4年ぶり大見尾根に行ってきました

 
琵琶湖 鈴鹿方面を望む


2013年4月20日(土) 曇りのち小雨  11度  Ikomochi

コース:
出町柳発10時 広河原行 ⇒ 花背峠11時20分着〜 杉峠11時35分〜和佐谷峠12時〜 昼食12時10分=12時40分〜 滝谷山12時50分 〜 杉峠13時40分  〜古道探索 〜水場14時20分〜 林道14時45分〜 車道14時55分着 =バス乗車15時15分 ⇒ 出町柳着16時10分着








 膝をひどく痛めてから2年。この半年間運動療法トレーニングに通い、痛みも身体のバランスも随分とよくなった。Okaokaクラブの新年会で、「今年は雪道を歩きます!」と宣言したものだから、2月の初め、雪山に行くぞ!!と道具を出してみたら、ななんと肝心のストックのジョイントが曲がっているではないか!がーん、思い出した。3年前、比良岳の深い雪にストックを突っ込んだら、雪リングが雪の中に埋まってしまい、無理やり引き抜いたらストックがひん曲がったんだった。その後修理に出したけど直らず。次の雪山シーズンに雪用を買おうと思って、そのままになっていた。

 そんなこんなで結局ストックを買いに行く時間がなく、仕事も年度末で多忙になり、やっと落ち着いた矢先に今度は愛犬が下半身麻痺で要介護となりばたばたしているうちに、今期の雪山シーズンは終わってしまった。

 トレーナーの先生も、「行けたら行こうでは結局いつまでたっても行けませんよ」と発破をかける。幸いなことに、脊髄梗塞だという愛犬は1週間目から立てるようになり、4週経ったころには麻痺は残るものの猫を追いかけて走るまでに奇跡的に回復した。

 今度こそ行くぞ!!山歩きの再出発には、大好きな大見尾根を歩かずばなるまい。なんたって、わたしが北山にはまったのは、素晴らしい眺望が続く大見尾根を歩いたからだもの。というわけで、前日からザックを準備し地図も用意し、20日朝やっとこさ出町柳に向かったのでした。

 出町柳のバス停には既におじさんグループが列を作り、おしゃべりに花が咲く。午後遅くには雨予報、気温も2月初旬とあって肌寒く、あわてて分厚い上着を引っ掛けてきたのはわたしくらいで、皆さん薄着である。一般客もいて、バスは満席で出発した。北大路でさらに学生の一団が乗り込み、超満員。乗り降りするたびに乗客は後部ドアから下車したり、前に詰めたりを繰り返して市内を過ぎるまで随分と手間取った。

 百井別れでグループが降り、やっと車内は落ち着き、バスは杉木立の続く九十九坂を一生懸命登っていく。花背峠下車は一人。峠の温度計は7度を示し、空気がひんやりと冷たい。レーシング自転車の二人づれが休憩中で、「おつかれさま」「気をつけて」と挨拶を交わしながら、久々の大見尾根道に足を踏み入れた。

冬枯れの尾根 花背の鉄塔

 花背峠から杉峠まで簡易舗装の林道を行く。北側の尾根を見上げると、まだ冬枯れの細い枝をつけた雑木林が、曇った空をバックに繊細な姿を見せている。この眺めはお気に入りだ。

 杉峠のお地蔵さん お久しぶりです。やっと来ましたよ!と挨拶して、いよいよ峠道に入る。鉄塔下の廃棄物埋立地はだだっ広く、うっすらと草に覆われている。荒れ野原が興ざめではあるが、その先に、遠く琵琶湖、さらに鈴鹿山地が霞む。あれは御池岳だろうか。近くにはナッチョ、そして意外に大きな塊の皆子山。ここから琵琶湖が見えたときは驚きだった。

杉峠のお地蔵さん チロル小屋跡は荒れていた

 鴨川の橋から北を見やると、必ず目に入る電波塔。その赤白に塗り分けられた鉄塔が、すぐ目の前にどんと突っ立ている。やっと来たんだなあと、にまにま笑ってしまう。山道を展望地に行ってみる。先ほどの埋立地が視野に入らない分、山中に来た感じがする。「おおーい O先輩 やっと来ましたよ、また山歩きますよー」昨秋 鞍馬で亡くなったO先輩に叫んでみる。「その調子でがんばりなはれや」と声が聞こえたような。

 道の両脇の土手には猩猩袴の群落が紫の花を見せているはずと探すけれど、一向に見つからない。鹿の足跡だろうか。土手は踏み荒らされ、苔すら見当たらない。周囲の林も伐採されているので、人手も入ったのだろうが、なんだか殺伐とした道になってしまった。

