比良 堂満第一ルンゼ
2022.1.3~4 親父の山歩き報告NO.317 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ツエルト張らずのビバークははじめてです | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2022年1月3日(月)~4日(火) 洛西オヤジ
アクセス: 湖西―イン谷口 コース: ・3日 イン谷口―正面谷―第一ルンゼ取り付き堰堤―第一ルンゼ堂満岳直下20mほどの斜面でビバーク ・4日 堂満岳山頂―東レ新道に降りれず、縦走道も通り越して、今は無き水晶小屋付近に降りるー大橋―奥の深谷遡上―源流金糞峠直下―金糞峠―青ガレー正面谷―イン谷 初心者オヤジ、二日かけて堂満岳に行ってきました。もうちょっとで{高齢男性単独登山比良から戻らず}とゆう新聞見出しで皆さんに喜んでもらうところでした。(しょうもない、新年早々何書いてんねん) ■2022年1月3日(月) 今日は、いや明けましておめでとうございます、洛西オヤジです。冬眠中のオヤジですが、予定していた野暮用がなくなり、たまには炬燵から抜け出して外の空気吸いに行くか(そやでーかおり御大見習わんかい!)と、どうせなら比良の雪景色でも見に行くかあ~と出かけることにしました。(それが、もともとマチガイでした) どうせなら、去年は積雪条件や天候などで行けなかった、お馴染みルンゼから堂満にいくか~、いったときの雰囲気で無理なら、そのまま金糞峠あたりまで行って、武奈はちょっと老いぼれには無理やろし引き返すか~と、ヨタヨタお正月時間で出かけましたが、さすがに人気の比良、なんとイン谷は車の停めるところがほとんど埋まっていました。 8時前ごろですが、上部の正面谷駐車場には行けないので、さりとてワンゲル道とりつきの駐車場にも行けません、オヤジも頑張りましたが、あと20~30mのところで底が擦って無理な状況です、まあ4駆のランクルぐらいの車しか無理でしょうね~。したがってイン谷のバス停付近がえらい状態になっていました、オヤジも何とかバス停に停めて、ヨタヨタ歩き始めたのは8時を回ってしまいました。
さて歩き出そうとしたその時、男性3名女性2名のグループさんから声を掛けられました。「あの~坊村はどのあたりですか、武奈ヶ岳に行きたいのですが」最初、何を聞かれているのかわからず「え~!」絶句、「坊村は比良山脈の反対側で、京都と小浜を結ぶR367にあります。もちろんここからも武奈ヶ岳は行けますよ」「そうですか、いや坊村だと峰床山も近いので一緒に行けるかと思いまして」 周りからクスクスと笑い声が、一応ちゃんと登山装備をしたグループですが、ナビを頼りに来たのか途中峠に向かうところを誤ってここまで来たのか、「まあこのまままっすぐに、正面谷から青ガレを登っていくか、大山口から北比良峠を通っていくか、今日はこの通り沢山の方が登られるんで、後に着いて行かれた良いと思います」「あのーおたくは何處へいかれるのですか」「いや私は、ちょっと又別の山に行くつもりなんで」と、ほうほうのていで勘弁してもらいヨタタヨタスターとです。
しかしビックリしてしまいますが、この後自分が他の人が聞かれたら、びっくりするようなことになるとは思いもしないオヤジは、ヨタヨタと正面谷を登っていきます。何とかアイゼン付けずに第一ルンゼとりつきの堰堤に乗りました、一応トレースがあります。昨日か今朝かわかりませんが、オヤジが{よし行くかあと、気が入った原因です}(トレース当てにしてどないすんねん)そうなんですが、ここはやはり頼りますね~。厳しさが判っているだけに、(それが甘いんじゃ~)、アイゼン装着、ストックをしまいピッケル装着?。
いざ、出発ですが、ここでオヤジは気が付かなかったのですが、¥3800のカメラにトラブルが発生していました。オヤジは走行タイムやポイント地点の通過タイムは、後で写真を見てこの原稿を書いていますが、トラブってとんでもない時刻が設定されていました。原因はわかりませんが、電池を交換した時に起きたみたいです。あまり時計を見る習慣がないので、今回の報告は大体の予想で書いています。したがって取り付いたのは9時半ぐらいだと思われます。 過去の経験から13時前後(3時間~4時間)ぐらいには登頂予定でした、最初の一番狭いルンゼから難所の岩場を越えてよしよし、トレースに頑張ってもらって、このまま上部に行けるものと思ったのですが、いきなりトレースが消えてしまいました。
