JOEさん、そしてHさんやTさんも急遽参加により、気持ちの良い汗(多すぎるって?)を流した「久良谷遡行」。実は小てつには、まだまだ思い残しが幾多あり、再度の探索となりました。

 思い残しのそのひとつは、「高島トレイル完歩」となり、「国境」から中央分水嶺の尾根をたどることができた訳なのだが、実は「経ヶ岳」から「ミゴ越え」の間が中抜けになってしまっていた。「経ヶ岳」直南鞍部までは「丹波越え」のルート探索の折、降りたことがあるのだが、あと500mほどだけ中抜けになってしまっていたのだ。

 もうひとつは、その「丹波越え」のルート探索の続きである。

 午前7時丁度に「稲妻号」を発進させ、いつものように大原から途中越え、国道367号を北上し、梅の木の橋を渡って久多に向かう。あんまり通うものだから、そろそろ久多の駐在さんにあいさつでも行かないと、何やら怪しまれそうだ。

 今日は道が空いていて、8時15分にはいつもの「滝谷」との分岐の駐車場所に着いた。渓流釣りと思われる先客が一台駐車。

 先々週、虫にからまれエライ目にあったので、今日は入念に防虫対策を施し準備をする。まずは靴下、スパッツにプレシャワー。続いて体にはハッカ油。そしてザックにエアサロンパス。このエアサロンパスは、結構虫よけになるのだけれども、体に触る部分にかけると、後で汗や雨などに濡れると恐ろしく寒くなるという欠点を持っているので、かける場所は選ばなければいけない。

 さて、いよいよ出発し、いつもの木製看板のところで渡渉し、「久良谷」へと入る。朝の「久良谷」はまるで「もののけ姫」のシシ神様の森の景色である。何本ものトチの大木が幻想的だ。芦生の森も幻想的で美しいのだろうけど、やれ地面を傷つけないように長靴で入れだの、パーティ―は3,4人が限界だの、厳しく御指導の方もいらっしゃって、小てつには敷居が高く、足が向かない。

朝の久良谷 朽ちたトチに若木が生える

 「久良谷」を遡行し、標高550mの大きな谷分岐のところに最初の炭焼き跡がある。ここを右手の本流に進むのがいつものルートなのだが、今日は探索ゆえ左手の谷ものぞいてみる。太いワイヤーが流れに沈んでいる。谷は地図で見るより急に傾斜をキツクして遡行を妨げるし、あたりを見ても古道の跡らしいものは見当たらない。念のため左手の尾根も見に行くが、ここにも道の痕跡はない。

 実は、この最初の炭焼き跡の分岐の尾根の上部で、例の標高700m付近に急に現れる水平の道跡が、忽然と消えるのである。以前の探索の折に、一度道跡の最終地点から、降りてみたらここに出たのだ。

 本当に不思議な水平道なのだが、最初は岩屋谷までそのまま続いている修行僧の道かとも推測したのだが、「トンボユリ」のようにブツブツ途切れていてもまた現れるというものでもなく、忽然と消えてしまうのが不可解である。

 でもって、本流に戻り、いつものように遡行し、いくつかの炭焼き跡を過ぎて、標高600mあたりの二つの滝が合流するところにある、トチの大木が目印の左手の少し高いところにある炭焼き跡のところから、約100mの腕力登山に挑む。

 尾根の左手に、道跡らしきものがあるのだが、何本かの倒木があり行きにくかったが、倒木も萎れてきて何とか踏み越えられるようになったので、つめてみる。道跡は、ジグを切り折り返しているような感じだが、すぐに藪になり痕跡も消える。したがって、いつものように残りを腕力登山となる。

 標高680m付近になると、いつもはっきりした道跡が現れて、水平道の同じところに出るので、今日は、その斜めの道跡を降りてみた。道跡はやはり尾根のほぼ中央部にギザを切って残っている。50mほど降りたところで、判然としなくなり、下から登ってきたのでは、わからないはずだ。多分次回来た時もわからなくて腕力登山になるのは必至だろう。

 さて、水平道に戻り、岩屋谷の方に行ってみる。やはり道跡は隣の尾根で消えており、その向こう側には道跡はない。尾根を降りる道跡もここにはなく、本当に忽然と消える。

 結局水平道に分岐とおぼしき場所は、やはりいつもの標高600mの谷分岐に至る場所にしかなく、いつもの標高700mの谷合流点、左手は三段の滝、右手に3mの滝の場所に着く。

