ほっとして琵琶湖を眺める
のんびりヨキトウゲ谷で涼んで青ガレを下山しかけたところで 大ハプニング、遭難救助のお手伝いをすることになった。
コース: 京都駅7:23発湖西線→比良8:09着=比良登山バス8:20発→ イン谷バス停8:32着~正面谷~青ガレ10:00~金糞峠11:00~ヨキトウゲ谷へ~中峠直下12:30~金糞峠14:00~青ガレへ14:20 |
14:20金糞峠でゆっくり休憩し、青ガレへと下る。峠直下の急な道は、僅かにあった岩場も削れて土がむき出しでずるずる滑る。2本ストックで踏ん張りながら慎重に進む。峠の狭くくびれた難関地を2mほどで岩場地帯となりやれやれ。
金糞峠 | さてと峠をくだろうか |
先ほど峠を下って行った男性が岩場で座っているので、こんなところで休憩するならさっき峠でしっかり休めば良かったのになあと上から眺める。同行の女性が、何か叫びながら下の方から上がってきた。下の方には登山者が座っていて女性は下ったり上がったり忙しない様子。
何があったのだろうか?14:30 男性に「なにかあったのですか?」と声を掛けると、「足を滑らせて骨を折ったんです」と言うではないか。えらいこっちゃ!すると女性が消防と連絡がついたからといいながら登って来た。話を聞くと、ご夫婦で青ガレを下りかけたところでご主人が岩場の始まりのあたりで滑って足を骨折、すぐに救急に連絡するも携帯のauが通話トラブル発生していて繋がらない。
先に下った男性が休憩している 金糞峠遭難現場 |
ご夫婦ともau。困っていたところに通りかかったご夫婦が持参の携帯で連絡を取ってくれた。ところが、その方たちはソフトバンクで電波がつながるところを探したら5mほど下方でようやく繋がった。今119に連絡ついて救助が頼めたとのこと。
でもソフトバンクのところまで離れていて、奥さんは連絡に行ったりきたりしていたというわけ。たいへんやなあ。私はドコモなので試しに電話してみると、119にすんなり繋がった。電話口の係りの人に経緯を告げると、話はすぐに通じて今救助隊をどうするか検討中とのこと。「auの通信障害で大変なんですよ」と消防も困っている。
それならば私は男性の横で電波が通じているので、この電話が連絡先になっていいですよ。ということになり、救助隊とも直接話が繋がった。今救助の方法を検討しているが1時間ほどで現地に着く予定という。先に救助連絡を取ってくれたご夫婦にはその旨お話して、下山してもらうことになった。
しばらくして連絡がきた。ヘリコプターと地上からの2面作戦で検討中とのこと。イン谷口にはサイレンが響き何台かの救助隊が到着した様子。また、山の下からは大津市の広報車が「au通信障害のため緊急連絡は固定電話からしてほしい」と大音量でアナウンスしているのが聞こえてくる。ヘリも飛びながらアナウンス。通信障害、えらい騒ぎになっているんやなあ。
救助を待つ間、骨折の経緯を尋ねた。京都在住のハイキングがお好きなご夫婦で、退職を機にあちこちへ行こうかと初めて比良へ。朝のバスで坊村から武奈ヶ岳に登った。帰路はイン谷のバスに乗りたいので間に合うように青ガレを下るコースを取った。ヤマレコなどで下調べをしてきた。ブナと同程度の山の登山経験はなく今回が初めて。
金糞峠を下り始めて直下の岩場になって足が滑り、横にあった岩に足をぶつけてしまい、ぼきっと折れる音がした。痛くて動けない。auが通じず、通りかかった方にお願いして通報してもらった。奥さんはストック持参で使用していたが、ご主人はストックを持っていなかった。ということだった。
ご主人は体格もよく体力もありそうだけれど、初めてのロング登山、しかもブナに一旦登頂してからの下山で、かなり疲労がたまってきていたかも。しかもブナからの下りは急傾斜が多く、金糞峠直下は特に滑りやすいから踏ん張りがいるんですよね。最後に疲れた足に無理がでましたねーと話すことだった。
