醍醐山系北端の行者ヶ森から本宮の峰を経て
黄檗までたどってみました

 
本宮の峰から岩間山方面


2015.1.17(土) 曇時々小雪 6℃   ikomochi

コース:
山科9時発 京阪バス →国道大塚下車9:10 →東総合支援学校9:30=9:40 →山道→四辻10:10 →行者ヶ森山頂10:30 →高塚山分岐昼食11:20=11:45 →横嶺峠12:00 →上醍醐開山堂12:30 →奥ノ院道 →東覗き岩13:15 →本宮の峰13:20 →峠14:00 →上炭山14:30 →長坂峠15:10 →分岐 →高峰山巻道 →黄檗体育館16:30 →JR黄檗駅








 みなさま 本年もよろしくお願いします。

 膝の調子がよくなりやっと山歩きも行けるかと張り切っていた昨年、老母と老犬が調子を崩しなかなか思うように時間が取れなかったので、今年こそは頑張ろうと思う。

 2003年頃、もう70年くらい前に宇治から上醍醐まで山の中を歩いて行ったという話を聞き、以来道を調べるために昔の文献を漁ったことがある。宇治や三室戸、黄檗からも里道を尋ね探して歩いたが、結局はどの道も五雲峰山頂に広がる日清都CCの柵に阻まれ進む事ができない。(保守管理の道がフェンス沿いにあるが一部獣道である。)

 探索は少しずつ北上し、2008年7月に上醍醐に至る道をうろうろしていたら、それまでは自由に入ることができた上醍醐寺の境内の山道が俄かに竹の柵で囲まれ、入山料を徴収する関所までできてしまった。すっかり興ざめして上醍醐山頂を避けて北上、一番北の端に大きくどっしりと座る行者ヶ森にたどり着いたのが2008年11月だった。

 ちょっと気になる行者という名の山。雑木林の平らな山頂は静か。里山の常で道が幾本もあり、一番最初行った時には山頂に行く分岐を探し出せず苦労したものだ。カズヨンさんに教えてもらいやっと山頂に立った時は、とても嬉しかった記憶がある。

 上醍醐寺は仰々しい柵を張り巡らして直ぐの1か月後8月、落雷により准胝堂が全焼し立ち入りが制限された。その後気が向くと醍醐周辺を歩いていたのだが、昨年3月久々に行者ヶ森に行こうと思い立ち、今回は新しい道から登ってみた。京都市立東総合支援学校の南側の谷を登っていくコースである。

行者ヶ森登り口 行者ヶ森四辻

 地図を見ながらたどり天社と「わらびの里」工場の駐車場から登っていくのだろうと、深く掘れた山道を歩いていると、背中に竿をしょいバケツをぶら下げた男性が追い抜いて行った。ゴム長靴を履いているので川にでも行くのか?はて??道を尋ねるついでに、「どこに行かれるのですか?」と聞いてみた。「この上に伏見城の石垣を切り出した採石場があり、大名刻印石が点在。丁度昨日見学会を開いたところ新しい刻印石を見つけたのでこれから拓本を取りにいくところだ」という。

 刻印石のことは新聞で読んだことがあったので少し話をした。「四辻から見晴台に登る道に刻印石があり分かりやすいから探してみたら」と教えてもらった。確かに、見学会のためであろうか周辺には標識目印がたくさんつけてあって、大きな岩がごろごろ転がる山中を探すと、かすかに刻印らしきものや、明らかに人の手が細工したであろう岩の切口とか発見できておもしろかった。後日、山科図書館で採石場についての資料を配布しているとのことで貰いにいった。お会いした方は会の中心メンバーのお一人であった。

 2008年の探索時に道を探していて音羽川に面した崖に人工物の石組みを発見し、なぜこんな山の中にこんなものが?とずっと気になっていたのだが、この石組みも石切り場の石を谷に転がすための擁壁だったのではないかと調査中であると知り、ますます興味をもったものだった。そんなこんなで気になる行者ヶ森である。

 今日は昨年秋に高塚山で出会った方から、あの上醍醐も入山料なしで通れるようになり三角点まで行けると教えてもらったので、行者ヶ森から三角点まで行ってみる計画である。 年始以来大雪荒天が続き、この週末も予報が芳しくない。センター入試の日は毎年荒れている。朝予報を確認すると昼までは持ちそうなので、エスケープルートもたくさんあることだしと予定通り山科駅からバスに乗った。

