京都北山 廃村八丁
2019.06.08


広谷へ向かう


2019.6.8(土) 雨 19℃ Ikomochi

コース:
出町柳7:50発広河原行バス ⇒ 菅原バス停9:48着=10:00出発 ~仏谷分岐10:20~尾根道~ダンノ峠11:10着=11:20出発~広谷~四郎五郎峠取付き11:50~峠を探して尾根を彷徨~四郎五郎峠14:00着~広谷~ダンノ峠15:00~尾根道~菅原16:30~広河原16:55着=17:22発 出町柳行バス







           3年ぶりに廃村八丁へ出かけてみましたが....

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 梅雨に入るのか入らないのか 寒冷前線の影響で雨と寒さが続き、大雨警報の出る地方もある。天気予報も朝令暮改でコロコロ変わり、はっきりしない。土曜日の天気はいかにと、ずっとあちこちの天気予報を見比べていたが、大方は午前中は小雨昼以降は曇りである。今日こそはと決めていたので、広河原行決行。廃村から品谷山へ周回の予定です。

 出町柳のバス停は、朽木行は長蛇の列でほぼ満員で出発したが、広河原行のバスは私が先頭で、その後に中年おじさんグループが並ぶ。一応ザックは持っているものの、半ズボンの人やズックの人、いでたちがばらばらの男性たち、「どこに行くのですか?」と声を掛けてみた。

 「オブセまで」というので「大布施からどこの山に?」「山じゃなくて、大布施から京都まで30キロを歩いてくる」「雨でも行くというあほがいてね」「へええ!こんな天気に山に行くわたしもあほと思っていたけど、まだあほがいましたね」というと、みんなで大笑い。10人くらいのその男性たち、バスの中でも遠足のようにずっとしゃべっていて楽しそう。

 聞くともなく聞いていると、結構あちらこちら歩いているようで丹後半島も回ったとか、小野村の大杉を見に行ったとか。仕事関係の仲間なのか なになのか ともかく元気いっぱいだ。大布施には自販機があるやろうかと話しているので、「バス停の近くにトイレと自販機がありますよ」と教えると「えっつ 詳しい。この人は地元民?」「いやいや 登山の格好してはるけど 実は買い出しにいかはるんや」とまた大笑い。そんなこんなで賑やかなうちに大布施に着き、おじさんたちは下車、乗客は2人になり、最後は菅原で私が下りた。

 大布施あたりから雨がぽつぽつしていたのが、菅原では小雨である。バス停の待合所で雨具を着て帽子をかぶり、足元には防虫剤をたっぷりシャワーして出発。小雨に時折強風も吹いて、天気予報と違うやん。いや、荒れるとこもあるかもと言っていたなあ。

 でも、川の水は澄んでいて魚影が見えそうなので、大雨の影響はなく大丈夫そうだと、廃村八丁目指して進む。3年ぶりの菅原は鮮やかな新緑に包まれていつもと変わらずのどかな佇まいだ。橋の横に以前改装していた民家が売店を開業したようで、若者が2人開店の準備中。国定公園になってお客さんが増えたやろか?

店が出来たようだ 魚影が見える
白花のジギタリス 名残のクリンソウ
タツナミソウ フタリシズカ

 仏谷の分岐には新しい林道ができ、山の様子も少し荒れていて違う。谷道は倒木で歩きにくいそうなので、好みではないが尾根道に登る。

アオテンナンショウ 沢コース分岐

 この道は下山時に使うことが多いので気づかなったが、行きの登りがずっと続いて、結局峠の下まで登り坂で汗が出た。八丁の村人が生活道路として歩いていたのは緩やかな谷道であったというのもうなずける。雨に濡れたコアジサイの青紫がきれい。いつみても清楚な花、うっとうしい梅雨時の清涼剤だ。

コアジサイ 尾根コースへ

 ダンノ峠の下に着き、谷道を見下ろすが、思っていたほどは荒れている様子もない。今度また歩いてみよう。足元にいましも1匹のヒルが一生懸命スパッツの隙間に潜り込もうとしているので、指ではじいて落とした。スパッツを脱いでヒルチェック。被害はなさそうだ。(帰宅して真っ赤に濡れた靴下発見、1か所しっかり吸血されていた)