旅行であちこちの山に登っておられるようだけれど、下から本格的に登ったのは今回初めて。ヤマレコで調べたとのことだが、ヤマレコは比較的中級者上級者が寄稿していて歩行時間も早いし、ルートも初級者にはどうかなと思うこともある。
ご夫婦は地形図も登山地図もお持ちでなく、情報はほぼインターネットでのものであるようだった。ハイキング気分で来たんですよねーと奥さん。食料も予備はなく軽そうなザックだった。
折れた足が痛むと体の向きを変えるのにも顔をしかめるご主人。わたしも応急処置はなにかした方がいいけど、添え木になりそうなものもテープの類も持ってないなあ。木立のところで木の枝を拾ってこようかしら?なにか紐の代用はできないか?とザックの中を探すが、思い至らず。患部を冷やしたいが冷えピタも冷たい水もない。奥の深谷まで行く元気もないし。救急訓練の勉強会に行ったけれど眺めていただけで実際は手を下さなかったし、余計なこともできないし。頭の中はくるくると思案。
後になって落ち着いてみると、消防に連絡してなにかできることを教えてもらえばよかったといまさらながら。添え木はザックの底板でもよかったし。ストックでもよかったし。靴は足が腫れあがる前に脱がせておけばよかったし。ロープはいつも持っている細引きを使えたし。靴紐だって役に立っただろう。いざの場面で機転が利かず反省しきり。
15:10そのうちに消防から体制が取れましたと電話が鳴った。天候にもよるがまずはヘリコプターで救助するので待機して とのこと。急に天候が変化しヘリ救助ができないときのために、地上部隊はイン谷を登ってくる とのこと。遭難者の状態や、場所などを詳しくわかる範囲で報告する。
ヘリの音が聞こえ、来たか?と上を見上げたが、どうも関係なさそうで旋回して蓬莱山方向へ消えた。後で思うに報道写真の機だったようだ。そのうちにパラパラパラとおなじみの救助ヘリの音が近づいてきた。場所を知らすにはどうしようか 遭難地点の頭上には大木が枝を広げ、すぐには発見してもらえないだろう。
救助ヘリに発見してもらう |
白いタオルを持って、ガレ場の横の空が開けた高台に駆け上った。タオルをくるくると大きく振る。一度二度、峠直下を中心にヘリが大きく旋回する。見つけてくれー。3回目の旋回で大木の上でヘリがホバリングし、ヘリから身を乗り出した救助隊員と目があった。よかった、見つけてもらった。しかし、とっさのこととはいえ、ガレ場のてっぺんは今にも崩れそうな斜面で怖かったなあ、やれやれ、これで安心。
ここでヘリに合図を送った ヘリ風の中 救助隊到着 ほっ |
15:38 ヘリのホバリング風は強烈で、大木の葉が大きく揺れちょっとした嵐のようだ。小石が舞い目を開けると埃が入る。私たちは地面に身体を伏せる。頭上からするすると隊員が一人降下してきた。先ほどのガレ場のてっぺんの足場の悪いところに着地。そして遭難者に駆け寄り容態の聞き取り。次にヘリからもう一人の隊員が救助グッズを持って降下。
ヘリはホバリング中 | 容態の聞き取りをする |
15:38 救助担架を手早く広げ寝かす場所を作ると、みんなで男性を抱えて担架に運んだ。痛い痛いという男性に、もちょっとの辛抱だから我慢して!と言ったものの、折れた足を無理やり狭い封筒型の担架に押し込めてしまった。たまらんかったやろうな。
もう1名の隊員が救助グッズを持参 | みんなで抱えて担架に運ぶ |
足が痛いというけど狭い袋に押し込む (提供写真) |
ミノムシ型救助担架 |
担架の準備ができると、なんと2名の隊員だけで担架を持ち上げて、ガレ場の足場の悪い斜面を登っていく。すっごーいなあ。さきほど私がタオルを振ったガレ場の平らな場所に担架を引きずり上げ、今度は救助ロープに固定して吊り上げに掛かる。一人の隊員が担架の横を支えながら一緒に空中へ昇っていく。
しっかりと安全ベルトを確認し | 隊員2人で崖を抱え上げていく はらはら |
