貞任峠・人尾峠・黒尾山

 
左端鞍部:貞任峠 右ピーク:嶽山城跡 右端鞍部:人尾峠


  平成25年10月4日(金) 晴              長岡山人

コース:
バス停下浮井8:50−貞任峠9:30−嶽山城跡10:10−人尾峠10:50−黒尾山11:35−人尾峠12:55−バス停下浮井13:45−周山16:00





 金久昌業氏の『北山の峠(3)』の冒頭に、貞任峠と人尾峠は紹介されている。旧京北町の宇津から、旧日吉町の天若または中世木方面に抜ける峠である。丹波・殿田から京への街道の道としても使われていたと書かれている。

 平安後期の奥州の豪族、安倍貞任が前九年の役で誅殺された後、首を埋めたのが貞任峠、腰から下を埋めたのが人尾峠(ゆえに「ひとのお」と読まれる)と言われている。

貞任峠の由来書き
人尾峠の表示板

 京都駅を6時50分に出るJRバスに乗り、周山で宇津行に乗り換えると、8時45分に下浮井(しもうけ)のバス停に着けた。帰りのバスの時間を確かめて府道を山沿いに南下する。道と堤防が接する手前に貞任峠への登り口がある。草に埋もれかかっているが、円柱の標識がある。

峠の入口付近 峠入口の起点標識

 植林地の中に入ると道がはっきりしてくる。すぐに、ジグザグに切り返す坂が始まる。丁寧にジグザグが切られているため、傾斜の割には息を弾ませない。道はガレており、崩壊したところもあり、歩きにくい。ジグザグの切返し幅はほぼ同じに付けられているので、左右に行きすぎないように注意しながら、上方に道を探して登っていく。中間点標識を過ぎると、道はややはっきりし、上部では左斜め上にまっすぐな道が登っていく。

崩壊の進む峠道 中間点標識

 すぐに峠に着く。峠には覆いが壊れた小さな祠がある。峠に固有のお地蔵さんはない。訪れる人も少ないようで、峠道の崩壊は進んでいる。

 金久氏は、古老の伝承として、「古い時代には峠は50mほど南にあった」ことを紹介している。峠の入口と頂上は同じであろうが、峠道は南の斜面にずれていたかもしれない。峠の上下端には南方斜面に進む道形が残っている。現在のZ型切り返しの峠道は、急斜面をむりやり登る造形で、近代人の作為が感じられる。中世以前の自然な営為、地形に沿って歩き易いところに道を造る感覚が靴底に感じられず、この点だけ疑問が残った。

峠の手前の直線道 覆いが壊れた峠の祠

 峠の西に林道が走っており、その出合地点に貞任峠頂上の標識と峠の由来が書かれた看板がある。ネット情報によると、(NPO)フロンティア協会が、日本財団の援助を得て、地元の方々と一緒に、平成17年に貞任峠の修復作業を行ったとある。当時は植林も育っておらず、眺めが良かったようだが、現在では展望は得られない。峠の西下方には、かっては小茅という集落があったが、今はなく、田畑のあったところはコスモスパークというダートトライアル場になっている。

西方から見た峠 頂上の標識

 貞任峠から林道を北に上る。林道が尾根を横切る手前から尾根に取り付く。薄い踏み跡がある。尾根の上まで登ると、かっては仕事道であったのか、踏み跡ははっきりしてくる。大きく育った植林の下で、生え込みは少なく、歩きやすい。平坦な尾根を北上する。

尾根への取り付き なだらかな尾根道

 520mピークの手前から急登になる。息を切らせてピークに上りつくと、狭いながらも平坦地がある。これが嶽山(だけやま)城の跡である。戦国時代、土豪の宇津氏が出城を築いた場所である。(本城は粟生谷の八幡宮の北にある356mピーク) 周囲を急峻な土塁に囲まれ、堅固な山城であったことがうかがわれる。残念ながら展望はない。尾根の緩やかな西稜線には堀切が3重に掘られ、防御を固めている。この西にある嶽山の三角点(557.8m)まで往復しようと思っていたが、予定時間より遅れていたため断念した。

嶽山城跡 凸凹は防御のための堀切

 嶽山城跡から北への下りは極めて急で、登り道には使わない方がよい。降り立ったところが人尾(ひとのお)峠である。峠には錫杖を持ったお地蔵さんがあり、トタン屋根が被せてある。金久氏が書いているケヤキの木はさらに大きくなっている。峠の前後の道も太く、荷車も十分通れた大きさで、かっての往来がしのばれる。

東から見た人尾峠 錫杖を持つ地蔵

 ここから北方の尾根に取り付く。急登である。尾根の大部分は育った植林の下で、生え込みは少なく、歩きやすい。尾根筋は明瞭である。小ピークが何カ所かあり、方向を確認しながら進む。途中、わずかに1カ所、木々の間から地蔵山、龍ヶ岳、三頭山の山頂が眺められるところがあった。

尾根には自然林も残る 中央奥が城跡直下から見た黒尾山

 黒尾山の頂上からも展望はきかない。おなじみの山名標識があるだけである。周山の西方に同名の山があるので、「西黒尾山」とも呼ばれる。再び、人尾峠に引き返す。降りる時は、小ピークでの転換方向を間違えやすいので、尾根を慎重に確認しながら進む。特に490mピークが要注意である。

展望のない黒尾山頂 北山でおなじみのプレート

 人尾峠から宇津への降り道は、貞任峠よりはるかに立派な道である。古代から人と物が通った歴史が感じられ、歩きやすい道形である。しかしまもなく、生え込みと路肩の崩れ、風倒木の集積などがあり、歩きにくいところも出てくる。道ばたの花が峠道に彩りを添えている。

往時を彷彿とさせる峠道 色彩に見とれる

 最初はジグザグに降りていく道は、間もなく谷沿いの道となり、直線的に降りていく。突き当たりで鉄製の橋を渡ると舗装道に出る。近畿自然歩道の標識があり、集落に続く。地元では人尾峠にトンネルを要望しているようだ。できることを期待すべきか、できないことを期待すべきか。

峠入口の鉄の橋 歩道標識の先の左に鉄の橋

 下浮井のバス停に帰ると、13時45分であった。隣で畑仕事をしておられた農家のお婆さんと雑談していると、バスは17時までないとのこと。あわててバスの時刻を確認すると、14時50分の時刻には※印が付いていて、「木曜運行」と書かれている。おっ、これは何だ。週1回の運行などというバスがあったのか。仕方がないから、トボトボと、2時間15分かけて歩き、周山に帰り着いた。

 山歩きを始めて23年。かなりの間、「山高きを尊し」としてきたが、近年は低山ヤブ山と峠歩きを旨としている。野仏を見ると手を合わせるようになった。道ばたの名もない花の名前を知りたいと思うようになった。

                             【長岡山人 記】