 最初の久良谷探索の時に、忠実に「お茶屋跡の鞍部」を乗り越すと、この左手の三段滝に降りてきた。途中は地図よりは狭い谷で道跡もなく、カゲロウの類の羽虫が恐ろしくいた。2mほどの滝が2ヶ所あり、細引きを使わないと降りられなかった。この谷には、絶対に道はなかったと確信したものだった。でも、この標高700mの水平道跡に出くわしたときには、バンザイものだった。

 右の谷の3mほどある滝の左手の岩を乗り越すと谷は広くなり、昔のビール瓶や一升瓶が散乱している。炭焼きの時の残骸だろう。こちらの谷にはところどころ道跡が残るが、炭焼きの作業道跡と考える方が妥当だろう。ここを素直に「丹波越えの古道」と考えるには無理があるようだ。

 で、いつもの「経ヶ岳北の鞍部」、標高830m付近の稜線に出る。桑原側から吹く風が心地よい。今日は、先々週より空気が乾いているのか、それほど蒸し暑さは感じなかったが、それでももう汗だくだし、やはり虫は多い。

「経ヶ岳ピーク」で早い目のラーメンタイムとする。食していると、御夫婦連れが到着された。滋賀県の方で、滋賀県の山々を順に歩いておられるという。先週は「ブンゲン」、その前には「三国峠」の登ってこられたという。

 「三国峠は、もう登山道が荒れていて、ガッカリだったでしょう?」と、尋ねると、案の上そうだったと。あそこは団体さんが、バスでわんさか行きますもんね〜。「今日は、三国岳も行かれるのですか?」と尋ねると、今日はピストンで桑原に降りられるという。次回は「三国岳」とおっしゃるので、おすすめルートも紹介しておいた。

 もうあと10年は山歩きを楽しみたいとおっしゃる御夫婦。奥様は、「そのうち、山行ってるか、病院に行ってるかの毎日になりますわ。」と笑っておられた。

 では、と別れる小てつが、南に行くのを見て、怪訝そうにされるので、今日のコース取りを説明すると、目を丸くされていた。ガイドブックにないコース取りは不思議なようだ。

 「経ヶ岳」ピークは北と南が同じくらい急な傾斜となっている。ジグのついていない南側の方が幾分キツク感じるか?北側と同じくらい70m弱降りれば、いったん平坦な道となり、右手に広い谷が見える。ガイドブックでは、「旧鯖街道」は、どうやらここらあたりを降りているように書いてあるものがあるが、道の痕跡はないし、ここを降りると「ミゴ谷」にでるはずで、昔の「久多の最後民家のところに出た。」というのには当てはまらない。

ミゴ越えからP936 ミゴ越えから経ケ岳

 このあたりで、一番安全に降りようとすれば、このまま「ミゴ越え」の鞍部まで進み、P685の尾根を巻いてギザに降り、南の広い谷(イチゴ谷)に降りるのが当然だろう。しかし、それでは「ミゴ越え」と同じ道になってしまう。とか、頭をかきむしり謎解きをしながら、「ミゴ越え」に到着。これで「国境」からP909までつながった。「ミゴ越えの鞍部」から先々週行ったP936がすぐ近くに良く見える。「三国岳ピーク」は「経ヶ岳」の裏で見えない。

 この「丹波越え」の場所だけれど、そもそも「丹波越え」なのだから「丹波谷」の北か南の尾根を登ってきていたはずなのだ。今のルートなら「御林越え」になってしまう。今の桑原からのルートは、「お茶屋」までの通勤ルートだったのが植林の世話などのために、今まで残ったものだと思っている。

 それに古い資料では、「三国岳の肩を・・・」とあるそうで、それならもっともっと北方面も候補にあがる。「丹波谷」の尾根をたどったなら、P885あたりに出るし、「経ヶ岳」より近い分、P885の方が「肩」らしい。

 「お茶屋跡」があったから「ノッコシ」の場所がこのあたりというのは筋が違って、「お茶屋」があったのは「湧水」があったから「お茶屋跡の鞍部」にあったのだと思う。それにしても「茶屋」が成り立つほどの往来があったのだから、それはそれですごいと思う。