わあ こわ 落っことしたらどうするんやろ とひやひやしながら見上げる。担架がくるくる回転しないんやろうか?こわ。いろいろ心配しながら見上げていたが、無事担架は収容された。地上でロープを確保しながらサポートしていた隊員も、空中へと昇っていき、2分後に無事に収容。ヘリは南へと飛び去った。ヘリ到着から30分間ほどの出来事だった。
担架を吊り上げる準備中 | 担架をヘリに吊り上げ中 |
救助隊が到着して担架にくるんでしまうと奥さんもわたしも傍で見守るしかなく、強風の中、身体を地面に伏せて2人とも写メや動画を撮影した。奥さんの動画は、「ヘリコプターで救助された夫」という題名ですぐにYouTubeにUPされた。https://youtu.be/_LHsuzEUwJg
残る隊員は地上で援護作業 | 無事に担架到着 安堵 |
残る隊員もヘリに吊り上げ準備 | 隊員をヘリに吊り上げ中 |
ヘリが飛び去り、ほっとした。救助隊員からは奥さんは自力で下山するようにとの指示だったので、同行することに。それにしてもこの奥さんはとっても明るく元気なうえに落ち着いている。普通は夫が遭難したらおろおろして写メどころじゃないでしょう。
救助活動が終わりヘリは一路飛び去った |
事故の場所 |
すごいねえ 肝が据わってるねえと誉めた。奥さんが落ち着いているので私も助かった。一緒に滑りやすい青ガレを下った。私よりも元気に下っていく。 救助活動の最中にも数組の登山者が下っていったが、驚いたのは若い者たちはガレ場を走り下ることだった。ランの人たちも。そのせいだろうか、岩場の中ほどには土がむき出しの1筋の道ができていて、足元が滑って怖い。途中立ち往生している登山者もいる。
ほんま こんな斜面の一歩間違えば滑落事故や落石事故の起こる登山道では、走り下るのは止めてほしいものだ。また、救助活動中に声を掛けてくる人は皆目いなかった。ちらっと眺めて黙って通り過ぎた。邪魔したらあかんと考えてのことやろうか?なんかなあ、、、、私みたいにおせっかいなのは中高年以上なんやろか。山も世の中の縮図や。
先を行く奥さんにコースを教えながら下っていく。もうすぐ青ガレの取付きというところで携帯が鳴った。救助隊からだった。ご主人は病院に収容されたことと、いまどのあたりにいるか?との問い合わせ。もうすぐ青ガレの渡渉に着きますというと、イン谷の消防隊は撤収するけれどバスもないので1人隊員を残していきましょうか?車で駅まで送りますよ という。願ったりかなったり。助かります。よろしくお願いしまーす と声が元気になった。
隊員を待たせているからと先を急ぐ奥さんに、まあまあ ゆっくり休憩して行きましょうと水場で飲水、わたしは痛む足をかばいながら下っていった。夕暮れの大山口過ぎると、一台のパトカーが待っていた。比良山岳警備隊の救助隊員だった。 かっこいい。奥さん共々お礼をいう。
隊員さんは「本来ならば後日事情聴取に警察に来てもらわなければいけないけれど、2度手間も気の毒なのでここでやってしまいますね」 と車中で遭難者の住所氏名、奥さんと登山者との関係、今日のルートや遭難の経緯などを細かく聴き取っていく。遭難事故として広報誌に名前や事故の内容も記載されるのだそう。自力で下山できないときはすべて「遭難」というのだそうです。
そして、登山届を出してほしいこと、朝はもっと早めに出発してほしいこと、今日はヘリで無事に救助できたが、夕暮れになったり天候急変の場合救助できないときは遭難現場でビバークしてもらうのでその準備はしてほしいこと、レスキューシートなど用意、食料も余分に持ってきてほしいこと、またヘリが近づけない場所では人力で背中におぶって助けること、などの指導があった。 比良の遭難事故は年間ワーストワンで、最近増加傾向にあり、金糞峠直下の事故も多いと心を痛めておられた。
