廃村八丁〜品谷山(NO.25)

静かな八丁


平成24年10月27日(土) 晴れ  Hさん、小てつ

コース
佐々里峠〜ダンノ峠〜四郎五郎峠〜刑部滝(ピストン)〜八丁〜トラゴシ峠〜品谷山〜佐々里峠





 夏前から、近所のHさんから「一度廃村八丁という所に行きたいんやけど、ワシらでも行けるやろうか?」と言われていて、「行けます、行けます、十分行けます。ただ今頃行くと、山ビルがいるんで・・」と、涼しくなるのを待っていた。秋も急速に深まり、山ビルも引っ込んだだろうと御案内がてら訪ねてきました。

 実はこのHさん、いつも登場のHさんではなく(いつも登場のHさんは女性)、小てつのご近所の方(男性)で、御年72才。しかし、まだ現役で仕事もなさっていて足腰はしっかりというか、渓流釣りを趣味にされていて、いつも石田川ダム上流の河内川谷林道の情報をいただいているのは、この方なのである。だから、そこらの72才よりかは、はるかに達者な方だ。

 ガレージに7時に集合して出発。八丁を訪れるいつものように、朝一番に「とうよけ茶屋」の山本屋の本店に寄り、女将さんにお土産の豆腐と油揚げを仕入れていく。今日は同乗者もいるので、稲妻号もゆっくり走り、8時過ぎに広河原に到着。丁度喫茶店の開店準備をされていた女将さんに、お土産を渡し、「帰りに寄ります」と、佐々里峠にあがる。峠にはまだ一台も駐車無し。

 準備をして、ほとんど崩れている巡視階段を登り登山道に入る。丁度8時30分。峠では肌寒いくらいで、上着を着たまま。Hさんの調子がわからないので、いくぶんペースを落として、時には足を止め付近の解説をしながら進む。

 今日のコース一番の激登りであるP866手前のダンノ峠と品谷山の分岐のピーク、「春のイワウチワの季節なら登るんやけどな。」と言いつつ、Hさんのことを考え左の作業道の方に進む。前より道とわかりにくくなっていて、防獣ネット手前の折り返し点も不明瞭になっている。もうここは道とわからなくなる方が、道迷いの人をつくらないために良いと思う。

 ネットに突き当たり、ネット沿いを登る。分岐につけた標識も真っ黒になっていて、何が書いてあるのか判別不明になっていた。分岐を東にネット沿いを進む。秋の落ち葉のせいと言うより、ここも前より踏み跡が不鮮明になっている。ここで単独男性とすれ違い、「道がわかりにくくなっていますね。」と意見を交わす。ガイドブックには、よくこのルートが紹介されているが、ダンノ峠からP866の手前の品谷山と佐々里峠の分岐ピークの間は、注意して進んで欲しいと思う。

ダンノ峠 花はなく。マムシ草の実だけ

 40分でダンノ峠に到着。ひざが心配で、登りより降りが嫌だと言われるHさんなので、無理せず四郎五郎峠の方に向かう。去年の春先に来た時よりも、倒木の状態も落ち着いた感じで、難なく同志社の小屋まで来る。やはりここのサルノコシカケには興味を持たれていた。

 刑部谷の分岐まで来てまだ10時、早すぎるので一応3mの滝まで見物と寄り道する。ところが渓流釣りが趣味のHさんには、これくらいの滝では、見物するほどのものでも無かったようだ。危なっかしいハシゴを越えて刑部滝まで行くこともないだろうと、もとのルートに戻り11時に四角錐の避難小屋に到着。そこまでの川沿いの倒木も片付けられていた。四角錐の避難小屋に、佐野さん製作の八丁略図が貼り付けてあった。

佐野さん作 八丁略図

 ゆっくりと有りし日の村の様子を想像しながら、あたりを散策。Hさんは、まだ土蔵があった頃の写真を見て、ここを訪れてみたくなったそうだ。今は、またその頃とは違った印象になっているだろう。