 往来と言えば、「丹波越え」に加え、「ミゴ越え」、「小川越え」と稜線をノッコすいくつかの場所もあり、きっとそれらをつなぐ横道もあっただろうから、昔の人足は天候、久多川沿いの下界の道の状況、荷物により、道を使い分けていたのではとも思う。

 まあどちらにしても、「金久氏」をはじめ、お歴々が幾多調査をしても限定できないことだから、小てつめごときがどうこうだけど、いろいろ探索はおもしろいし、現地で感じながら思いしのぶのは、それこそ楽しい。

 折り返して、「経ヶ岳ピーク」に戻る。ピークには誰もおらず、御夫婦は立たれた後。今日はここから西の尾根に降りようと思っていた。二本ある西側尾根の北側の尾根にあたる尾根で、以前も一度降りているのだが、先々週にHさんに話したところ、興味津々だったので、今回レポしてみようと思ったのだ。

 Hさんはまっとうな団体に入会されている山ノボリストで、いつもは「登山計画書」の作成、提出やらたいへんで、御一緒しても「ちゃんと登山道を歩きなさい!」と厳しい指導を受けるのだが、それは登山道のあるところの話で、京都北山のように、明確な登山道がないところでは、仕方ない。実は、きびしく言っている癖に、藪漕ぎ、古道探索などには目ランランのHさんなのだ。

西尾根は藪もあります 760mまでおりれば踏み跡

 「経ヶ岳西尾根」は、地形図を見て頂ければわかる通り、最初大きく二本に分かれる。北側の尾根をたどると丁度「久良谷分岐」地点に降りるのだが、下から見てどうやら藪と雑木の尾根みたいなので、最後は尾根の南側のヒノキの植林地をめざす。

 だらだらとした広い尾根を、右の谷を意識して降りる。少々藪で見通しが効かないが、急に傾斜がきつくなったと感じたら回りを確認するべきで、しばらくは緩い降りとなっている。

 標高840mに目立つ二本のブナの木があって、標高800m付近で尾根は細くなり、同時にケモノか人間のか踏み跡が明確になる。標高785mくらいからイワカガミが現れ、標高760mにはいっそう踏み跡ははっきりとする。

 標高660mに黄色の境界杭があって、川音が聞こえるが、ここからが急坂となる。ただ急坂というだけでなく、ざらめ石の混ざった崩れやすい地面なので気を使う。細引きを出そうか迷うところとなる。ササの下草がきばっていたら、 余計に滑ってどうしようもないところだったろうけど、今は枯れているので、しっかり生えていそうな雑木を目標にしながら、いつでも抱きつける心構えをして、ジグザグに降りていく。

黄色い境界杭 着地地点

 100m弱の苦労だけど、ジェットコースターなので、あっと言う間に降りていく。JOEさんは雪を見るとアドレナリンが出るという特異体質らしいが、小てつの場合は、こういう崖(それも降りに限る)を見るとアドレナリンが出る体質らしく、こういう場所では熱くなる。

 植林地の途中からは、尾根をはずして左手の谷の傾斜の緩そうなところを狙って降りると、林道の途中で滝水のためにトンネルがくぐっている地点に出る。 3本の大きなトチの木が目立つ地点だ。結局「経ヶ岳ピーク」から1時間少しで降りてこられるから、このルートは早い。

 駐車地に到着すると車が一台増えていた。いつものように川に降り十分涼をとるが、それでもまだ早い時間なので、久多峠を越えて「広河原のおかみさん」の顔を見に行くことにした。

 それと実は、「天狗峠」から「久多峠」をやっている小てつ、残りP927から「小野村割岳」をつなげれば、それこそ「国境」から「佐々里峠」を通り越し、西は「トラ越し峠」、東は「卒塔婆峠」までが一気につながる!

 「久多峠」にママチャリデポで、「下の町」から登って「小野村割岳」から「P951」、久多峠へと・・・

(久多峠からのママチャリ・ダウンヒル。別の意味でドキドキやなぁ〜)

と峠道を稲妻号で走りながら、思いはつながっていくのである。


                           【 記: 小てつ 】

久多の友禅菊