 朝日に輝く行者ヶ森の塊を目指して歩き、わらびの里工場の南側を山に入る。落ち葉が堆積した古い道をさくさくと歩く気持ちよさ。古い道形は谷の崩落で消え斜面をジグザグに登っていく。急な登りで息が上がる。「四辻」の分岐を左へ坂を上ると、苔むした大岩小岩がごろごろして少し奇異な光景だ。このあたり大名刻印石が点在しているので、大岩をひとつひとつ探してみてください。

巨石が点在する 大名刻印石

 トラロープが張ってある斜面をよじ登ると、見晴らし台の広場。少し南に進むと大杉の一群があり、「行者ヶ森」の山名板がかかっている。雑木林と植林が混在した薄暗い森で、いつ行っても誰にも会ったことがない。

 山中を岩屋神社から登ってくる広い道へむかう。かつては牛尾観音や上醍醐寺への往来で賑わった道だろうか、幅広く整備されている。この道から行者ヶ森に入るのに分かりづらく随分探したものだ。標識が木の裏にあり地図をみて考えねばならない。

 今は山科ハイキングクラブ作成の標識があるので分かり易い。この標識には感心した。杭を打ち込んで、小さいがよくわかる案内札がさり気なくつけてある。某山の会が新たにトレイルを作ろうと頑張っているが、黄色のテープに○○トレイルとマジック書きしたものを木に巻きつけているので呆れて撤去し、山の会の人に注意したことがある。今でも山中には黄色テープが巻いてあるそうで、見かけた人が何の意味か どこに行くのかも分からないと話していた。なにかしたいと考えるならば、木を傷めず山の風景も壊さず、しかも分かり易いこんな標識作成に手間暇をかけてほしいものだと考える。

 山道を南に醍醐北団地へ至る分岐を過ぎ、高塚山分岐へ。桜馬場へ至る谷道は崩落がひどく、昨年行った時は古い道の先が突然崩れていてびっくりしたものだ。今は地元の方が梯子をかけてくださっていて歩きやすくなっている。

よく考えてある標識 北醍醐団地への分岐

 11時過ぎ天気予報通り風が強く吹き始め、小雪が舞う。ひんやりとした空気が気持ちよくシャツだけで歩いてきたのだが、あわてて帽子手袋ゴアの上着を着込む。いつもは音羽山や醍醐山から歩いてくるハイカーに必ず出会う高塚山分岐、今日は誰もいない。風を避け木立の下で昼食休憩。おにぎりも冷えて固くもさもさ。温かいお茶やパンでお腹を満たす。尾根の車道を少し行くと横嶺峠。お地蔵さんには正月のきれいな花が飾ってあった。

 ここから山道に入り上醍醐に至るのだが、以前は大きな立ち入り禁止の看板と柵が行く手を阻んでいた。今は柵もなく、階段を上がるとすぐに尾根道に出た。後ろから足音がして男性がやってきた。横嶺峠からの入り口が分かりにくく迷ったという。山頂から水晶谷に下ってみるというその方とご一緒した。

 この道は上醍醐の参詣道に出る手前にトラロープが張ってあり、一応は通行止めらしい。以前立て看板があったというが撤去されていた。ロープをまたいで境内に入り、五大堂にお参り、ここで男性と別れた。2月には五大力さんの餅あげ力比べで賑わう境内も、一人女性が上がってきただけで静か。開山堂の見晴台は雲に覆われ、残念ながら大阪方面は何も見えず。

横嶺峠分岐 五大堂

 奥ノ院一の鳥居をくぐり、薄暗い山道をたどると二の鳥居に出る。道標があり笠取から岩間寺に至る道が東へ下っていく。二の鳥居から南に山道を下る。よく歩かれているのか気持ち良い山道である。道なりに行くと、役行者さんと観音さんが彫られた古い石の道標が分岐に立つ。

 薄暗い道を奥ノ院へ向かう。もう随分前に歩いただけなので記憶が定かでないが、明るい尾根道を歩いたような。三の鳥居に出て、どうしようか迷ったが、奥ノ院への道は谷へ急坂で下っていて落ち葉で滑りそう。鳥居の手前に尾根に登る踏み跡があり標識もあったので、こちらへ進む。

 尾根の上には道があり南へ進む。すぐに分岐。古い矢印が指す方向は、また谷に下っている。どうだったっけ?とりあえず矢印にしたがって細く滑る道を気を付けながら下ると、突然目の前が開け、奥ノ院「東の覗き」に出た。そういえば、前にもここに来たっけ。笠取の集落が眼下に見えるが今日はあまり見晴らしがよくない。覗きの大岩までは下らず、遥拝所で景色を眺めた。