京大高分子小屋は崩壊寸前 神社前、少し紅葉

 神社にも寄っていこうと階段を登る。倒れていた石碑が少し動かされている。階段も何かさっぱりした感じ。お神輿は、どうにか原型をとどめていた。

 神社を後にし、巡視小屋に到着。小屋には佐野さんはおられず、Mさんと言う方がおられた。初めてお会いするが、最近八丁に通われるようになった枚方の方だという。お話をうかがっていると、どうやら神社の石碑の移動や、階段の掃除、倒木の片付けなどは、この方がしてくださったようだった。(亀岡の石碑のことを心配なさっていた方、御安心ください。)佐野さんも、たのもしい相棒が現れたようだ。

お神輿は健在 石碑は移動

 食事をしながら巡視小屋の最近の出没者などの情報もうかがえば、例の村長は「暁の流血事件」以来、姿を現さなくなったそうだ。(森の旅人Mさん、残念!)代わりに、ちゃんと仕事をしてくれる方が現れたので、まあいいんだけど。

 そうこうしていると、山仕事姿の老人を先頭に、カメラを持った初老の紳士に学生と見られる20人ほどの団体が、到着した。「墓参り」に来たと、お墓の方に行き、しばらくして戻ってきた。どうやらどこかの大学のゼミかなんかが、廃村八丁の歴史かなんかを実地調査に来たんだろう。山姿の老人は「菅原のDさん」ではないだろうかと、後で庄兵衛さんで話す。80才を超えられているそうだが、しっかりされた方だ。

 結局1時間近く、小屋前でゆっくりし、さて復路をどうするかと考える。小屋からそのまま東の尾根に乗りダンノ峠に帰るか、トラゴシ峠か、スモモ谷か。「おっちゃん、足は大丈夫か?」と尋ねれば、「全然、大丈夫。」と言うので、天気もいいし、早く稜線に出られるトラゴシ峠から帰ることにする。お礼を言って小屋を出発する。

標識は増え 品谷峠の標識

 トラゴシ峠への道へは、佐野さんの手による標識がいっぱい増えていた。ただ、生木に釘打ちのものもあり、それは堪忍して〜と思う。やはり、佐野さんの場合、根っからの山人ではないので、そのあたりが調子悪い。

 15分でトラゴシ峠に着き、品谷山へと向かう。稜線のブナは色付き初めてはいるものの、雨が少なかったのか、葉先がチリチリしていて「見事な黄葉」とはいかないかも知れない。今一歩!

 トラゴシ峠から45分で品谷峠、1時間ほどで品谷山のピークに立つ。途中でも御丁寧に標識があり、品谷山から降りてくると間違いやすい八丁まで超特急の「イワタ尾根」の分岐にも、品谷峠の方に行くように標識がついていた。

 P866手前、四郎五郎峠分岐の風化木、最後の葉っぱが無くなって、以前よりも白くなったような気がする。行きには登らなかった急坂を慎重に降りる。イワウチワの紅葉もまだ。

風化木は白く ダイモンジソウは庄兵衛さん前

 3時に佐々里峠に到着、車は一台増えていただけ。ここで、JOEさんからメールを受けるが、それは朝の出町柳の様子で、我々はそのメールを受信する前に、電波の届かない稜線を越えていたようだった。坊村行きは追加の臨時バスが出て、雲取山に向かわれるJOEさんが乗られる広河原行きは人気が無いという。皆さん、狙いは比良か。(後での情報では、この日の武奈の紅葉は見事だったそうな。でも、大盛況だったと。)

 庄兵衛さんに寄り、タイムラグを作って、鞍馬や貴船の人ごみが消えるのを待ち、山では全く無かった花でしたが、庄兵衛さんの庭先に咲くダイモンジソウも見て今日は満足。話にはうかがっていたKさんともお会いでき、広河原を後にしました。


                           【 記: 小てつ 】





サラシナショウマも庄兵衛さんの庭