奈良奥駆道 笠捨山〜地蔵岳

初心者オヤジ初めての南奥駆けはヤバかった〜
13日の金曜日はいやな予感がしていましたが大当たり
はっはっはっ 肋骨2〜3本折れた〜
親父の山歩き報告(NO.115)

 笠捨山山頂、オヤジ狸や、けったいな顔やな〜


2016年5月13日(金)   洛西オヤジ


アクセス:
自宅から車ー京奈和ーR169−下北山村上池原ーR425−白谷トンネル東口駐車場

コース:
・白谷トンネル東口ー南奥駆け道出会いー行仙岳往復ー行仙宿小屋(佐田辻)−笠捨山西峰ー槍ヶ岳ー地蔵岳−笠捨山巻道ー行仙宿小屋ー奥駆け出会いー白谷トンネル東口





 こんにちは洛西オヤジです、前回の奥駆け道で北と南の分岐太古の辻で次は南やな〜と思いを強くしたオヤジ、今回は南最初の主峰笠捨山(仙ヶ岳)に行くことに。ただ13日の金曜日は過去の山歩きでもヤバイ事があったような記憶があり縁起担ぎの大好きな(ほんまかい)オヤジは気になりつつ、まあとりあえず前日の夕方6時ころからチンタラ奈良に向かってスタートです。

 途中コンビニによって明日の食料(朝と昼)など買い込みながら、下北山村の池原からR169を離れ十津川村(R425)にむかいます。10時を回ったぐらいに到着、思ったより道も広く行者還りトンネルよりは楽に走れました。ただもちろん真っ暗闇、車はオヤジだけ、登山口の前のスペースに停めてお休みなさいです。

白谷トンネル東口です 笠捨山登山口

 目が覚めるともう明るくなっています。ヨタヨタそれこそパジャマからお着替えコンビニおにぎり朝食、良い子は歯磨きちゃ〜んと済ませておはようございます。今日も元気に歩きましょう、と出発しますが奥駆けの尾根に出るまではどこもシンドイです。

 写真で見られるように鉄の階段が続きます。ヨレヨレオヤジはマップでは45分の所要時間のところ1時間以上かかって何とか奥駆け道に乗りました。右に約10分で行仙岳とゆうことなので往復することにしました。

どうも関電(?)の巡視路みたいです
登り易そうで結構こたえます
奥駆け道出合い、おなじみの案内柱です
行仙岳まで往復します
行仙岳山頂  立派な電波塔(?)あります

 出会いに戻って南下、行仙宿に向かいます。30分くらい歩いたでしょうか行仙宿(小屋)に着きます、前鬼から入ると最初の宿泊地になるところです。思ったよりきれいでしっかりした設備です。ただ水場は10分ぐらい下がったところみたいです。帰りに時間があれば見に行こうと思いながら先に進みます。

 やがて杉の老木、八大金剛童子を過ぎてアツプダウンを繰り返しながら笠捨山西峰に到着10時過ぎ、どうするかせっかくやからもう少し先に進んで地蔵岳あたりまでのびるか!。とにかく正午になった時点で引き返すつもりで先に進みます。まあそれが悲劇の大笑いの端緒でしたがとにかくヨタヨタ又相当下って鞍部へ降りてきました。

奥駆道から西南方面三重県境になるのかな〜 行仙宿
水場への案内 老杉と八大金剛童子
(行場はそれこそいくつも出てきます)
シロヤシオとつつじ 奥駆けでキリシマツツジ?
・・・ 鞍部になります、葛川辻、水場10分の表示
この先は水場はずーと先の
玉置神社までないみたいです

 南奥駆けはとにかくアップダウンの連続だとは聞いていますが、なるほど応えますね〜。この先の槍ヶ岳(なんやどこかで聞いた事ある山やな〜)なんとゆうこともない、気を付けていないとそのまま通過しそうな。ただし行場の厳しさはしっかり感じる(どうなんやねん)小ピークです。

 すぐに続く地蔵岳への厳しい登り、行場特有の鎖場がありますが、登った先は地味な山頂、ポツンと小さなお地蔵さん、もっと他に山名由来の石の地蔵さんらしき物はと見ましたが見当たりません。

槍ヶ岳へ向かいます 山頂の下の石標10mほど鎖につかまり山頂へ
地蔵岳への鎖場 地味な展望無の地蔵ヶ岳山頂
ポツンと金色のお地蔵さんが、ほかにないのかな〜

 時間は正午前、ボチボチ戻ることにしました。槍ヶ岳から鞍部に向かう途中で、お、なんや、白のうちわ、ちゃうな。普通に上からパチャと撮ッときゃよいものを腰を落としてパパパシャズルズル(なんやなんや)後ろに下がったところずり落ちた、だけなら良いのに停まらへん。

 アカン、あかんウワー、あ〜停まった、停まったけど体にブラ下がってるカメラの紐が木の飛び出た根っこにひかかって、右足にかろうじて石らしき感触が。しかし小さいので力が入りません。左手で紐の引っかかってる根っこつかんでいますが、わき腹が痛い!圧迫されているのです。

 もう後はどないしてよじ登ったのか・・・、何とか元の場所に這い上がって、しばらく息ができずにうずくまっていました。10分以上じっとしていました。

ずり落ちる前にシャッタ切ったみたいで
ピントが左の枯草に合っています

 幸運だったのはリュックを下していたこと、カメラの紐が丈夫だったこと、もちろん引っかかったこと、とりあえず立ち上がりリュックを担ぎますが左のあばらに激痛が走ります。息が苦しく歩くのがちょっと辛い状況でしたが、何とか息を整へゆっくり歩きだしました。

