小野谷峠からチセロ峠、チセロ山

 
チセロ峠はきれいな峠だった


平成24年4月24日(火) 晴         長岡山人

コース
小野谷口バス停9:20−小野谷峠10:20−猿橋峠10:50−チセロ峠12:15−チセロ山12:50(35)−チセロ峠13:50−尾越14:10−大見三叉路15:00−小野谷峠−15:20−大布施16:30
                                           (小休止は省略)





  京都市の山村都市交流の森の最高峰は871mピークであるが地図には名前の記載がない。ネット情報では「チセロ山」と呼ばれているのでこの表現を使わせてもらう。

  小野谷峠から尾根づたいにチセロ山までたどれるのではと試みた。猿橋峠とチセロ峠を一度に訪ねられる。金久昌業氏が「機能を停止した峠」と、『北山の峠(上)』に書かれている峠である。チセロ峠からチセロ山までは、奥様の千津子様は歩かれたと書かれているが、金久氏本人は歩かれていないようだ。 ヤブが深そうな予感がしたので、冬枯れのこの時期が適期と判断した。

  小野谷口バス停から小野谷峠までは1時間もかかった。前回より長くかかったのは、谷が荒れたためか、僕の体力が落ちたためか、たぶん後者だろう。小野谷峠にたどり着き、これから挑む北側斜面を見上げる。よく見ると赤テープがあり、先行者がある。まあ、北山で、先行者がないところなどないのだが。急斜面をジグザグにゆっくり登り始める。3つめのこぶが690mピークである。標識が付けられている。北山ではおなじみの標識で、小さくて表示に耐久性のあるのがありがたい。

小野谷峠から登山方向 P690標識

  ここからテープは西北尾根に付いているが、これに惑わされず、少々バックする気持ちで東南尾根に進む。尾根筋は生え込みが少なく、予想外に歩きやすい。どの季節でも生え込みは少なそうだ。これも鹿の食害であろうか。間もなく猿橋峠に降り立つ。南の大見側は、自然林の倒木はあるものの傾斜は緩く、歩きやすい感じがする。逆に北のチセロ谷側は、傾斜も急で、間伐材の倒木が多く、歩くのに苦労しそうだ。平清盛が大悲山峰定寺を造営するのに通ったと言われる道である。

猿橋峠 猿橋峠から登路方向

  再び尾根筋の縦走を開始するが、最初が急登である。踏み跡はない。しかし、所々に赤テープがあり、順路の正確さを教えてくれる。尾根をたどればよいので進路はわかりやすい。人が歩いたところは人型に空間が空いている感じがするものである。

進路の山々 P871チセロ山

  2万5千分の1地図を拡大し、現在地点を確認しながら進む。進路のアップダウンは地形図以上に大きい。右遠方には皆子山の南北の長大な稜線が眺められる。また左遠方には目標のチセロ山の姿が次第に大きくなる。

チセロ峠 チセロ峠標識

  ようやくチセロ峠に降り立つ。ここを乗り越す人はほとんどいないと思われるので、もっと荒れているかと思ったが、両側とも道ははっきりしている。チセロ谷側には水量の多い谷川が流れている。

チセロ峠から見たチセロ方向 チセロ峠から見た尾越方向

  チセロ峠からの最初の登りは急だが、間もなく緩やかになる。このあたりだけ馬酔木の生え込みが多くなるが、歩きやすいところを選んで進む。右下には尾越の家々が見える。モミの大木にも出会う。チセロ山の直下は再び急だが、ゆっくりと登り切る。

P871チセロ山 山頂から見た尾根筋

  チセロ山の頂上付近は良く整備されている。バラスを敷くなど、ここまで整備しなければならないのかと思う。 昼食のあと、来た道を下山するチセロ峠から尾越に下りてみる。

チセロ峠から尾越下山路 尾越に降りた地点

  道は谷からやや高いところに斜めに付けられ、しだいに谷に降りていく。降りきった谷は平たく静かで、別天地のような気分がする。その先は、昔の田の跡が沼地化した平地となる。夏は草が生い茂っているため、歩くのには注意が必要だろう。地面が固い、平地の南端の山沿いを下っていく。途中1カ所、沼地化したところがあるので、山すそに上って10mくらい迂回すると再び固い道となる。この経路は、昭文社の地図の旧版『北山2』の通りである。小川を渡り、あぜ道をたどって、舗装道路に出る。

尾越集落の手前

  尾越の地図に神社(思古淵さん?)のマークがある。林の奥に位置しているため集落からは見えない。行ってみると2本丸太橋を渡った奥にあり、倒壊して屋根だけが残っていた。

  その後、前坂峠を越える。疲れた体には傾斜が急に思える。大見三叉路を経由し、再び小野谷峠に帰り着く。バスの時間まで間があったので、京都市が建設途中で放置している道路を、迂回して見てきた。

  大見に建設残土を運び込み、運動公園を作ろうとして大規模な搬入道路を造り始めた。しかし反対運動とバブルの崩壊のダブルパンチで計画は頓挫した。10億も20億も投入して立派な道路を造り始めたが、20年以上も放置されている。この無惨な無駄使いを目に触れさせたくないため、小野谷をわざと荒れるのに任せているのではと邪推したくなる。

  大布施まで歩き、JAには冷えたビールがなかったので、100m南の上仲商店で買い求め、バスの時間までゆっくりと味わった。静かで、北山中央という実感が湧く山行であった。チセロ山から尾根を西方に降り、八桝橋バス停に向かう1日周回コースとして設定できると思われる。


                           【 長岡山人 】