比良駅が近づき、隊員さんが言ったひとことは泣けました。「わたしも山が大好きでアルプスにも登るしこうやって救助隊に入っている。遭難した人たちは、これで懲りずに回復したらまた比良に登りに来てくださいね。山を嫌いにならないでくださいね」というものだった。うんうん、ほんまにそう思う。 なんでこんなところに来たんやと叱責されるかと思ったら、真逆の言葉に感動しました。
ネット上で、遭難した女性が救助の警察官にぼろくそ言われたと炎上していたけれど、山を愛する救助隊の心意気には共感。と共に、お世話にならないようにしよう と心に誓った。
それにしても、ヘリの隊員たちの機敏さには惚れ惚れした。そのことを隊員さんにいうと、「そのために毎日訓練を欠かさないのですから、、、」とさらり。滋賀県警は救助費用は無料とのことで、さらに感謝感謝。
比良駅で電車に乗り、奥さんは搬送先の堅田の病院に向かった。金糞から飛んだヘリは琵琶湖バレイの駐車場に降り待機していた救急車で搬送したという。応急処置を終えたご主人から奥さんにメールが届いた。元気にしてはるんやと喜んだ。堅田駅で奥さんと別れ、京都駅に。駅構内の行きつけの居酒屋でビールを一口、おでんやなんやかんや食べてどっと疲れが出た。
8時半ごろいつもの銭湯に行く。番台のご主人が「えらい遅いですね?今日はどこの山へいかはったんですか?」 実はかくかくしかじか 救助のお手伝いしてねと話す。ゆっくり湯船に浸かり出てくると、「えらいことでしたね、さっき9時のNHKニュースで放送してましたよ!」へえ なんのこっちゃろかい。ピンとこず。
すると、ラインに家族や友達からニュースで見た とか ネットニュースに出てる とか続々と連絡が入った。帰宅して、遅いニュースでauの通信障害に伴っての事故として大きく取り上げられているのが分かった。週明けの京都新聞にも、全国紙にも世界にも。そして事故後10日経ってもauの通信障害は修復せず、再度日経新聞にも取り上げられた。通信障害における象徴的な事故として永遠に語り継がれるのだろう。金糞峠も検索ワード1位に上がった。「かなくそ」という名前が面白いと場所を検索しているらしい。一躍有名に。
7月4日京都新聞 |
7月13日の日経新聞にも |
ご主人は幸い命に別状なく、しかし2か所骨折で手術し動けないとのこと。お若いから頑張ってリハビリしたらまた山にいけますよ と話すことです。整形外科医療は格段に進歩しているから必ず回復されることでしょう。諦めずにリハビリしてください。
骨折2か所でした (提供写真) |
↓ 奥さん作成動画迫力あり https://youtu.be/_LHsuzEUwJg |
さて落ち着いてからいろいろ検証したり山仲間(夫婦で220回以上の武奈ヶ岳登頂しているユッキーさんや比良の隅々まで歩いているokaokaの道子さん他)と話しあった結果、今回の遭難事故は起こるべくして起きたかもしれないということです。
坊村から武奈ヶ岳登頂後琵琶湖側に下山するのはアップダウンもきつくロング登山であるので、どうしても下山時は疲労がたまり踏ん張りが効かなくなる。急傾斜の下りは特に足に負担が大きい。事故が起こりやすい。ストックは必需品だ。
初めて坊村から御殿山を登り最後の急坂を武奈ヶ岳に登頂、コヤマノ岳への斜面を下り、琵琶湖側に下山した人にとってはリスクの大きいコースだった。私が比良に登り始めた1年生の頃は、青ガレは落石や崩れがよく起こり危険地帯だから近づいたらあかんと教えられた。北比良峠から尾根を下るダケ道が定番だった。くねくねとした決して歩きやすいと言える道ではないが、危険は少ない。
昭文社の登山地図には青ガレは破線で記載してあり、注意がきもある。ところが最近はネットで検索して登山記録を読むというのが主流であり、その山がどんな程度のものか、コースの危険性はどうなっているのかなどを 初めて登山する人が判断するには少し経験や情報が不足していると考える。ヤマレコは人気だが、書いている人は中級上級者が多い。山をよく知らない人はそこで自分も同じように歩けると幻想を抱いてしまう。危険だ。
