初心者オヤジ晩秋の奥駈道、大普賢岳から七曜岳
親父の山歩き報告(NO.74)

大普賢岳山頂、寒いな〜誰もいないな〜自動シャッター歪んでしもたがな


2014年 10月28日(火)   洛西オヤジ


アクセス:
自宅−京奈和自動車道−吉野町−R169−新伯母峰トンネル−出口直ぐ右和佐又林道
−和佐又ヒュッテ   (*復路も同コース)

コース:
和佐又ヒュッテ−和佐又のコル−笙ノ窟−日本岳分岐−小普賢岳−大普賢岳−七曜岳−無双洞分岐−底なし井戸−山腹道−和佐又のコル−和佐又山−和佐又ヒュッテ





 こんにちは洛西オヤジです、近畿地方では木枯らし1号が吹き、御嶽山では噴火から1ヶ月が過ぎ、冬の訪れが足早になって、捜索は来年春まで打ち切りとなりました。まだ下りて来られない方や、そのご家族の事を思うと辛いものがあります。一日も早いご帰還を願うばかりです。

 さて噴火の当日、劔に向かっていたわけで、もう一ヶ月が経過、相変わらず野暮用に追われ山歩きが出来ず、やっと久しぶりに近場の奥駈道に行って来ました。前日の木枯らしは収まらず自宅5時出発、和佐又ヒュッテ7時過ぎに到着しましたが、寒いのなんの震えながら支度をします。ヒュッテの駐車場は有料なんですが、前回同様管理人の人がいません、表の戸に今日は午前中留守にします、の張り紙が、まあ戻ってきて払えばいいかーと出発、7時半になっていました。よたよたと登山口に向かいます、朝日を浴びてススキが光っています、紅葉も充分残っています。

和佐又ヒュッテ前駐車場です
正面が和佐又山
朝日にススキが輝いて
まあボチボチ行きましょう

 このコースは2度目です、比較的に緩やかで整備がされた登山道をヨタヨタ進みます、和佐又のコル分岐からも気分の良い雑木林の尾根道で、風も直接当たらずよい気分で進みます。やがて目の前に大きな岩場が現れ始めます、朝日窟からはじまり代表的な霊場笙ノ窟です。此処から本格的な登りが始まります、クサリも現れ始めます、やがて上部の尾根に乗ります、日本岳分岐です。

和佐又のコルと呼ばれる分岐です 尾根は歩きやすく、紅葉も残っています
ええ感じやな〜
朝日窟とは上手い表現で
丁度朝日が差し込んでいます。
笙ノ窟の上部岩壁です
迫力あります
笙ノ窟です
修験道では重要なところだそうです
役の行者さんですかね〜古い石佛
ではないですね、石像と呼ぶのでしょうか

 此処から上部はクサリ、鉄の階段などが次々に現れますが、いずれもしっかりと整備されたもので、たまに展望が開けて気分転換になり、よい気分で登れます。ただ高度が上がると、時々吹き付ける風が厳しく久しぶりに防風マスクを被りました。

通称石の鼻辺りからの展望です
エエ天気やな〜そやけど寒いなあ〜
しっかりした鉄のハシゴ?
階段が続きます

 やがて小普賢岳の分岐に、どうしょうか迷いましたが、まあ此処まで来たのやからと向かいます、小さな案内に5分と書いてありましたが、まあとても5分では無理です。

 たどり着いた山頂は展望は無く、標識も小さな札が木の根元にひっそりと置いてあるだけ、まあ、よっぽど物好きで無い限り二度とは来ないでしょう。因みにもう一つ奥駈道を山上ヶ岳方面に少し戻った所にも小普賢岳とゆう名称の山が地図に載っていますが、果してどう違うのか、ややこしい事です。

まあ二度とはこないでしょうね〜 奥駆道に出ました
ますます風が強くなってきます
雑木は葉が無く、足元には霜柱

 小普賢の分岐から一旦下り、大普賢えの登り返しがあります、この辺りがなかなか厳しい所なんでしょうが、ハシゴとクサリでオヤジのようなヘタレでも、充分に口笛吹きながら登れます。(ほんまか)(ちょっとしんどい)やがて、奥駈道に出合います、大普賢はもう目の前、登りもほとんど無く山頂に到着、誰もいません。タダ風がものすごく吹いて寒いので、記念撮影もそこそこに下ります。

山頂からおなじみ水墨画調のショットです 山頂付近の木々には紅葉は終わり
長い冬が待っています
木枯らしが吹いてもう直ぐ冬です
雪景色も見たいですが
オヤジなんかは来られないでしょうね〜
これは初冬、晩秋、どっちでもええやんけ
(あいかわらずガラわるい、
もうちょっと品よくメッセージを)(すんません)
かまつかの実ですかね〜植物オンチのオヤジは例に拠ってわかりません 水太ノ覗

 天気は最高です、遠くの台高の山々、大台、そして目の前には奥駈の峯が連なっています、弥山の小屋も遙か彼方に見えています。奥駈のコースは信仰がらみの昔からの言い伝えとゆうか、民間信仰の面白い地名などが次々と現れ退屈しません。

 列挙しても 水太ノ覗、薩摩転げ、稚児泊、七つ池(鬼の釜ど)などなど紅葉が残る中、これらの辿り七曜岳に到着、珍しく男性二人が食事をしていました。オヤジもラーメンタイムにするかと思いましたが、七曜岳山頂は狭いので、挨拶だけして直ぐに先に進みます、奥駈から離れる分岐はもう直ぐです。

