奥駆け鉄山から弥山に下山は行者還り小屋から 2020年4月27日(洛西オヤジ No.254) |
No13 鉄山何とかヘロヘロとうちゃこ~ |
2020年4月27日(月) 洛西オヤジ
アクセス: ・京奈和―奈良市内―天川村川合―R309―大川口林道路肩駐車 コース: 大川口鉄山登山口―鉄山―香精山―修覆山―弥山―行者還り小屋(山頂行かず) 大川口に直接下山する破線道が廃道状態で迷い途中から小坪谷ルートに出合い下山―R309-大川口 ・初心者オヤジ、バリルートでウロウロ、廃道で道迷いと大変な一日でした。前回と違い日没になるとえらい事になるので焦りました。 今日は洛西オヤジです。周りの人たちの(いや全国民から)ヒンシュクをかい乍らの山行きです。途中で何かあっても救助要請はしない、自力で対処、できない場合はその場で朽ち果てる。(え~ホンマかいな)それぐらいの覚悟がないと今は山に行ってはいけないのです。とそんなわけで遺言書と、こまごました連絡事項を書いたメモをカーチャンに預け(本気やろうけど嘘くさいな~)今回は以前から弥山や奥駆けの道から、その円錐形の山容が気になっていた鉄山に行くことにしました。 そのあと弥山に回り結局、行者還り小屋まで行くことになりましたが、まあオヤジにはむつかしい厳しい歩きとなりました。(毎回そんなことゆうとるなあ~)いつも通り前日の夜、食事を済ませて出発です。コロナの感染防止のため、どこにも寄りませんので食糧、水、十分積み込んでBSで大河を見てから19時前に出発です。22時前に大川口の神童子谷林道わきにひっそりと停めて(犯罪者の心境です)おやすみなさい。 ■27日 朝5時ごろに起きだしモタモタ準備、しょっちゅう前は通って目にしていた鉄山登山口に取りつきます。案内は一切ありません、車を停めた林道わきに登山届ボックスはあります。(行者還りと鉄山の為でしょうか)オヤジは以前トンネル西口に向かうときに、登山者が取り付いていたので初めて知ったのですが、なかなかマニアックな取りつきです。ヨタヨタ7時前に出発です。
いきなりの急登は皆さんが書かれます。ハシゴの登りがそのまま続くとゆう感じでしょうか、どなたかのプログに奥駆け三大急登の一つとありましたが、他は何處なのか?調べてもわかりませんでした、だいたい好きですね~三大急登とか三大難関キレットとか、まあよく表現されます。今回はオヤジのイメージとしては山頂まで、ズートこんな登りが続くのかなあ~と思いながら登っていましたが、あに諮らんや1時間ほど登ると平坦な鞍部が現れます。
遠くから見る山容では想像できなかったので、は~良かった、よかった、ですが、山頂直下からはやはり厳しい急登で、ザルの目見たいな根っこにつかまりヨボヨボ登ります。山頂とうちゃこ~、通常は2時間弱ぐらいでしょうか、オヤジは2時間半ほどかかりました。オヤジの2006年版(相変わらず古いの~)の山と高原地図では山頂展望良好となって降りますが、木々が茂りまあまあの展望でしょうか。
次は香精山に向かいますが、ピークわからず(標高も?)標識があったのかどうかもわからず通過したみたいですが、ルートだけは踏み跡もしっかりありますので、ハッキリわかります。ただ次の修復山は(1846)ですのでアップダウンがあり、最後は結構きつい登りで大台らしい雰囲気の中、修復山にトウチャコ~、10時半ぐらいなのでまあ老いぼれにしては頑張ってきましたが、ここから弥山へ南東方向に向かいます、ここが踏み跡がなくなり倒木を乗り越え、わからへ~んと皆さんが報告されるところですが、最近は相当歩きこまれてそれなりに踏み跡もついています。
何とか前方のこんもりとした(弥山神社)の山容を目安にオヤジでも(ウロウロしながら)進めました、ただガスッテいるとオヤジでは、ここは何處?になるでしょうね~。障害物競争小1時間ほど(まあゆうほどのことはありませんんが)坊獣ネットが現れました、やれやれ後はネットに沿って、南に進めば狼平への道にでるはずです。