役行者さんの分岐 東の覗き

 また急坂を元に戻り、分岐からすぐで本宮の峰の三角点に到着。かつては山道なのか山頂なのかもはっきりせず藪道の隅に三角点が埋まっていたのが、小さい広場などできていた。山名板も増えている。プラ板の手作り地図が劣化して読めなくなっているのが残念だ。

 午前中の雪が嘘のようで温かくなってきた山道を、炭山の東海自然歩道を目指して行くことにした。山頂から直ぐに分岐があり、笠取のハイキングコースかなにかの標識がある。この山も一般的になったみたい。関電の荒神口線という送電線の標識が多くなり送電鉄塔への案内板があちこちにある。紐やテープはないが標識でにぎやか。

本宮の峰山頂 三角点にあった地図 今は消えて読めない

 三角点から40分も歩いたところで、深く掘れた道に出た。標識によると笠取と炭山の峠だ。地図は持ってきたのだが三角点あたりで切れていて南の先がないから、この峠付近の様子が分からない。山道は尾根伝いにまだ行けそうだが、勝手の分かった炭山にとりあえず下ることにした。

笠取への分岐 峠を炭山へ

 昔々からよく歩かれていたのだろうなと、丸くえぐれた峠の窪みを下から見上げる。このような峠の常で、峠直下は崩落し道が怪しいけれど、すぐに水平のよい道が現われ、沢沿いに出ると今でも使われていそうな山道があった。30分ほどで流れが広くなり人家が見えた。簡易舗装の道を行くと、上炭山のお地蔵さんがある四辻に出た。ここから笠取に近道があると聞いたことがあり、入口は車も通れる道だから車で笠取に山越えできるのだろうか それにしては地図に記載がないなと長年疑問だったのだけれど、そっか こんな道だったのですね。納得。

沢沿いを炭山へ 上炭山 お地蔵さんの分岐

 お地蔵さんの祠の前で犬と散歩中の女性に出合い、犬と遊びながら長坂峠に向かった。久しぶりの炭山、2012年の豪雨の影響は大きく崩落した山肌を塗り込めたコンクリートに痕跡を残すくらいで、小住宅地などがそこここにでき、静かな山里の趣が様変わりしていた。とまどいながら車道を歩いていると、小学生やおばあさんが「こんにちは」と声を掛けてくれる。そのあたりはまだ昔のまま。

炭山 災害の跡 長坂峠分岐

 足の親指が靴擦れで痛いのだが、生憎バンドエイドをきらしていて最悪の状態に。舗装道用の替え靴も持ってこなかったし、足を引きずり歩く車道が長く感じる。40分ほど歩いて、やっと炭山と日野を結ぶ車道分岐に出た。長坂峠の入り口で太腿が痛くなり、道端に座って靴下まで脱いでゆっくり休憩した。。

 長坂峠は地元の人が生活道として使っていたので、車も通れるくらいの幅がある。荷車とか往来していたのだろう。長坂というから長いが、最初だけ登りが急であとはゆるゆるとした峠道だ。ゴルフ場入口の車道を渡り、簡易水道の施設の横を左に入ると、高峰山を巻く林道に出る。静かでのんびり歩けるから炭山方面の往復に使う。

 高峰山から流れ出る沢は、2012年夏の豪雨か、3m位の大きなコンクリートの橋がそっくり下流に流され放置されたまま。沢は確かに急だけどたいした大きさでもないのに、どれだけの雨量やったのだろうかとその力の凄まじさに驚く。下流域で決壊と床上浸水を引き起こし、大災害になった訳だと納得。当時、このあたりの山から一斉に水が宇治川向かって駆け下りて行ったのだろう。

長坂峠から高峰山へ 橋が流されている

 テニスコートに響く球音が聞こえてくると黄檗体育館の上に出て、やれやれ今日はよく歩いたと、公園のベンチでしばし休んだのち、黄檗の銭湯に一直線で飛び込んだ。湯上りのビールは最高でした。あーさっぱりしました。

 しかし、どんなに近場でもどんなに低山でも何があるかわからないから、(特に歩きながらコース変更する私にとって)広域地図と替え靴・足痛サポートグッズは必需品だなと反省した次第です。

 帰ってから地図で確認したら、上炭山の峠口の対岸に供水峠の入り口があり、峠道は日野・炭山・笠取を結んでいた。今度は笠取に越えてみよう。また楽しみが増えました。

山科から行者ヶ森を望む


                        【 記: Ikomochi 】