スパッツに潜り込むヒル

 峠下から急こう配のジグザグ道を登ること10分、3年ぶりのダンノ峠だ。峠の大木は見る影もなく枯れ朽ちて、成長した杉の間から桑谷山を望むこともない。銀色のポールが立っていて「D-8番」とある。場所を知らせる標識のようである。枯れた木に腰掛けておにぎりを食べ、一息つく。

ダンノ峠 古木も枯れた ダンノ峠の場所表示

 雨が上がって明るくなった桂谷の源頭部に下り、広谷を目指す。大雨で洗い流されたのか、沢の縁がそこここで崩れており、踏み跡も新しいのができていて、きょろきょろ歩きやすい道を探しながら歩く。黄緑色の若葉で覆われた谷間。道の先に白いものが。近づくと落下したエゴの花の絨毯だ。見上げる木の先にもびっしりと花が咲いている。例年馬場谷のエゴの花が楽しみだったが、広谷にもこんなに咲いていたんだ。しばらく花の香りにひたった。

桂谷へ下る エゴの花
エゴの花の絨毯を歩く 源流域を歩く

 大きな幹のブナの木を通り過ぎると、そこには広谷の主、モミの木の大木がある。たくさんのサルノコシカケをお供にした姿は名物だったが、すっかり年老いてサルノコシカケも剥がれ落ち、樹皮もぼろぼろの姿だ。それでもその大きさは今も辺りを睥睨している。この木が現役の時、どんな姿だったのだろう、見たかったものだ。周囲を囲むようにブナの大木が数本、幹回りが一段と太くなり、そのうちに広谷の主に取って代わろうとしている。

あなたも年取ったねえ 名物、さるのこしかけも消えた

 去年の台風の影響か、広く平らな広谷の源流域はあちこちで沢の縁が崩れ、木の根がむき出しになり、沼地ができ、と、随分荒れた姿を見せている。

次世代が育っているが、まだ若造です 刑部滝の分岐

 刑部谷への分岐を右にとり、四郎五郎峠へ向かう。八丁川が刑部滝へと落ちる直前の緩やかな流れを渡渉し、大きな杉の並木の下を歩く。山道が川を離れ山中に向かうあたりで、数本の踏み跡を見つけた。川沿いに藪を抜けるもの、斜面をよじ登って行くもの、こんなところからどこに行くのだろうか。

広谷も荒れている 四郎五郎峠へ気持ちの良い道

 わたしは、四郎五郎峠への山道を登り、すこし危なっかしいところはロープを頼りに進む。すぐに尾根と尾根の間に掘れた道が延びていく。右側の斜面にジグザグに登る小道がつけられているのを見上げながら歩いていくと、突然三叉路に出た。目の前で2手に道は分かれ、右側は倒木がたくさんあり、左側の道はすんなり尾根に上がっている。

四郎五郎峠取付き 右か 左か どっちだ?

 はて?どっちやったっけ。よくよく思い起こすと、四郎五郎峠は大抵が下山時の近道として使っている。バスの時間に間に合わせようと、時計とにらめっこで八丁側から登ってきて、広谷へは緩い下りですぐなので、周囲を見る間もなく駆け下っている。そんな峠道だった。じっくりと眺めるのは初めてに等しいかも。

 三叉路で思案して、倒木のない左の道へと向かった。すぐに尾根の登りがありじぐざぐに行く。しかし、よかったのはそこまでで、登りつめた尾根は踏み跡が薄れ杉の葉が堆積し、赤いテープをつけた木があるものの、ここは峠ではない。引き返すかどうか。

左に進んでみたが テープがあるけど・・

 せっかくなので左側の尾根のこぶに登ってみる。こぶの上の小さな広場は明るく、斜面の下には流れが見えている。先ほどみたへんな踏み跡はここに登ってくるのだろう。

左側の尾根のこぶの上 ともかく四郎五郎峠方向へ向かう

 一旦こぶを下り、さてどう行こうか?地形図を確かめると、この先の小さなピークを越えた下に四郎五郎峠があるようだ。薄い踏み跡について藪を掛け分けて進む。しばらくしてピークを登り、てっぺんで踏み跡があるのを探して下ってみた。