ルートを変えて、隣の雪渓に移ったか中央陵にとりついたか、(おそらく下山の足跡もあるので、撤退したと思われますがわかりません)え~こりゃ仕方がないなあ~、ここから無限に続くかと思われるオヤジ単独ラッセルとなりました。しかも今までで一番の積雪です、沈み込んだら腰の上の深さがあります、うまく踏み固まってくれても膝上です。 ラッセル基本(膝で固めてアイゼンけり込み、ピッケルで前方の雪を掻き込みます)あまりの深さに途中からアイゼン装着したまま、輪カン装着して進みます、ソロの厳しさをモロに実感させられましたが、行くより仕方ありません。どれほどもがいたでしょうか(実はこの時点で撤退するべきでした)正午を回り、こりゃ山頂15時ぐらいになるなあ~と思いましたが(甘いなあ~)山頂まで行けば結構登っている人もいるだろうし、下山は何とかなるのではないかとゆう甘い思いが、この後のとんでも状況を呼び込んでしまいます。
さて、何とか上部の最後の雪渓が見えてきました、ただ温度が上昇して積雪が全く締まらず益々時間がかかる様になってきました。ルンゼで一番怖い雪崩も心配していましたが、案の定人間の頭ぐらいの塊が転がり落ちてきて頭にぶつかりました。幸いヘル装着で問題はなかったのですが、表層が全面的に流れ出すとヤバイ状況です。(伊吹であったみたいですが)
それはともかく、何とかいつも取り付く左の斜面から上部の尾根筋に逃げるつもりですが、なかなかそこまで着けません。ようやく尾根下、取り付きににたどり着いたのはもう14時を回ってしまいました。(たまたま時計を見ましたから)
この時点で絶対に撤退するべきでした、まだ何とか下りなら正面谷に明るいうちに戻れるはずですが、なんかいやな予感があって(頭にぶつかった雪の塊が、トラウマになっていたのかな~)とにかく尾根にとりつくのに輪カンを外して頑張ります。(この時点でまだ水分、食料摂っていません、雪を口に含むだけでした) 何とか尾根にとりついてしばらくはよかったのですが、積雪がさらに多くなり胸のあたりまであります、雑木をつかみ、つかみ、登りますが、とにかく踏ん張りがまったく聞かないのです。しかも雑木の枝にアイゼン引っ掛かりまあーこりゃどうすんねん、(他人事みたいにゆうてるなあ~) 10mほど進むのに1時間ほど最後はかかる様になって、気が付けば周りはもう薄暗くなってきています、今日の帰還はもう無理です。せめて山頂まで行って、ツエルトセッティングしてビバークと思いましたが、東南陵に出る最後の雪庇状態のコブのところで力着きました。
問題は携帯でカーチャン連絡が出来るかどうかです(堂満山頂は、過去に何回もつながった経験があります)直下20~30mとは言え、もしつながらなければ、何としても山頂までたどり着かないとちょっと大事になります、祈るような気持ちで携帯連絡、よかったあ~つながりました。 心配して何度も掛けていたみたいですが、なるべく心配しないように状況を説明して、切ります。まあーあまりとゆうか全く堂満が、比良がどおゆうところか解らない人なのでかえって良かったです。さて雪庇の下に雪洞らしきものをほり、ツエルトは張れないので初めて頭から被ってのビバークとなります。 ようやくカチカチに凍ったコンビニおにぎりとカロリメイトをかじりますが、食欲は全くありません、水分はやたらと飲みたくなります、もちろんアイゼンは着けたまま、下から冷えてくるのでリュックを下に引いて腰掛状態で時を過ごします。 食事を終えて何とか冷静に状況を判断したのは19時半でした、実は翌日4日はバイト先の仕事始めでした。同僚に連絡して変わってもらうように頼み、(同僚もイマイチ何のことやら、わかってはいなかったと思います)次は天候の確認です、明日は9時頃まで曇り、そのあとは小雪15時ころから本格的な降雪になるみたいです。因みに大津、高島明日の気温は0度、おそらくこの山頂ではー2~3度ぐらいでしょうか、早い目に行動をして正午までには青ガレを通過するつもりです。 もちろん東レ新道で降りるつもりですが(オヤジの思惑では、東南陵も東レ新道もトレースは、バッチリとあるものと思っていました。)あれだけの人が登っているのやし(そやから甘い!ゆうのんや)さ~後はこのキツイ冷え込みの中で時間を耐えるだけです。 白山南龍の雪渓が思い出されますが、あの時はちゃんとツエルトを張り、下着も着かえドンジョイも外し眠剤のんで何とかウツラウツラ仮眠出来ましたが、今回はあれ以上の過酷な状態です。 星が綺麗ですオリオン座が南に、眼下には比良駅が、湖西道路は車がたくさん走っています。そうか今日は3日、明日から仕事で帰宅する車が多いのんやそんな事を思いながら酷寒の時間は過ぎてゆきます。
