小桜谷からナベクロ峠

 
ナベクロ峠表示板


平成27年4月9日(木) 晴              長岡山人

コース:
小野郷バス停8:00−小桜谷入口9:40−P842 11:00−ナベクロ峠12:00−祖父谷道合流12:30−岩屋橋バス停13:55





 ナベクロ峠は気になる峠である。初めて歩いたときは、この地形のどこが峠?と思った。金久氏が、『北山の峠(中)』で詳しく疑問点を解説されているが、全く同感である。

 その中で、地元大森の人の声として、「ナベクロ峠は小桜谷から行くのが一番近い」と書かれていたのがずっと気になっていた。雪の消えた直後、草が生える前、この時期しかないと探索に出かけた。

小桜谷入口 小桜谷全景

 小桜谷の入口は予想外にしっかりと太い道があった。これは期待できる、と左岸を登っていく。すると、金久氏が書いておられるように、谷が左右に分かれる。右俣にしっかりとした道が続いており、こちらを詰めてみたい誘惑に駆られる。しかし氏は、中間尾根を登ると書かれている。予想以上に急傾斜で、踏み跡はない。

 これが峠に行く経路かと思ったが、金久教徒としては、しかたないと足を踏み出す。尾根は下端が一番急なのはわかっているが、ジグザグに歩を進め、左右に踏み跡を発見できないか、植林の下を登っていく。

中間尾根の取付点 急なのでゆっくりと登る

 30分も登ると、かすかな道に出会った。右下から左上に斜めに登っている。左上に少し詰めてみたが、どんどん目的方向からずれるので元に戻って忠実に真上に登っていった。尾根スジまで登り付くと、尾根には立派な踏み跡が付いていた。関電の巡視路のようだ。

斜めに付いていた踏み跡 尾根には巡視路

 少し登ると、関電の鉄塔に着いた。反射板ピーク、ナカマタ、地蔵山から愛宕山連峰がよく見える。少し登ると次の鉄塔があった。ここも展望は良い。さらに巡視路を登ると、急傾斜になり、おなじみの黒いプラ階段が敷設されていた。このまま尾根を登ると目的地と離れてしまう。東の尾根に移らなければと考えるのだが、その道は発見できない。

最初の送電線鉄塔 急なプラ階段を登る

 とうとう842mピークにまで登り着いてしまった。当初の目的追求のため、真南に尾根を下ってみた。その尾根も巡視路になっていて、すぐに鉄塔に着いた。その鉄塔から、送電線に沿って東北方向に急な巡視路階段が続いていた。

 ここが金久氏が書いておられた地点かな。金久氏は、この巡視路が大桜谷の上部を巻いてナベクロ峠に行くのではと推測されたが、氏はこの方向を詰めず、城丹国境尾根を迂回された。ならば僕が試してみよう。

842mピークの広場 鉄塔からの下りの巡視路

 下りの階段はすぐに終わり、あとは崩壊斜面になってしまった。巡視路の続きがどこにあるのかわからない。しかたなく大桜谷に降りていった。しかし谷まで降りると金久氏の推測路と違ってしまう。。

 山腹に巻き道か、巡視路の続きがあるのではと、山腹を登ったり降りたりして、送電線に沿って進んでみた。しかし道らしきものは発見できない。谷底は間伐材が積み重なって歩きにくそうだ。谷底から20mくらい上を、谷に平行に登っていく。

植林の下を探りながら進む 大桜谷は歩きにくい

 谷は、東に方向を転じ、大きく育った植林の下を登り続け、そしてナベクロ峠に飛び出た。

 峠の手前で、大桜谷の右(北)斜面を巻くような道跡がないか、注意してみたが発見できない。大森の人の説明はどういう意味だったのだろうか。僕は大桜谷を歩いたことがない。しかし地図で見ると、谷の下部はかなり急に思える。だから小桜谷から緩やかな尾根スジをたどって、大桜谷の上部に移り、ナベクロ峠に至る道は、地形的にはあり得ると思う。しかし、その痕跡すら発見できなかった。

ナベクロ峠直下 南から見たナベクロ峠

 ちょうど12時だった。急げば岩屋橋からのバスに間に合うかもしれない。そのついでに、祖父谷までの道も探索してみた。2度目なので、土地鑑はある。

 ナベクロ峠から祖父谷に下る道は、かつては立派な道跡があったが、今は木が生え、倒れ込み、見る影もない。木をくぐりながら、降りてみる。かすかに道跡はわかる。谷の斜面を大きくカーブしていく。谷に下らないように注意し、高度を維持し、山腹を巻く感じで、次の小尾根、次の小尾根と山腹を巻いていく。道跡はなくなるが、巻き道があったとすればこの位置、という場所を進んでいく。

祖父谷への下り口 見当を付けて山腹を巻いていく

 その先に、若干下る場所がある。谷に下りきらず、脇腹を進んでいく。今は生え込みがないが、もう少し経てば歩きにくくなりそうだ。最後の小尾根の部分は低木の生え込みが多くなるが、かすかな踏み跡がある。

この先で少し下る この切り株を乗り越す

 右下に植林が見えたら、そこに降りる。すると道が発見できる。道は折り返して、祖父谷に降り着く。祖父谷峠を少々下った、谷の小分岐地点で、プレートが落ちている場所である。

 この道は逆にはたどりにくい。上方から進路を推測できる下り方向に、生え込みがないときだけ、しかも自己満足的にたどる道跡だ。

入口の黄色テープ 祖父谷からの入口地点

 ナベクロ峠から祖父谷までは、金久氏が推測されているとおり、古道があったと思われる。尾桟敷からナベクロ峠を通り、祖父谷上部を巻いて祖父谷峠に至る道である。

 バス停に急ぎながら、谷を覗き、この峡谷に道を穿つ力がなかった頃は桟敷ヶ岳の尾根道(尾桟敷)が交流道であったのもむべなるかなと思った。

                             【長岡山人 記】





歩行地図