初心者オヤジ奥駆け継ぎはぎ歩き(?なんのこっちゃい)
奥駆け大普賢、山上ヶ岳
2018年5月25日(金)

奥駆けまだ歩けていないところがあります。
(一気に歩かんかい、それが本来の姿やろがあ!)
老いぼれオヤジには無理です、一週間以上かかります。
親父の山歩き報告(NO.181)

先着の方にシャッターをお願いしました


2018年5月25日(金)   洛西オヤジ


アクセス:
京奈和自動車道ーR169-和佐又口ー和佐又ヒュッテ駐車場(前日車中泊)

コース:
和佐又ヒュッテ-笙の窟-東小普賢-奥駆け道出合-大普賢岳往復-北小普賢-阿弥陀ヶ森-小笹宿-山上ヶ岳復路も同じルートで大普賢はもちろんスルーです。





 皆さん歩いてますか~洛西オヤジです。世界遺産奥駆け道、ね~いい雰囲気ですね~。オヤジも機会を見ては歩いていますが、なかなか吉野から本宮までの全行程は歩けていません、もちろん一気に歩くのが本来の修験道のあるべき姿でしょうが、なかなか現在は無理な状況があります。

 もちろん行かれる方もおられます。信仰の為自分自身へのチャレンジ、まあいろいろでしょうが、オヤジはそんな難しい必死の覚悟でとゆうわけではなく、ただ全行程を歩きたいな~とゆう単純な思いで歩いています、とまあそんなわけで、今回は大普賢から北、実際は山上ヶ岳までのルートになります。

 大普賢は何回か登頂しました、そのあと七面山まで南下しています、先の行者還りはトンネル西口から歩いた経験がありますが、北は未踏なんで今回行くことにしました。ただコースタイムは10時間以上なので、久し振りに和佐又ヒュッテ前日車中泊となりました。

 前日早い目にディナー(なに、なに、晩飯を食ったでええのんや)を済ませチンタラ、まあ通いなれたと申しましょうか、22時ころ和佐又ヒュッテに到着、眠剤飲んで、はいお休みなさい。

おはようございます は~い出発で~す

 25日早朝5時前に、のそのそ起きだします。もちろんいつものパジャマ姿、ヒュッテで洗顔、まだ誰も起きてきていません、駐車代を払いたいのですが、まあ毎度の事ですが降りてきてからでいいでしょう。

 モーニングをすませ(又かい、朝飯を、と書け!)ヨタヨタ出発です、え~早いなあ~6時やで、何回目かな~、3~4~5回目?(おかしな表現するなあ!)まあどうでもよい事ですが、さすが迷うことなく(当たり前じゃあ!)約1時間笙の窟、さすが修験道の霊場行場、いつも身の引き締まる思いで(ウソつけ!)いや本当に身が引き締まる思いで、これから始まる急登に向かいます。(お~なかなか、うまい事持っていくやんけ)おおきにおおきに(すぐ調子に乗るなあ~)

緩やかな尾根に到着 新緑の中をルンルン
天気もよさそう
赤い色が新緑に映えます
代表的な笙の窟
ここから始まりまんねん(何がや)
急登出んがな
尾根に出ます、日本岳のコル

 先ずはクサリにしがみついて(ちょっとオーバーです)日本岳のコルに、そこからはハシゴの連続、いつも思いますが、昔はこのハシゴない時は、どないして登ってたのかな~と思います。やがて一番展望が良い石の鼻、ちょっと休憩して展望を楽しみます。

石の鼻
なんかそのものズバリのネーミングです
石の鼻に立って台高方面

 さていつも書きますが、小普賢の分岐、ややこしい事ですが、今日はもう一つの小普賢に行来ます、つまり大普賢から北の尾根にもう一つあるのです、(ほんまややこしいこっちゃ)さていったん鞍部に降りて、ますますハシゴに頼りながら、何とか奥駆け道に出会います、やれやれいつも書きますが、奥駆け道に出合うまでが大変です。まずはいったん大普賢に向かいます。

ハシゴ、ハシゴ、の連続です こちらの小普賢は
この分岐から上部へ直登10~15分で山頂です

 山頂には先着の男性4人組がおられました、山上から来られたそうで、昨日吉野から入られて、山上宿坊泊り、今夜は弥山小屋、その後前鬼までとゆう最近の北奥駆け縦走の代表的な歩きです、いや~すごいですね~「頑張ってください」とあいさつを交わしてオヤジは北へ4人組は南へ、オヤジは出合に戻り初めての山上ヶ岳への歩きです。

何とか奥駆け道に出合いました。ヤレヤレ 大普賢山頂です。縦走中の先着4名
山頂から、弥山八経さらに奥に続く奥駆け道 北の小普賢(ややこしいなあ~)

 まずは北の小普賢、行場らしくお札が沢山ありますが、展望はよくありません。先を急ぎます、又このコースをもどってくるので、あまり下るのはいややなあ~と思いながらも進みます。奥駆けらしい雰囲気の中をヨタヨタです。

シャクチャンがまだ綺麗に
お出迎えしてくれました
奥駆け道らしい雰囲気です

 やがて阿弥陀ヶ森の分岐、女人結界門があります。R169の柏木方面からも来られます。そうそうここに来る手前でおおきな岩場の脇の宿にテントが一張、縦走者かなあ~と思いましたが、後程どうやら違うなあ~とゆうことになります。登山者とゆうのでしょうか、修験者はおられなかったですが、遭遇したのは山上から来る男性二人組と単独男性だけでした。