■2022年1月4日(火) ようやく日付けが変わり、なほも寒さに耐えて約3時間、3時ころから行動を再開します。指の先が痛くリュックを作るのもつらい作業になります、いつの間にか夜空に星はなく曇ってきました、どうやら予報通りです。本格的な降雪前には何とか降りたいものです。 さて問題はこの雪庇状態の雪の壁をどうして突破するかです、絶対踏ん張りは利かないのでピッケルで雪をかき分けて枝を探します。ご存じのように堂満山頂付近はシャクナゲの木が群生しています、予想通りシャクナゲが現れ、誠に申し訳ない、皆さんに怒られますが、枝を踏んずけて上部に進み、何とか東南陵の登山道らしきものに乗ることが出来ました。 相当積雪があり、ここでもまたラッセルで何とか山頂らしき地点に着きました(ええ加減なわからんのかい)もちろん堂満表示の看板は雪の下でレスキュウーポイントの案内がありますが、全く人が踏み込んだ後はありません、とゆうかヘッデンだけの光量ではイマイチ状況が判らないのです。
先ずはカーチャンには悪いのですが、家の固定電話に連絡します、携帯だとおそらく階下においているので気が付かない可能性があるので、しばらく呼び出し音が鳴っていましたが、カーチャン出てくれました。「えらいこんな時間に申し訳ない、今歩き出しました」「えらい早くから大丈夫なんか」「次の連絡は、おそらく12時回るかもしれないので心配しないように」と告げて東レ新道に向かいます。 しかしトレースは全く見えず、おまけに小雪交じりの風も強くなって、益々ルートが判りずらくなってしまいました。ヤバイな~このまま明るくなるのを再度ビバークして待つかとも思いましたが、何分にも先ほどまでいたところより風が強く、体感温度は非常に厳しい状況です。 以前歩いた状況を思い出しながら進みますが、ヘッデンの光量では手さぐり状態で、ちょっとおかしいなと思ったのは、第2ルンゼと第3ルンゼの下降点付近のロープが張ってある短いですが、トラバース道が見当たらなかったので、こりゃ外れたなあ~と気が付きましたが、戻ればよかったのですが、そのまま進んで、とにかく縦走路に出ればよいかとの思いが、この後のとんでもない状況の引き金になりました。
位置、時間、方角。不明。(あ~あ遭難してるのやんか)周りは明るくなり、何とか状況が判る様になってきましたが(おそらく7時前)2時間以上闇の中を下ってきたことになります。何とか見覚えのある縦走路と思われるポイントに降りてきましたが、積雪がここでも多く斜面に沿って伸びる(ここでもトレースは全くなく、ルートが見えているわけではないので)縦走路を東レ新道とりつきの分岐まで戻るのは、相当厳しいと思われます。 ここでオヤジはまたしても、痛恨の判断ミスとゆうか思い違いをしてしまいます(そのままゆっくりでも縦走路を、金糞峠まで進めばよかったのですが)奥の深谷の源流を八雲に向かうルートがあるな~、あそこなら斜面ではなく沢沿いの道なので、まだ歩きやすいかと、そのままなほも下降したわけですが、これが大変な思い違いで、オヤジは大橋より北のポイントに出ると勘違いしていたわけで、何とかテープのあるポイントに出られましたが、そこはどうも大橋より南側、南比良峠の今は無き水晶小屋の付近に出たみたいです。 え~ここは何處~、テープがあるので大橋から南比良峠のコースのどこからしいのですが、イマイチ位置がわかりません、仕方がないのでテープに沿って北へ進みます、どれぐらい歩いたでしょうか、ようやく見覚えのある大橋の分岐に出られましたが、この先の源流を登るルートを思い出して愕然とするオヤジ、こちらからは上流へ向かうので、キツイ登りが最初続くはずです。 マップでは金糞峠まで55分(もちろん無雪期)3倍はかかるでしょう、それと昨晩一睡もできていない体力の問題があります。一瞬大牧から牛コバで坊村になどと頭に浮かびましたが、そのほうが時間がかかります(当たり前じゃ~第一大牧で渡渉して、牛コバまでの斜面の道は縦走道よりもきついで~) 仕方ありません、腹をくくって深谷源流に向かいます。もちろんテープはしっかりとありますが、上部の方にあると気持ちが萎えます、積雪は少し浅くなって膝上ぐらい、下降が終わった時点で輪カンは再び装着しています。もちろんポイント、ポイントの状況で腰下ぐらいのところもあり、ラッセルに時間がかかります。