弥山に着きましたが、全く登山者の姿は見えません、時刻はもう正午前いつもの弥山なら考えられませんが、とにかくヤレヤレ第一弾の目的は達成、南に八経が見えますが今日は行きません。神社の前で八経を眺めながら今日もパンをかじります。 この頃パン食派に転向してきましたね~(ホンマかいな)チョットロングな歩きが続いているので、ラーメン炊いてとゆう余裕がありません、それと山歩きをした後の体重の減り方がラーメン+おにぎりより良いのです。(知らんでー、そのうちシャリバテで動けんようになるわ)まあパンはある程度持ってきても荷重は知れています。
例年ゴールデンウイークはオープンしていると思う弥山小屋は閉まっています。さ~一応今日は行者還りまで行っての予定です。(無理するなあ~又ヘッデンかいな)直接大川口に降りたいな~とゆう思いです。(これがまたしてもいろいろありまして)まあ時間的に無理ならトンネル西口に降りて、との計画ですが、トンネル西口から大川口まで、アスフアルトの道を2時間近くチンタラもいやですものね~。 時刻は正午過ぎ、よっしゃ行者還りまで久しぶりに行ったるぞーと、チンタラヨタヨタと出発です。先ずはお馴染み急下降で理源ちゃんまで(えらい心やすいなあ)下ります。弥山から下りだすとポツポツと単の男性と行き違います。結局、西口下降分岐までに3人の単の男性と遭遇しました、もちろん会釈だけ、会話なしはお互い意識しているのでしょうね~、さ~久しぶりに先に進みます。
先ずは一ノ垰を目指します。奥駆け!とゆう感じが好きなところです(よくわからんけど)。一ノ垰すぐ手前の分岐の標識、東方への案内は上北山中学校となっていました。少し下るとほどなく一ノ垰です。 一ノ垰はオヤジの2005年版には避難小屋が載っていますが、今はもう影も形もありません、使用不可のような水場がポツンと。そうですね~もう15年前ですものね~、そんな古いマップをあてにしているオヤジは、この後痛い目にあうことになるわけです。(あ~又かい)まあとにかく段々近くなる行者還りを目指してチンタラです。
奥駆けでも比較的に穏やかなところで(行者帰りから先は極端に厳しくなりますが)以前師匠とトンネル西口から奥駆け稜線に取りついた地点(通行止めの表示がされています)を過ぎ、軽い一ピークを過ぎると天川辻、小坪谷ルートの案内を見る(現在はこちらが主ルートになったみたいです)。
ほどなく行者還岳直下の行者還り小屋に着きます。時刻は15時半、弥山から3時間もかかってしまいました。ちょうど着いたときに。上からご夫婦らしき男女が降りてこられました。さすがに少し会話をしますと、大普賢まで行ってこられたそうで、トンネル西から以前師匠と取りついたルートで奥駆けに乗り、又同じルートで戻るとの事です。通行止めの表示がされていたので、どうでしたかと聞くと問題ないそうです、又西口の駐車場は営業しているとのことです。まあ弥山には来ても、天川村から怒られるとゆうことはないみたいです。
さてここからちょっと(くどい!ややこしい!)とお叱りを受けるのを承知で、(今回の一番おもろいところですねん)(ケ!しょうもない)オヤジが難儀なことになったいきさつをお話します。(あ~どうでもええのんや)オヤジの2005年版山と高原地図では行者還り小屋からR309に降りるルートは破線で二つあります。 一つは小屋手前の案内板に、天川辻と書かれている小坪谷に降りていく小坪谷ルート、もう一つは小屋のすぐそばから大川口に直接降りるルート(旧関電道)です。時間的には変わりないのですが、直接大川口に降りられるのでオヤジはそちらを降りるつもりでした。現在の地理院の地図でも載っていますし、簡単に実際下山した報告も見ていたので(ところが後で確認したところ2006年の山レポでした)オヤジとしては不安はありましたが、降りられると思っていました。 これが全く廃道化してしまって(アリャーなんじゃこりゃ)でした、昔は整備されていたのでしょう、木道が歩きにくい斜面には朽ちて残っています。テープも残されていますが、いつの?テープとゆう感じです、かろうじて残る踏み跡をたどって30~40分下ったところで、谷筋に出たところで迷ってしまいました。