潜れます しゃくなげの森

 シャクナゲの木がたくさん群落を作っている。花が咲いたのかどうなのか、でも咲く時期は美しいことだろうなと考えながら下っていくが、着いた鞍部は峠ではない。そして目の前にまた小さなピークが。また登ってみる。上部には曲がりくねった杉の老木がある。そしてまた下る。

妖怪現れる この木もややこしい(木の間を通れます)

 それからはしゃくなげの群落。根っこの下を潜り抜けられる杉の大木、幾株もが合わさって一体となった木や、大きな口を開けたお化けのような古木などなど次々に現れ、びっくりしながらどんどん下っていったら、尾根の先端に出た。

わあ 頑張ってます 連理の巨樹

 足元には流れが見え、眼前の杉木立の間からうっすらとピークが見える。対岸の山だろう。そして、聞こえるのは一段と大きく響く瀬音。これはきっと刑部滝の上の尾根にきてしまったに違いない。これ以上先はますます急斜面のようなのでもう引き返そう。峠に取りついて1時間弱、うろうろしていたことになる。下ってきた斜面をよじ登り戻る。

尾根の先端に着いた 対岸にピークが見える

 時折木々の間から見える遠くの尾根は左側は品谷峠の続きの尾根のようだし、右側は八丁山の尾根に違いない。自分の場所がだいたい見当がついたので地形図にコンパスをあて、進行方向を定める。少し東に振った北寄りに進めば峠に行けそうだ。くれぐれも西と東の斜面に間違って下らないよう、尾根の芯を歩くように気を付けて進む。

 第2のピークを越えた緩やかな鞍部で、杉の木の皮がはがれているのを見つけた。鹿か熊か?獣臭はしないのだけれど。この鞍部は地形図でみても東側に下れそうではあるので道を探してもみたが、どうも無さそう。

熊剥ぎか! さっきの古木を通り過ぎ

 やっぱり北へ向かおう。次のピークへと登る。下って、さて方向は間違ってないよね とコンパスを見たら、なんと南へ歩いているではないか。先ほどの鞍部でうろうろしてくるっと回転してしまったのかも。慌ててまたピークを登り返し、先ほどの鞍部に出て、また次のピークを登る。そこで、1本の杉の木の皮がきれいに?がされているのを発見。まだ新しい。やっぱり熊の陣地かも。ここで熊鈴を取りだした。静かな山の中でやたらりんりん鳴らすのは好きではないのだが、もしや熊が私に気づかず出くわしたら、熊に迷惑をかけてしまう。それも申し訳ないことだ。

これも 熊か? 踏み跡だ

 この第1のピークを下ったところで、割とはっきりした踏み跡を発見、たどっていくと掘り込まれた山道の道型になった。これは峠へ下るのかもとついていくと、すぐにひょっこり出たのは、これこそ明確な峠への道。八丁側からジグザグ登ってきて水平になった、峠の手前のところだった。

 出たア やれやれ。すぐに峠へと向かう。大きな杉の木が立つ峠、四郎五郎峠の標識もある。杉の木から南へ延びる尾根には薄い踏み跡がある。さきほどわたしが彷徨っていた尾根の方向だ。

出た 四郎五郎峠道だ やっとたどり着いた 峠
峠の古木 倒木をよけながら下る

 時間は14時、小雨も降り続いているので、ダンノ峠からおとなしく帰ることにした。峠の下り道は倒木がいたるところで道を塞ぎ、迂回しながら歩いていく。大きな丸太が道の上を横断している場所を越えると、なんとそこは2時間前にどっちに行こうかと迷った三叉路だった。そういうことだったのか。峠の方を振り返ると、半円形に尾根が続いていた。

 帰宅してこの尾根のことを調べていたら、偶然見つけた地形図に、迷った三叉路の左の道から第1のピークを越えて北側に下り四郎五郎峠に至るという破線を見つけた。あながち間違いの道だったわけではなさそうだ。

あれれ 迷った分岐に出た 峠道入り口

 ただ、わたしは第1のピークを北へ乗りこさず南へと下ってしまったのだが。そして、刑部谷や滝を遡行する人たちの記録を読むと、この尾根の斜面をよじ登って谷沿いをトラバースしたり滝をよじ登ったり、みなさんいろいろなことをやっているようだ。この尾根は熊も歩くが、刑部谷を楽しむ人たちの通路なのかもしれない。

