河原峠(こほろとうげ) |
河原峠は作業道が交差 |
平成28年3月16日(水) 曇 長岡山人
コース: 栗尾バス停8:10−古道探索取付9:05−河原峠10:25−河原谷側古道再探索−河原峠11:10 −余野別荘地11:25 河原(こほろ)峠は、周山栗尾から余野、大森へと結ぶ峠である。 国道162号の車道ができるまでは、余野坂とともに京と周山を結ぶ古道の一つであった。 「峠も歴然と存在し峠道も瞭然と残っているのに、取り付き点のみが両側ともわかりにくい」ので残念であると金久昌業氏は『北山の峠(中)』で書いておられる。 しかし、ネットでの歩行記録も見当らないので、地理院地図を頼りに探索してみた。 周山の手前の栗尾町でバスを降り、東に延びる舗装された林道を進む。 山もよく手入れされており、林業のおかげで道も保全されている。 40分ほど歩くと、道はヘアピンカーブして山を登っていき、余野に越えていくが、カーブのところを直進する。 地道になるが立派な林道が続く。 左右の谷に林道支線は分岐するが、本筋の谷を進む。
カーブ地点から15分ほど進むと、地理院地図では破線で山に取り付くように書かれている。 林道はまっすぐ谷沿いに進んでおり、山に取り付くような踏み跡はない。 地図を信じ、この地点から取り付いて調べたが、結果的には間違いであった。(後記補足) 正しくは、その場所からさらに100mほど登る。 そこに谷の分岐がある。 林道は左に伸び、すぐに行き止まりとなる。 峠道はその谷分岐を右に取り、進むのである。
しかしそこから先の谷には道がなくなり、生え込みと倒木が多くなる。 谷に入るのが躊躇されるが、木を潜り、倒木を乗り越えて進む。 苦労して50mほど登ると再び谷の分岐がある。 そこは左に進むと、古道の痕跡がわずかに見られ、さらに50mほど登る。
すぐに、倒木が密集し、右手は崩壊している地点に行き着く。 古道はここでたどれなくなる。 そこでやむを得ず、右手の急斜面に取り付き、植林で体を支えながら、むりやり20mほど直登する。 この部分、金久氏も進路困難点として書かれている。
すると立派な古道に出会う。 幅広で歩きやすいジグザグの道である。 道の中央に植林されたところもある。 屋根だけ残った小屋の横を登っていくと、すぐに最近造成された作業道に出合う。 そのすぐ上が河原峠であった。
峠地点は三方向の作業道が交差しており、かつての峠を想起させるものはない。(冒頭写真) 東に作業道は降りていくが、そのすぐ右側に古道が分岐し、峠道が残っている。 堂々とした立派な古道だ。 作業道と接したりしながら、谷に沿って降りていく。
平坦地まで降りると道は分岐する。 右は、植林地のネットに沿って進み、小屋でカーブし、すぐに余野の舗装道に出る。 そこは3本平行する送電線の最も北側の直下である。 ネットがあるが、すそを持ち上げて出る。 金久氏が書いておられる入口である。
ただ、夏の時期、草が生え混んで進入を尻込みするのなら、先ほどの分岐を左に進んでも舗装道に出られる。 この部分、逆から入る時は、別荘地の2軒目が安井幼稚園の「木夢の家」であり、その反対側が入口である。 木の橋を渡り、林道に入ってすぐ左下に細い道が分かれる。 それを進むと、先ほどの分岐点に着く。
峠の前後には立派な古道が残っていた。しかし峠は作業道で壊され、河原谷側は山地崩壊と倒木累積できわめて歩きにくい。 古道マニア以外にはお勧めできないが、地理院地図が間違っていることの報告としたい。 (補足) 地図の破線路の状況 地理院地図が示す取り付きはこの位置と見極め、谷を渡って取り付いた。 急斜面だが、よくよく山肌を見るとかすかなテープ印があった。 試行者はいるようだ。 かすかな踏み跡があったがすぐに消え、倒木が邪魔する斜面になる。 右手に巻いていき、小尾根までたどり着く。 植林下の尾根筋は何とか歩ける。 踏み跡がいろいろあったが、植林管理のものだと思われた。 尾根筋をジグザグに登っていくと、左手に鹿ネットが出てくる。 そのまま登っていき、送電線鉄塔のあるピーク手前までたどり着くと、造成中の作業道の終点があった。 作業道はそのまま、河原峠まで尾根に付けられていた。 地図では、山頂直下北側を横切るように破線が入っているので、峠や道の痕跡を丁寧に調べたが、発見できなかった。 ここまで崩壊したのかとあきらめ、破線路のとおり、余野側に下っていく途中で、一つ北側の谷に立派な古道が残っているのが発見された。 そこで古道を登り返し、峠が発見でき、河原谷に一度降りて調査し、再度登り返した。
【長岡山人 記】 |
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