棚野坂・オバタケダン

棚野坂は使い込まれた古道だった


平成24年6月14日(木) 晴             長岡山人

コース
堀越トンネル南口歩行開始9:00−若丹国境稜線10:00−関電中継塔10:10−オバタケダン10:50(昼食15)−棚野坂(六地蔵)11:50−坂尻登山口13:35−坂本バス停13:40





  知井坂が小浜から京への峠なら、棚野坂は高浜から京への峠である。立派な古道が残っており、案内板も要所に設けられ、おおむね歩きやすい道だった。

  京都駅を6時21分に出る山陰線普通に乗って和知駅に7時59分に到着する。8時発の大野ダム行き京丹波町営バスに乗る。終点で南丹市営バス和泉行きに乗り換え、8時33分に終点で下車する。予約していたタクシーに乗り、棚野川に沿って国道162号を北上し、堀越トンネル南口で下車する。(3270円 注参照) 

 堀越トンネルの西側の谷に沿ってものの20mも進むと、熊の捕獲檻の右横から棚野坂は始まる。

堀越トンネル南口を左に入る 入ってすぐに右山腹に登る道がある

  道はトンネルの上方に向かって、ジグザグを切りながら上がっていく。ここも大八車が通ったと思われるくらい太い道である。棚野坂は縦走中どこでもそうであったが、平行して同じような道がついている。道が掘れすぎたり、崩壊すると、その上下に道を付け替え、両方が古道として残っている地形が至る所に見られる。歩く人は少なそうで、生え込みや倒木もしばしばあるが、まずまず普通に歩ける。知井坂に比べるとやや急で、息も切れる。地形図の等高線は詰まっているが、斜めに作られたうまい道づくりで、疲労は覚えない。

掘り込まれた道を登っていく 旧国道に出合う

 20分後に、旧国道に出る。トンネルができる前に堀越峠を越えていた車道で、地道であるがオフロード車なら辛うじて通れる。その道を右に10m移ると棚野坂の続きがある。このあと、尾根筋に沿って、右左に切られた道が上に伸びていく。尾根を横切るところは傾斜を均すために掘り込まれている。オーバーペースにならないよう、じっくりと上がっていく。

旧国道から棚野坂に再び登る 生え込みは少なく、緩い傾斜

  600mを超えると尾根の傾斜が緩やかになり、ほとんど水平の道となる。快適に歩を進めていくと突然、ブルドーザが荷物運搬に使った稜線道に出会った。これが若丹国境尾根だった。堀越旧峠から、NTT中継塔を通り、関電中継塔までの搬入に使われているようだ。ここまで1時間で来られた。金久氏は2時間かかるとされているが、「小浜山の会」などの整備のおかげであろう。

若丹国境尾根に出合うところ 同じ場所を逆から見る
国境尾根を東に続く棚野坂 オバタケダンとの分岐。棚野坂は左に

  若丹国境尾根からは海が見えるらしいが、当日は遠くがかすんで見えなかった。残念。 尾根に出てから東にしばらく進むと、関電中継塔に続く国境稜線と、坂尻に降りる棚野坂に分かれる。単純な乗り越しの峠ではなく、適切な下り尾根まで稜線を横にたどるのは知井坂と同じである。

  予想外に時間があったので、オバタケダンまで足を伸ばすことにした。関電中継塔へはわずかの登りで着く。この5分間の登りと、オバタケダンへの10分間の登りが、本日の登りらしい登りであった。

関電中継塔のある山頂 オバタケダンに続く国境尾根

  関電中継塔を過ぎて、道は東に延びる。歩きやすい、高低差の少ない道だ。コブのあるところは巻き道が造られ、迂回するようになっている。西畑越の一部である。

  オバタケダンの手前だけは急登である。若丹国境尾根は、オバタケダンの北西稜を登り、V字型に急ターンして北東稜に続いている。かっての西畑越は、この急登を避けるべく、北側山腹を巻いて北西稜から北東稜に移れるように道が造られていたようだ。そして北東稜に移ってから、ジグザグにオバタケダン山頂に登り、そこから知見の西畑へと下っていくようになっている。

オバタケダン山頂直下 オバタケダン山頂

  オバタケダンの山頂からは南側の丹波山地の展望が抜群に良い。丹波の山々の全景が見られる。ここで短時間だがオニギリ昼食休憩を取る。

  昼食後、来た道を帰り、棚野坂への分岐まで戻る。関電中継塔のあるピークの北西側山腹を棚野坂は緩やかに下っていく。金久氏は、笹が生え込んで歩きにくいと書かれていたが、生え込みはなく、ここ20年で状況は大きく変わったようだ。中継塔から真北に延びる尾根まで巻いていくと、六地蔵がある。金久氏はここが峠とされている。