よく撮られるショットです
左大普賢、右下小普賢
稚児泊の宿坊跡ですが
昔は奥駈のいたるところに
宿坊が点在していたのでしょうね〜

 ちょうど分岐の手前で、大きなリュックを担いで登ってくる男性と出会いました。テン泊みたいな感じだったので聞くと、熊野から22日に入り今日で一週間になるとのこと、いや〜すごいです。オヤジも一度は行ってみたい熊野〜吉野奥駈道完全踏破です。最近は修験道の講の人達も完全踏破は一部の人達だけみたいです。憬れます。前鬼より南の後半部の情報等を聞き「がんばってください」と挨拶をしてお別れです。

七つ池(鬼のかまど)と呼ばれるくぼ地ですが
なるほどさもあらん。(何感心してるのや)
七曜岳山頂

 やがて奥駈けから離れて下って行きますが、これがまあ〜中々の強烈下降、比良堂満の東斜面を長くして木の根っこで歩きにくくして、これでもかと靭帯の無い下り苦手のオヤジをいじめてくれます。

奥駈道と分かれて画面手前に下ります
奥駈はこの先が行者岳です
比良の堂満の東斜面のような
急な斜面で距離はもっと長いですし
木の根が多く厳しいくだりです

 やっと平坦な尾根に出てやれやれラーメンタイム、時刻は12時半になっています。ユックリラーメン炊いて13時ごろ又ヨタヨタと歩き始めます、それにしてもこの尾根の歩きも堂満と似た感じで錯覚します。

 やがてボチボチと尾根から外れて下降しますが、この辺りは午前中のコースにくらべて判りにくく、特に無双洞への分岐が判りづらいです、陰気な斜面をボケーと下っている時、落ち葉の下が粘土質の地面で見事に足元がスベリ転倒、「イテー」しこたま右の肘を打ちつけ「いたあー、いたいがな〜カーチャンいたあ〜い」喚いても誰もいません。

急斜面を下りきると堂満に
よく似た雰囲気の尾根道で
まだ紅葉も楽しめます
水廉ノ滝で上部に無双洞が
有りますが今回もスルーです

 しかたがないので、鼻水たらして泣きながら下の谷に下ります、水廉滝です、無双洞は上部ですが、今回も直接行けませんでした。滝の横の岩場はいかにも滑りそうで、先ほどしこたま転倒して痛めつけられたオヤジは滝の写真を撮って、はい先へ進みます。

 前回も感じたのですが、食事した辺りから少し先の尾根を外れる辺りで、和佐又ヒュッテまで3時間とゆう案内が有りますが、ほんまかなあ〜と思うのですが、ほんまです、もっと掛かると思って間違いないです。

 何本かの谷を過ぎて最後の谷は大きな岩がゴロゴロありますが、その岩に赤のペンキ表示の矢印が、此処からの登りが、このコースで一番きついクサリ場です、急登で時間もかかります。やっと底なし井戸の看板が、ボチボチ急登も終わりです。

 井戸には行けないようにロープが張ってありますが、そうなると余計に見に行きたくなるのは人情で、オヤジはご丁寧に小石を落しました、相当深いのは感じられますが底はあります(当たり前や)

なかなかマニアックな矢印ですが
この矢印が無ければ100%迷います
底なし井戸
因みに小石を落としたらしばらくして
底に着いた音がしました、底あるやんか!
(あたりまえや)

 井戸から少し登った所で平坦な道に出ます。後はもう登りはほとんどなく、ひたすら斜面の中腹を進みます。これが長いのです、もうエエかげん歩いたな〜まだかいな〜と思ってからまだ相当歩いて、やっと和佐又のコルに戻れました。

 時刻は4時少し前、前回も迷いましたが和佐又山に行くかこのまま下りるか、まあ今回は寄ってみるかと直進して和佐又山山頂に向かいます、10分〜15分ぐらい掛かったでしょうか山頂に到着、まあ小普賢岳よりはマシですが、ここももう一度は来ないでしょうね〜。でも夕暮れが迫ってくる雰囲気の中で正面に大普賢が見えて、なかなかよい撮影ポイントでしょうか。

番外、和佐又山山頂
おそらく此処も二度と来んやろなあ〜
正面が大普賢岳です
やっと戻って来ました
秋の夕暮れは早いです
もう薄暗い感じがします

 問題は、その後和佐又ヒュッテに向かう下山途中で、何気なく踏み込んだ石が浮石で、ものの見事に又しても転倒、先ほどと同じ右肘を強打、今度は肩まで激痛が走りあかん〜死ぬ〜でした。(大層なやっちゃ、死んだらええのんや)とゆう声が聞こえます、がいつも転倒には慣れていますが、今回はちょっと深刻で、この報告を書いている今も右肩が動きません。

 無理に動かすと痛いです、あ〜あついにお陀仏や、(はよ医者に行きなさい)(救急車呼びなさい)(オヤジは貧乏でお金がないから、お医者さんにかかれないのです)(なにしょうもないことゆうてんのや)(ええねん日付けの古くなったサロンパス張って治すねん)(あかんわ)とまあえらい痛い目に会いましたが、早くも夕闇が迫り来る和佐又ヒュッテに、約9時間の歩きで戻って来ました。木枯らし1号の余波で風は強かったですが、晩秋の奥駈け道は最高でした。  感謝、感謝。

                             【洛西オヤジ記】