和佐谷峠

 平坦な道がほどよく湾曲しながら続く。カーブの先にはどんな風景があるのだろうかとわくわくしながら歩く。京大の先生が植えたという白樺が3本、真っ白な幹が異国に来たような感じだ。薄暗い和佐谷峠を過ぎ、道を外れて明るい尾根に上って昼食を取った。冬枯れの木立の向こうにピークが連なり 滝谷山が顔を覗かせる。静かな山中。

 ゆっくり景色を楽しみ、また道に戻った。杉林が途切れると、左側の眺望が広がり、足元に別所村が見える。遠くに連なる山波を眺めながら、同定するのが楽しみな場所だ。円錐形の山頂が二つ並んでいるのは桑谷山か。あの麓にある大悲山峰定寺への参詣道が、この大見尾根だったという。清盛は峰定寺建立時の現場役人だったというから、都と幾往復もしたことだろう。遥かかなたに双子峰を見たときは、昔の人もほっとしたことだろうな。

気持ちよい尾根道が続く 北の眺望

 尾根道から標識に従って、滝谷山の直登道をとる。植林地をまっすぐ登るとすぐに山頂に着いた。わたしが初めて大見尾根を歩いたのは13年前の2月で、雪が降った翌日だった。その時、滝谷山の道を登ってきたら、雪の上に幾つもの足やら手のひらやらの跡がくっきりあった。5本指の手や足なので、どこの酔狂な大人が裸足になって雪と戯れたのかと、笑ってしまったのだった。が、後日、いろいろ調べたら、それは熊の足跡だったようだ。

 子熊が出没しているとあった。まだ新しい痕跡だったから、早朝出てきていたのだろう。裸足で駆け回ったのは誰?と笑うほど、わたしは山のことを何も知らなかった。でも、雪の上に続く兎や小動物の足跡、黄色い尿の痕跡 などなど初めて見たときは、びっくりして感動した。

 新雪に続く自分の足跡が嬉しかった。結局地理感もないまま、大見尾根の道をずんずん辿り、大見集落を抜け、車道沿いに百井に出て、百井別れからバスに乗った。雪の道は歩きづらく、最後はへとへとになりながら、百井峠の凍った坂をよちよち下ったことを思い出す。

 よく歩いたものだと、いまさらながら感心する。O先輩が、「ええっつ 一周したのですか?」とあきれながら驚かれたことを思い出す。寒い日で、ぜえぜえ言いながら道を急ぎ、翌日から気管支炎で熱を出して数日寝込んだ。でも、歩き通したという達成感と、初めてみた山の光景のさまざまが新鮮で、それ以後すっかり北山にのめりこんでしまった。大見尾根は四季折々必ず訪れては、のんびり過ごす場所になった。

アオイスミレ 青文字の花

 そんな思い出深い大見尾根道だが、久しぶりに歩いてみて、廃車や大型ごみがそちこちに放棄されているのが悲しかった。野草豊かな道だったのに、土がむき出しの殺風景さだ。春先の花々はわずかにスミレと青文字の黄色い花、馬酔木の白い花を見つけただけだ。

 「花背山の家」の関係で、人も多く歩くのだろうか。滝谷山では、わずか20分の登り下りの間に、立ち木に付けられたテープの目印がいたるところにあり、とうとう目障りになってはずし始めたら、レジ袋が満杯になってしまった。古いテープをはがした後の幹は、皮がはがれぼろぼろ崩れた。こうしてこの木はいずれ枯れてしまう。ほんの数センチのビニールテープやビニール紐だけど、いかんせんビニールは腐れないから、結局は木を痛めてしまう。この様子を、山を歩く人は知ってほしいといつも思う。

 先日BSで放映されていたニュージーランドのアスパイアリング山は、自然を守るため一切の目印は禁止されていて、切り立った難しい岩山をルートハンティングしながら登っていた。日本だったら、きっとペンキの矢印やテープくらいあるんだろうな と、かの国との自然に対峙する姿勢に違いを見たように思う。(わたしがテープをはずすと言ったら、もしそれで道迷いが出て遭難したらどうするのだと批判されたことがある)

滝谷山三角点 テープがやたら多い

 テープ撤収で倍ほどの時間がかかり、滝谷山を下ると1時を回っていた。今日はここまでにして、杉峠に引き返す。滝谷山登山口からゆるい登りで、はあはあと息があがる。こんなに勾配あったけ。和佐谷峠に着くころには、足首が痛くなってきた。ちょっと足やばいかも。

 杉峠に1時40分に着き、バスの時間まで余裕があるので、今日は常日頃から探していた古道を下ってみようと思う。金久昌業氏の「北山の峠」に、終戦後、大見に薪を買いに行き、背負って鞍馬に下ったとあった。花背峠の新道が出来るまでは、杉峠からすぐに谷に下る道があったと書いてあった。