再び棚野坂に入る 六地蔵のある峠

  ここは若狭から上ってきた棚野坂が、鶴ヶ岡大及(おおぎゅう)へと乗り越す道と、知見西畑へ乗り越す道との分岐である。六つもお地蔵様があるのは、僕の知っているところでは雲ヶ畑の薬師峠くらいで、しかもそれより立派だ。それだけ重要路だったのだろう。大木や平地があり、ひょっとしたら茶店程度の休憩所もあったかも知れない。国境稜線上ではないが、そういう意味では「峠」とされるのもうなずける。

六地蔵の三叉路 逆から見て左が西畑越、右が棚野坂

  西畑越は、ここから中継塔の山の東北山腹を巻いていき、山頂をやや下ったところで国境尾根に合流し、以下、オバタケダンに通じる東に伸びる尾根道となる。(先に述べたとおり)

  六地蔵からは緩やかな下りが続く。歩きやすい古道である。尾根の両側に古道があるなど、併走しているのは最初に書いたとおり棚野坂の特長である。

  しばらく進むと、円形の山に突き当たる。道は山の東側(一ツ谷側)に続いているが、金久氏はこれは山仕事の道で、古道は山の西側を巻いて、その後合流すると書かれている。その道を探したが、道らしいものは発見できなかった。この点だけ、疑問が残った。

  道は尾根の東側を降りていく。地形図の通り東側は急斜面で、崩壊しかかっているところもあり、注意しながら下る。

こういう箇所もまれにある ブナ林の中を進む

  標高約410m地点で大きく崩壊し、古道が分断されている。谷の山腹安定工事はなされているが道は修復されていない。崩壊した上部を注意して迂回する。桃色のテープと、その下ではトラロープが迂回路をガイドしている。

一ツ谷の崩壊地 崩壊地の上辺を乗り越えて進む

  崩壊地を過ぎ、再び快調に下る。330mに小鞍部があり、ここから道は尾根を離れて、左の斜面を下るようになる。坂尻への最後の下りである。地図では急な斜面であるが、ジグザグに道は付けられ、歩きやすいように配慮されている。ジグザグが緩すぎて、下る時だけ、直線上に短縮して降りたくなるくらいの道だ。

  上部が二つに分かれた大きな杉まで降りると、横の谷に水が流れ、古人がのどを潤した場所と思われる。愛宕山1合目のお助け水と同じように。

快適に古道は下る 杉の大木のある水場

  下に近づくにつれ、生え込みが増え、道は荒れ気味になる。堰堤の左横を通り、壁の崩れた廃屋の右を過ぎると平地となる。その手前に、左斜め上(西上方)に上がっていく、急だが良い道がついている。坂尻から登り始めるとき、ここだけ注意が必要である。すぐに山に上がらず、草があっても谷に沿って進み、堰堤横を過ぎるとようやく古道の地形となることに注意が必要だ。

この草の中を直進する(登るとき) 廃屋の右を下っていく

  左に1軒だけの民家を見ながら進み、南川の橋を渡ると国道162号である。

登りはこの道を直進 坂尻から国道162号に出たところ

  右に5分歩くと坂本のバス停に着く。13時40分である。14時28分のバス「流星号」に乗り、小浜、近江今津を経由して18時に京都駅に着けた。

  平均的ペースで歩いたはずだが、想定よりかなり早く着いた。古人が生きるために、知恵を集めて作った道は、それだけ歩きやすいということか。


歩行記録・南半分





歩行記録・北半分

  (注) 旧美山町内には、デマンド制の定時運行タクシーもある。今回は時間が合わず、歩行時間を確保するため一般タクシーを使ったが、所用時間が想定よりかなり短かったので、今後は利用することも可能と思われる。デマンドタクシーは、希望に応じ、運行区間をはずれて、その間はタクシーメーター料金によって運行することも可能とのこと。乗る人が少ないので、定時運行の建前はあるが、少々はみ出して走ることも事前申込みの中で相談できるようだ。以下は参考HP。

デマンドバス(タクシー)実証実験運行
 ↓
http://www.city.nantan.kyoto.jp/www/kurashi/101/011/003/index_2017.html




                           【 長岡山人 】