サワフタギの若い実 ヤマボウシ

 今回は雨で視界が悪く、周囲の景色がはっきりしなかったので、天気の良い日にまた歩いてみよう。ただし、同じ場所にたどり着ければの話だが。

 雨で霞む広谷、新心荘の横を通りぬけ、朽ちた大木に別れを告げ、ダンノ峠を目指す。うっすらと白い霧で覆われた緑の谷間は、幻想的な眺めだ。ブナの木の下にたたずみ上を見上げる。大きな幹に抱きついてみる。人っ子一人いない広谷にただ一人。湿り気と新緑が混ざり透き通った心地よい空間で、贅沢な時間を過ごす。

同志社大学新心荘 ぶな

 ダンノ峠からショートカットでスキー場の上に出て広河原へ下ろうかと、峠の上の尾根分岐に登ってみた。スキー場の尾根へと下ってみたが、雨に濡れた藪をかき分けていくとぐっしょり濡れてしまうし、尾根から下る最初の部分が記憶に残るより急こう配だったので、今日は取りやめにした。下る方向を間違うと、とんでもないところに出てしまうし。無理はせんとこ。

雨の森 ダンノ峠北尾根
広河原へ下ろうと思ったが 急こう配や

 おとなしくダンノ峠から尾根道をどんどん下り、林道に出る手前の河原で雨具を脱ぎ、服を替えた。強い雨ではなかったのに、ウールのシャツがぐっしょり濡れていた。

おとなしく峠道を帰る

 菅原のバス停から車道を広河原へ向かった。川は何事もなかったかのように澄んでいて、土手に咲くアザミの色がひときわ鮮やかだった。広河原行のバスが追い抜いていったが、25分かけて景色を楽しみながら歩いた。

アザミ チガヤ穂綿

 庄兵衛さんの家に行くと、庄兵衛さんが「まあ こんな日に来ちゃだめよ」と言いながらも、喫茶店を開けて暖かなコーヒーを入れてくれた。2年ぶりの再会に話が弾み、バスの発車時間までおしゃべりは続いた。

 広河原の主Oさんは体調を崩しているが山に来ると元気がでるといって誰かしらが連れてきてくれるそうで、「今日も山小屋に泊まっているわよ」とのことだった。会って、今日歩いた尾根のことを教えてもらいたかったが、残念ながら時間がなかった。また会える日をまとう。

 5月に立て続けにおきた遭難事故の話になった。三国岳の遭難者は天狗峠から芦生側の谷に転落していて搬送がたいへんだったとか。廃村八丁の遭難者は、京大学生グループに発見されて1週間後に救出されとか。

 学生たちがコースを2手に分かれて歩き、そのうちの1グループが滝の近くで見つけたというので、多分刑部滝の近くだろう。細い尾根から滑落して骨折していたそうだ。幸い非常食でしのいで命に別状はなかったそうだが、こちらもヘリコプターでの救助が難しく、人力での搬送になったそうだ。

 「あのね、(村の人は)みんな 山には一人で来ないで って言ってるのよ」と庄兵衛さん。確かに、山で遭難騒ぎが起きると、地元の消防団が捜索に駆り出され、女性陣は夜通し炊き出しに忙しいという。地元では本当に迷惑な話だ。

 広河原周辺の山は特に奥深く谷も深く地形も複雑だ。その上、人がほとんどいない。それだけに山歩きは堪能できるから、わたしも毎週のように通った年もある。しかし今日のように、ちょっと違う道に入りこむと迷ってしまうことも多い。登山のための道ではなく、もともとからの生活道や山仕事の道が縦横に走っている。

 標識はほとんどないし、昨今荒れてもいるからますます危険度は増す。(聞くところによると、国定公園になったので新規の標識すら勝手につけたらだめなんだそう。崩れた道の手入れなどどうするんやろ。よく考えないで階段道とか木道とか作らないでほしいなあ。ダンノ峠のD18番標識はへんな場所に立てたから、そこからさっそく新しく危険な小道ができてしまっていた。あと2m西へ下げてくれたら元からの登り易い道があるのに。)

ほうの花 終わり お久しぶり広河原 

 ともあれ、気を引き締めて山歩きをしようと思う。そして、今日もたのしかったなあと帰ってこよう。


                             【 記:ikomochi 】