古いテープに惑わされたとゆうのでしょうか、谷筋を(巨岩がゴロゴロある)下ったのが間違いでした。(そーゆうときの地形図やろが)持ってきてへん~見てもわからへん~(またゆうとるなあ~ええ加減にしときやあ!)。どうやらここで間違ったみたいです。なんとその地点で撮った写真、正面の斜面に登山道らしきものが見えています。(落ち着いてみんかい、ホンマ初心者やで)
地形図ではそこからはほぼ一直線で大川口に向かっているみたいですが、オヤジは結局此処は何處?怖~い暗くなってきたらどないしょう~(朽ち果ててお陀仏になるのんちゃうのんかい)ヨレヨレになりながら谷を下ること小1時間、小坪谷ルートのテープが現れヤレヤレでした、実はその間ものすごいヤマシャクの群生地(残念ながら開花はまだ)を通ってきたのですが、写真撮る余裕なく己の不甲斐なさだけが身に染みて、あ~あ俺はホンマに初心者やあ~(そんなんわかりきってるやんか、今更)
何とか布引の谷の河原が見えR309の対岸をしばらく進むと、なじみの釣り橋が見えてきました。橋の手前で若い男性二人組がテン泊しています、えらい珍しいところでびっくりしましたが、トンネル西口でテントはアカンと言われて、ここまで降りたそうですが、鉄山に少し取りついたけれど急登で時間もないので戻ってきたとの事でした、明日は行者還りに行きたいとの事です。 そうかあ~今年は山はテン泊者でどこもあふれるかもしれんなあ~、山屋もテントバカ売れしたりして(しょうもない心配せんとき)つり橋を渡ってR309に出てアスフアルト道を大川口に戻ります。15分ぐらいで大川口の橋が見えてきました。戻ってきましたあ~もう18時前です。
そこではじめて気が付いたのですが、鉄山への取り付きの反対側に釣り橋があります。案内はありませんがここが行者還りの小屋から直接大川口に降りてくるルートみたいです、上部の斜面に古びてはいますが、整備された階段も見えますが、肝心の釣り橋は通行止めで橋げたの板が落下して、もし渡ってなにかあっても、責任は持てないとの表示がされています。
オヤジは気が付かなかったのですが、行者還小屋の手前で正式なこのルートの下降口に通行禁止のロープが張られているそうですが、それは最後のこの釣り橋が通行不能のためでしょうか、本来の大川口~行者還りのルート((旧関電道)が久しく歩かれ無くなって、あんな状況になってしまったんですね~、地理院地図ではこちらは載っていますが、小坪谷ルートは載っていません。最後の釣り橋はダメとは書かれませんものね~、山レポも2006年とは帰宅後改めて見て気が付きました、当たり前といえば当たり前ですが、やはり最新の情報が何よりですね~。
さて今回も11時間以上の歩きとなりました、前回もそうです、スンナリと歩けたら10時間ぐらいで戻れるはずですが、まあ初心者の歩きです仕方ありません、今回は前回と違って未知のルートで、足もとも悪く、こんな状況で暗くなったらヤバイとゆう恐怖感はありました。もしなにかアクシデントあっても、今は自力で下山しないといけないですね~、コロナ早よ消えてくれよー(コロナのせいにするなあ!)。 ルート確認はやはり事前に充分するべきだと思いますが、今回は下降取りつきを小屋の、すぐ前から適当に取りついて降りるときに、ロープが張られていたのを全く気が付かなかった、いや見ていてかもしれませんが、意識しなかったこと、迷った時点で落ち着いて行動しなかったこと、ボチボチ意地を張らずに、GPSに頼らないといけないかなあ~、などと反省させられる歩きでした。こんなご時世にすみません!奈良の皆さん越境ですが、行き帰り車から降りずにご迷惑はかけていないと思います。お許しください。 さて今回も何とか無事に戻れました。 感謝 感謝。 洛西オヤジ記
▼追記
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