脇の宿テント一張 お馴染み女人結界門阿弥陀ヶ森
小笹宿 ここは今でも泊まれますね~
内部です さあ~まだ先は長いです~

 まあそれはともかくヨタヨタチンタラのオヤジ歩き小笹宿や投地蔵辻(ここも柏木からの分岐、ただしこちらは破線になっています)もうええ加減シンドイ~バテテきあた~とゆう頃に、ようやく山上のお堂の屋根が見えてきました。は~何とか正午前に山上ヶ岳とうちゃこ~。まあドテ、バタン、死ぬ~とまでは行きませんが疲れました。

地蔵岳からの稜線 やっととうちゃこ~は~疲れたあ~
山上ヶ岳大峯山寺 自撮りです
(ブサア!もうちょっと自撮り
若いネーチャンに教えてもらえ!)

 いつものパタ~ンお堂にお参りして、お花畑の山頂に行って、オヤジは少し離れたところでラーメンタイムです。沢山の参拝者?登山者がおられます、男性ばかりで(当たり前や、女性が混じってたらえらいこっちゃ) 皆さんワイワイ食事をされています。

ここも行場みたいですが
(おまえそんなとこで
ラーメン炊いたら怒られるで)
お馴染みの風景
正面稲村ヶ岳と右、大日のピーク

 何とかコースタイムぐらいで歩けています。ひょっとすると、行動食歩きながら食べてとゆう状況も想像していたのでやれやれです。しかしあまりゆっくりもしていられません、おそらく下山も6時間近くかかるでしょう、食事を終えて早々にもと来たルートを戻ります。

さ~又戻りましょう~ 投げ捨てられたお地蔵さんかな?

 まあ例のハシゴ群を済ませていれば、少々暗くなっても大丈夫でしょう(お前大層すぎます、日は長くなってます)そんなことゆうても何が起きるかわからんやんか(起きひん、なんにもない、あんたがヨレヨレでも明るいうちに、和佐又にも出れます)えらい楽観的やなあ~。

 とにかく役行者さんが開かれて以来、幾多の人の踏み跡が残された奥駆け道、オヤジがいくら痴呆が進行中でも戻れるやろ~、まあ何とか戻れましたが、山と高原社この奥駆けのコースほんま2万5千分の一かいな、少しの距離に思えるのが、長い~(大丈夫あんたの気のせい)

経函石とゆうのかな~? 午前中はなかったのですが
はい何とか分岐に戻ってきました 又石の鼻から
あんなとこまで行ったんやあ~
(それがどないしたんや!)
ヤレヤレ笙の窟あと1時間ぐらいでしょうか スキー場の子マムシ(なんや、)

 さて写真載せましたが、北の小普賢の手前で登山道の真ん中に置いてあったメモですが、もちろん午前中にはなかったです、文面から想像するに時間的な事も考えて、落とされたのはおそらく男性二人組か単独男性、書かれたのは脇の宿でテン泊していた人ではと思うのですが(なんでそう思うねん)

 いや名探偵コナンのようにオヤジが推理して(あほらし、それよりあんた大丈夫か)はいおかげさまで(まあ気をつけや、痴呆が進行してるのやさかい)はい優しい心つかい感謝します。しかし親切な人やなあ~、でもあの三人はおそらく縦走やなあ~、和佐又には降りないなあ~(テン泊者かてわからんやろ)しかし縦走のひとはあの時間、あの地点ではテント張っていないと思うのですが、まあ落とし物にはお互い気をつけましょう。

 そうそう以前小てつさんが、娘さんからのプレゼントのカメラを落として、執念で又探しに行って見つけられたのが思い出されます。何とか和佐又ヒュッテに戻ったオヤジですが、今度はオヤジの車にメモが張ってありました、{駐車料金お帰りになったら事務所まで、}ハイハイ逃げませんよ~OKAOKAのメンバー(一応)なんですから。

お~いちょっとぐらいは
遠慮するなり怯えるなりせーよ
戻ってきました

 今回も無事に戻ってこれました、一応17時過ぎ、約11時間ぐらいの歩きで、まあ想定内の帰還でした、駐車料金を払いなじみのワンちゃんと(あ!ワンチャン写真撮るの忘れた、それとアイホン届いていたのか)ワンちゃん明日テレビ局の取材で案内犬をするみたいですよ、へ~放映は7月13日東京テレビ系列だそうです。又見てあげてね、人懐こくってMIX(雑種ゆうたらあかん)ですが、オヤジお気に入りなんです。

 カーチャン連絡入れて又ボチボチ帰りましょう、温泉はこの時間では、森の旅人さんお勧めの川上村杉の湯はもう間に合いません、どうしょうか迷いましたが、橿原のスーパー銭湯ぽかぽかの湯に寄りました。何度か寄っていますが、疲れをいやすのには良い施設です。奈良の停滞も収まり22時ころにはカーチャンただいまあ!となりました。奥駆け道の行程に歩いた赤線が又伸びました。   感謝 感謝

                             【洛西オヤジ記】


役の行者も弘法大師も、西行、芭蕉、伊能忠孝、
歩いて歩いて、は~しんど、とは言わずに歩いて思い成し遂げ名を残し
洛西のオヤジは歩く前からは~しんど、思い叶わず、世に見捨てられ
洛西村の侘び住まい。むべなるかな むべなるかな

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