 ちょうどその時後ろの地蔵岳から法螺貝の音が聞こえました。ゆっくり歩いていると比較的に若い単独の修験装束の男性が追いついてこられました。心配かけるといけないので先ほど起きた事は話さず挨拶して先に行ってもらおうとしましたが、しばらくゆっくりと話をしながら歩いてくださいました。後で思うにやはりオヤジがバテテいるのを気使われたのではないでしょうか。

 高野山の僧で熊野本宮から入ってこられて吉野まで行かれるそうです。今日は行仙宿で宿泊そのあといったん前鬼の宿坊で二泊ほどしてそのあと北奥駆を吉野まで行かれるそうです、「贅沢な旅をさせてもらっています」と言われていました。昔の修験者は70日ほどかかって歩かれたそうです。それはそれで凄い話です。

 もちろんオヤジはわき腹の痛さを忘れて話をきかさせてもらいました。一番気になる水場の事、行程の事、宿坊の事いろいろ教えてもらうことができました。やがて葛川の辻、ここからの笠捨山山頂までの登りは息が十分にできないオヤジはきついな〜と思いましたが、行仙巻道の表示が目に付きました。修験僧の話によると高圧鉄塔の巡視路に使われているとの事で、オヤジはバテテいるので名残惜しいのですが(こんなチャンスめったにないです)巻道で戻ります、と告げてお別れしました。

 不思議なものでそれまでやはり緊張して歩いていたのでしょうか、一人になると痛みが増して息も苦しくなってきます。巻道はそれほどの高低差はなく続きますが長くかんじます。どれぐらい歩いたでしょうか頭の上から法螺貝が聞こえます、あの修験僧が笠捨の山頂について吹かれたのだな〜とわかりましたがこの巻道があとどれぐらい続くのやら、まさか飛んでもないところに向かっているとは思われないのですが。その時、そうや〜まだ昼飯食ってないのや〜、やはりね〜相当動揺しているのやな〜、まあ一度足を止めておにぎりを食べましょう。

笠捨山下の巻道
今のオヤジにはありがたい平坦さです
同じく巻道、整備はされています
やっと行仙宿(佐田辻)に戻ってきました

 何とか食事を終えて歩き出しましたが、やはりわき腹の痛さと、息苦しさは続き辛い歩きとなりました。何とか行仙宿に戻れたのはもう15時を大きく回っています。あの修験僧が着いておられないか覗いてみたのですが不思議なことに見当たりません。法螺貝を聞いてから相当時間がたっています、もちろんついておられるはずですが水を汲みにいかれたのか、それにしては荷物も見当たりません。気になりつつオヤジは行仙山頂への分岐に向かいます。

 少しの登りですがこれが又辛かったです、やはり笠捨山への登りは無理だったような気がします。ようやくたどり着いたトンネル東口への分岐、もう16時を回っています。ここからは下りだけで、やはりここでも巡視路鉄梯子が比較的に下りやすく助かりました。しかし時間は登りよりもかかって1時間以上、何とかR425のアスフアルトに足が着いたのはもう17時を回って、山間の事でもあり日は陰り薄暗くなっていました。

 とりあえず着替えてゆっくり痛む個所を指で押さえます。飛び上がるほど痛みます、過去の経験から2〜3本かな〜、それより呼吸が気になります。まあ肺が重大なことになっていればこれぐらいでは済まないでしょうが。何もないので膝関節などの痛むときに塗る軟膏を擦り込みゆっくりと車を走らせます。

 携帯がつながる地点でカーチャンに帰りが相当遅くなると連絡、「どないしたん、えらい遅いのやなあ〜」と。具体的には心配させるので詳しく報告せずに「ちょっとアクシデントや」とだけ伝えてチンタラ戻ります。峠の途中で目の前に墨絵のような景色が広がります。

雲が厚く垂れこめてきています。
今のオヤジの心境みたいです。
(大層なやっちゃな〜あばら2〜3本折ったぐらいで)

 さてさて何とか無事に(どこが無事や)帰還できました、いつも皆さんが危なっかしいな〜とあきれられているのはよく聞きますし、お叱りも何度か受けたこともあります。まあ典型的な高齢者の山の事故でたまたま運よく助かっただけで、それでは山歩きする資格はないとのご指摘を受けるのも充分承知しながらこの報告を書いております。何年たっても初心者のまま。まあ痛いのは自分持ちで、ガマンせい、と笑ってお許しください。

 しかしこの報告を書いている時、ふと頭に浮かんできたのはあの修験僧です。巻道まで一緒に歩いてもらいましたが、不思議にあの時間は痛みがそれほど感じていなかった(だからゆっくりでも一緒に歩けた)し、巻道を見つけたのはオヤジですが(マップには載っていない)いけますと説明を受けました。

 何より不思議なのは行仙宿で姿が見えず、荷物も見えなかったのが今もって不思議なんです。そういえば登場の仕方が法螺貝が鳴り響き現れました。そしておそらく笠捨山の山頂で吹かれたであろう法螺貝を聞いたのが最後でその姿を見ることがなくなったのは、あまりドラマチックに書きたくはありませんがオヤジの胸に鮮明に残る記憶となりました。   感謝 感謝。


 追記:
帰宅はやはり11時を回りカーチャンには心配をかけました。翌朝土曜日ですが近所の整形外科でレントゲンを撮った結果、オヤジの予想どうり3本前後肋骨の骨折との診断でした。全治3週間から1か月でしょうか、競馬の予想は外れるのに、こんな予想は当たるのです。心配した肺は大丈夫とゆうことでやれやれです。。。

                             【洛西オヤジ記】