それよりも沈み込んだり、転倒したりするとメチャクチャ時間をロスします、10分以上もがいて何とか立ち上がれたとゆうのが続くと、ますます、あ~東レ新道に乗れなかったのがつくつ"く悔やまれます。縦走路にゆっくりでも向かわなかったのも悔やまれます(後悔後にたたず)(なんでそんな勘違いしたんや) いやひとえに初心者ゆえの経験不足です、お恥ずかしい。まあ倒れるまで先に向かいます。(いつもみたいに大層にゆうなあ!とはよういわん)もちろん時刻は正午を回り、こんな時に限って天気予報当てよんねん、雪の降り方が本格的になって、着ているウエットジャケットが白くなってきました。どれぐらいもがいたでしょうか、何とかヨキトウゲ谷の分岐までたどり着きました、初めてはっきりとしたトレースが現れました。
うれしかったあ~、ようやくラッセルから解放されました~、まもなく金糞峠分岐のテン場ですが、金糞峠まで途中でトレースが消えてしまい、又ラッセル状態になり、キツかったあ~やっとの思いで金糞峠とうちゃこ~。もう15時40分、此処はさすがに時計で確認、通常無雪期、東レ新道は下り堂満山頂から1時間ちょっとぐらいでしょうか(オヤジは無理ですが)それを10時間以上かかってたどり着いたことになります。
は~人生最大の遠回りしての金糞峠でしたあ~、先ずはカーチャン連絡、正午過ぎには連絡できるといっていたので、やはり心配して何度も着信がありました。金糞峠からの携帯は何とかつながるのは知っていましたが(時々つながらない時もありますが)イン谷からだと、まだ2時間ほど連絡が遅れることになるのでよかったです。
先ずは輪カンを外して青ガレを下るのですが、指先が全く感覚が無くなっているので大変でした。もう少しゆっくりと休みたかったのですが、風と雪がきついので早々に下ります。さすがに沢山の人が歩いてくれているのでトレースはバッチリ、最後のイン谷までもうあの苦しかったラッセルはしなくて済みました。
ただ足に全く力が入らず、2度ほどバランス崩して転倒、立ち上がるのに又一苦労人様には見せられない老いぼれの無様な姿ですが、青ガレは何とかヘッデン無しで降りられましたが、結局昨日取り付いた、第一ルンゼの堰堤を過ぎたあたりでヘッデン点灯して、意識朦朧ヨレヨレ、ボロボロになってイン谷帰還18時半、オヤジの車だけポツンと待ってくれていました。
アイゼン外して靴を脱ぐのが最後の難事業になりました、指先が全く感覚が無く、今までの経験でも一番ひどい状態です。今回第一ルンゼの堰堤に乗ってから、この帰還の瞬間まで誰にも会いませんでした、ちょっとイチビッたルート取り付き、今日の天候(誰も来ようとは思わない天気でした)もしオヤジが力尽きて倒れていても、誰も気が付いてくれない状況でした。 山中滞在35時間ぐらいかな?そのうち6~7時間ぐらいビバーク状態で、後はほとんど休まず歩いていたわけで、ラッセルとゆうか雪と格闘していたとゆう感覚しかありません。なにはともあれ冒頭に書いた通りほとんど遭難していたといっても過言ではない状況でしたが、本当に新聞沙汰にならず、今この原稿を書いていられることに心から 感謝 感謝。もう雪は見たくないので又冬眠に戻ります。 ◆追記
今はおそらくもとに戻っていると思いますが、難儀なのはツエルトですが、アイゼン履いたまま巻き付けたので30cmほど裂けてしまいました。ワカンもアイゼン装着の上に履いたので、とめ紐が切れかかってしまいました。 一番難儀なのはカメラの日付け設定が狂って、今回の報告にも影響したのですが、又ネットで探さないといけないかもしれません、それもこれも無事に帰還できたからこその悩みだと思えば、改めて感謝しないといけません。(そやで~わかってるんかい、もう心配かけたらアカン!)
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