山で出会う「地図はスマホにあるから」の人、スマホを片手に「ここはどこでしょう?」の人、地形図を紙に印刷する費用がもったいないとぬかした若者は見限ってほってきた。昨年秋に堂満から夕方4時ごろ下っていると、下から若者2名登ってきた。「こんな時間から上に行くんですか?」と声を掛けると、八雲が原にテン泊予定という。
そして、「あとどれくらい時間がかかるんでしょうか?」と聞くではないか。「ええっ! 地図はないんですか?」「ネットで調べた地図は携帯にあります」「、、、ここからはルートが大回りで上に着いたら真っ暗ですよ、しかも堂満からの下りは崩れたところが多くて危険です。登り返してダケ道から行った方がいいですよ」と忠告したが、若い彼らはワシワシと登って行った。コロナでキャンプ流行り、八雲がどんな場所か知らずに来る人も多いのだろう。驚きひやひやすることが増えた。 地図は必ず持ちましょうね。
さらに驚いたことには、江若バスホームページの比良登山案内に坊村から武奈ヶ岳、八雲が原を経てイン谷コースをお薦めとしてあること。コースの注意書きもない。ありえへん!江若バスに電話してみた。窓口の広報担当者は、まず比良に登ったことはなかった。ダケ道も知らなかった。そして、単純にバスの時間の都合だけで、季節運行のイン谷口発バス4時半に間に合うからというだけでのコース設定であった。
青ガレは通行時間は短いが、ということは急斜面で一直線にくだるから時間は短い ということがなかなか理解できないかもしれない。ついでに 滑落事故の多い八淵の滝から釈迦岳コースもお薦めになっていて、思わず遭難事故を防ぐのもバス会社の責任じゃないでしょうか?と注文をつけた。が、いまだに訂正はない。
滋賀県警は救助ヘリの費用は無料、ところが京都府警は費用が必要。山岳保険に加入しましょうね。保険はお守りで使わないに越したことないけど、今回の遭難者奥さんは保険に加入してないんですとひやひやしてました。
今夏は本当に遭難者の報道が例年以上に多かった。疲労による滑落事故が多かった。しかも50,60代の登山者や過去に歩いたことあるという経験者の。あるベテラン登山者はアルプス縦走に行くべく用意していたがどうも体調がいまいち、しかし同行者がとても楽しみにしていたのでまあいいか と燕に登り、山小屋で体調いまいちで引き返せばよかったのに、2日目も歩き出しなんとかなったのでそのまま途中の小屋にも泊まればよかったのに先へ、そしてまったく歩けなくなった。
近くの小屋に連絡して小屋の人が迎えに来ておぶわれて小屋泊、上高地への下山もとうてい無理で、相談したら救助を呼んでほしいと言われ、長野県警にヘリで救助してもらったという。山上で疲労のため動けなくなったと報道されていました。
今夏、蓬莱山でも遭難者が相次いでいる。一人は発見のニュースを知らない。つい先日12月6日にも61歳で蓬莱山登山後沢に滑落死亡との報道がでました。大文字山も遭難事故がワーストワンで増加中。秋山シーズンの事故も増加、これから積雪期に入る。
山を侮らず、自分の体調にあった登山を選んで、もしもの時には引き返すことも念頭に置いて無事に帰宅する。自分に言い聞かせている。楽しく山歩きしましょうね。救助の現場に立ち会って、自分の足りなさやいろいろなことを知りました。とても大切な経験をさせてもらいました。
『最後に遭難者ご夫妻から。金糞直下で最初にソフトバンクで通報して下さった年配のご夫婦にお礼が言えてないので探しています。もしお心当たりの方は、ikomochiまでご一報ください。とても感謝されています。』
*12月10日 嬉しいお知らせがありました。
その後骨折した足の具合を尋ねたら、奥さんからご返事が。『もう歩けるようになって旅行にも行っています。ただ階段を降りる時に少し痛むので、山には来年春になったら行けるかな?』と。若いし体力あるし、なによりリハビリに頑張らはったんでしょう。いつか比良にも登ってくださいねー。ほんまによかった、よかった。