 この10年ほど、バスで通るたびに車窓から鞍馬の谷を眺めて道形を探していた。川沿いにやけに平らな怪しい箇所はあった。古い地図や記録を漁ったが、いずれも大正以降だったので、古道の記載は見つけることができなかった。しかも、杉峠から下る入り口が分からなかった。峠直下の茨の藪に覆われた小さな谷はそれらしくもなく、それらしくもあり。

 鉄塔に行く道の途中からジグザグに下るのだろうかと斜面を眺めてみたりもした。そんなこんなで数年前、ひょこんとネット上で「杉峠から鞍馬に古道ツアー」なるものの宣伝を見つけた。詳しいことは書いてなかったが、確かに古道はあるらしい。それからまたきょろきょろが続いたが、めっきり山に行く機会が減り、大見尾根からも足が遠のいていた。

 今回歩くにあたって、ネットで地図など打ち出している折、古道の記事はないかなあ と探したら、大ヒットしました!先のツアーを行っていた青山舎 壇上さんの山記録の中に、詳しく杉峠の記載があったのです。古道はきちんと残っているとあった。

テープをはがすと、悲惨なことに 取り付きは大型ゴミが散乱している

 今日は時間があったら、古道をぜひ下ってみたいと、ひそかに狙ってきた。杉峠のお地蔵さんの真正面の谷間を、覗いてみた。大型ゴミが散乱する斜面の下、冬枯れで底がよく見えた。あった!確かに深く掘れた道形らしきもの!! 壇上さんはまっすぐに底に向かって下るとあるが、やはり取り付きの古道も探したいものであるので、そこらをうろうろした。少し緩やかな斜面から草を掻き分けて踏み跡があった。かつては峠に辿る道がしっかりした道があったかもしれないが。

 杉峠の直下に立つと、確かに幅2m余りの道の痕跡がはっきりと続いていた。しばらく行くと、伐採した木が道を埋め散乱し、一面蕨の枯れた葉が覆っている。ところどころで野いばらが新芽を出している。夏になれば、あたりは藪と棘に覆われて、道を探すことも歩くことも困難になることだろう。冬枯れの今でよかった。幸運を喜んだ。植林地の横を下っていくと、すぐに細い流れに出た。川の源頭部らしく、水が斜面から滴り落ちている。鞍馬川の始まりだろうか。杉峠一帯は鴨川、桂川、安曇川の3大分水嶺という。

谷間に古道があった 鞍馬川の源頭

 流れ沿いに道が続き、どんどん下って行くと、川幅も広がってくる。ほどなく右側山手から水が流れてくるので、もしやと思い、泥でじくじくの斜面を登ってみる。そこは峠下の水場だった。誰もいない水場で、顔を洗い咽喉を潤した。車が何台も通り過ぎていく。この水場は、新道掘削の折に斜面から噴出したのかなと、水の湧き出る大きな杉の根元を眺めた。

 まだ少しバスの時間に余裕があるので、もう一度古道に降り立った。道は緩やかな流れに沿って、杉林の中を下っていく。すぐに、車道から分岐した細い林道に出た。この林道が古道につながっているかもと、いつか探索しようと考えていた場所だ。林道を先に行ってみると、すぐに上りになりP835に向かっているようだ。古道は流れに沿って、さらに下流へと続いている。

流れに沿って 峠の水場

 このまま下って行こうかとも考えたが、雨粒も落ちてきたし、途中でバスが来るのは必至。峠下バス停でうまく間に合えばよいが。たどり着かないときは谷間の底から急な斜面をよじ登り車道に出てバスを止めるのも億劫で、今回は古道探索はここで止めて、林道を車道へと上る。すぐに分岐に出た。

 道端に、猫の目草の黄色い群落が辺りを明るくしていた。久しぶりにミヤマカタバミも見かけた。なにか咲いてないかなあとあたりをきょろきょろしていると、「こっち こっち」と呼ばれた気配がした。声のした方を振り仰いだら、背の高い立派な山桜が、白い花をこんもりとつけていた。まだ満開ではなさそうだけど、楚々とした美しい眺めだ。大見尾根ではタムシバしか見なかったのに、峠ひとつ南に来ただけで、もう桜が咲いているのですね。

キンシベボタン

 小雨が道を濡らし、青文字の甘酸っぱい香りがひそやかに漂う道路端で休憩していると、遥か峠の方からアニーローリーの音色が微かに聞こえ、帰りのバスが下ってきた。

 今回は10年越しの課題が解けて、とても嬉しかった。翌日から膝が痛んで、またしばらくはケアに専念しようと思うが、いろいろ試しながらぼつぼつと歩き続けたいものだ。


                        【 記: Ikomochi 】