大岩山・海老坂・肱谷坂 |
大岩山周辺のすばらしいシャクナゲ |
平成26年5月8日(木) 快晴 長岡山人
コース: バス停四ッ谷830−玉岩地蔵尊925−海老坂950−P6561100−大岩山1220−肘谷坂第二峠1315−肱谷坂第一峠1355−奥山谷林道1420−四ッ谷1530−バス発1539
大岩山のシャクナゲの時期を選び、海老坂と肱谷坂の古道、それに丹波広域林道を見てきた。大岩山は、南丹市日吉町と美山町の境にある758mの三角点の山である。JR園部駅西口から出る宮脇行のバスに乗り、四ッ谷(よつや)で降りる。園部駅発着のバスと日吉駅発着のバスでは四ッ谷のバス停の場所が異なるので注意が必要。バス停には地元の観光案内板があるので眺めてから歩き始める。
岡安神社の横をショートカットして海老谷に進む。集落を抜け出ると左に大きく奥山谷が広がるが直進する。間もなく左に海老谷林道の谷を分けるが、ここも直進する。
すぐに道が急になり、玉岩地蔵尊に着く。下から見上げると、城の石垣を思わせる構えである。人の少ない山奥に、これだけのお寺が守り続けられているとは。本堂の後ろには巨大な岩塊があり、半分は本堂に取り込まれている。この岩を台座として八百比丘尼(はっぴゃくびくに)ゆかりの延命子安地蔵が祀られているとのこと。
玉岩地蔵尊の先から本格的な海老坂が始まる。太い、立派な古道だ。等高線は急だが、十回ほどジグザグに折り返す作道で楽に登れる。桂川と由良川の流域境界を乗り越す西の鯖街道の峠の中では第一か。余談だが、若丹国境の峠では知井坂が第一である。
思いのほか早く峠に登りつく。西の崖に首のない如意輪観音が祀られ、その上には立派な宝篋印塔がある。これだけのものを祀る重要性をこの峠は持っていたのだろう。
峠を北に乗り越えると丹波広域林道が東西に通っている。海老坂は反対側(北側)に降りていく。(海老坂古道をなぞるように作業道が作られ、古道と平行・交差しながら降りている。古道は次第に歩かれなくなり、倒木に埋もれつつあるのが残念である。)
丹波広域林道を西にたどる。尾根伝いに忠実に歩く踏み跡もあるようだが、時間節約のため林道を歩く。頭巾山から八ヶ峰までの若丹国境尾根がきれいだ。美山町内のホサビ山、平屋富士、白尾山も見える。遠くに百里ヶ岳、芦生の山々、白倉岳も。足元に気を使わず、萌葱色の若葉と山々の景色を楽しみながら歩けるのが良い。
林道を西に進み、P656の取り付き部に至った。尾根に沿って踏み跡が上がっており、テープもある。ここを上がろうかと思ったが、まだ楽な取り付き部が先に有りはしないかと林道を進む。しかし、地図ではその先でW型のカーブを描いて行き止まりになっている。たまたま工事関係者がおられたので聞くと、林道は先まで貫通しているとのこと。このまま林道をたどりたい誘惑に駆られたが、海老谷林道との合流部の先の傾斜の緩いところから、えいっと登り始めた。同じことを考える人がいるのだろう。踏み跡があった。
すると、P656のピーク手前からシャクナゲの大群落が始まった。見事、見事、小出石の奥のシャクナゲ尾根と良い勝負だ。 ピークを過ぎると花はなくなり、尾根筋の踏み跡は下りになり、林道に降り着く。そのまま林道を進んで小ピークを一つエスケープし、その先で尾根に再び取り付く。尾根の南側にユリ道があり、次の鞍部まで進む。
その先が大岩山東ピークに続く急な登りとなる。嫌だなとよく見ると、右にかすかなユリ道の踏み跡がある。これをたどってみた。大岩山東ピークから北に延びる尾根の肩にたどり着いた。踏み跡が西北方向に降りているので降りてみると、すぐに林道に降り着いた。大岩山にはここから取り付くと一番早いのか。林道が完成・開放されると、北の玄関口になりそうだ。再び尾根の肩に登り、関電巡視路のプラ階段をあえぎながら上る。
そこが大岩山東ピークである。西に進むとすぐに大岩山三角点ピークに着く。展望はないので、すぐ西の送電線鉄塔まで行くと西から南方面の大展望が得られる。長老ヶ岳と地蔵杉が大きく、下には大野ダム。南は多紀アルプス、深山から半国山、ポンポン山方面、大きな地蔵山が見渡せる。愛宕山は、地蔵山に隠れて、かすかにピークだけが見えた。
展望に飽きなかったが、切り上げて西に進むと、再びシャクナゲの大群落がある。ちょうど見頃だった。その間、三つの大岩塊ピークが続く。一番手前が一番やっかいだったが、右に回り込んでよじ登った。
その先で方向を確認しつつ南に転じる。踏み跡ははっきりし、美山トレイルのテープが多いので迷うことはない。まもなく林道に降り着いた。最後は短いロープ場だった。
P637はパスして、西側の林道を進む。西にふくらんだところに肘谷に降りる林道の分岐がある。その尾根に肘谷坂の第二峠があると、金久昌業氏は『北山の峠(下)』で書いておられる。肘谷林道の入口フェンスの横から入り、曲がり角の南を覗くと、かすかに下に道が見えた。5mほど下って実地に見るとまさしく古道である。まだ残っていた。そのままユリ道の古道を西に進むと、峠があった。くの字型に道は折り返し、肘谷に降りている。また道は、地理院地図の点線方向にも降りている。木が大きく育ち、金久氏の本の写真とは全く異なっているが、しかしここに間違いはない。
峠を確認して元に戻り、古道を進んでいく。古道は林道の下、5m位のところに平行して付いている。古道は一度林道に合流し、その先のガードレールの切れ目から再び下に降り、そのすぐ先で再び合流する。古道の取り付きには、誰かがピンクのひもテープを残しており、同好の士はおられるようだ。
林道を南に進むと、府立大学の演習林の看板が左にあり、その裏に四ッ谷に降りていく古道の入口標柱がある。ここが金久氏の本に書かれている肘谷坂の第一峠である。
古道は太く、堂々としている。東側斜面の新緑の自然林の下を大きくジグザグを切り下って降りていく。これだけの道であるから、舞鶴方面から京都方面への物流のバイパス道であったのではと金久氏が推測されるのもむべなるかなである。
古道は下の方で作業道に合流している。逆方向から来る時、その取り付き点の発見がポイントである。作業道は、すぐ下で右に水平道を分けるが、下り方向を取る。蛇行しながら山腹を下り、川沿いの奥山谷林道に直角に降り着く。ちょうど送電線の下である。
その400m先、左からの大きな谷と出合うところが、大岩山へのメイン登山路となっている。尾根筋に関電送電鉄塔があり、その巡視路を利用している。ネットの登山情報はだいたいこのコースである。
予定のバスの時間が気になって小走りで下り、なんとか間に合った。 花、古道、新林道、丹波一国の山々に出会えた春の一日であった。
【長岡山人 記】 |
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