京都北山を中心とした山々を楽しむ okaokaclub

一度行ってみたかった野間半島を一周した
2023.7.19

吹上浜北端の 江口浜


日程:
・2023.7.19(水) 雨時々曇り ikomochi、従兄




 故郷鹿児島に1週間の予定で帰省した。今回はどこの山に登ろうかと計画を立てる。昨年歩いた野間岬から見た野間岳はどうしても登りたい。取り寄せた最新の登山ガイドを読みアクセスを調べる。

 コロナ禍で観光客が減りただでさえ足場の悪い最果ての地は、地域おこしで作られた観光施設や宿泊所、食堂などは閉鎖され、過疎地のバスはさらに減便となっていた。

 鹿児島市内から日帰り登山は無理なので最寄りの町で宿泊し、1日2往復のコミュニティバスを使いなんとか山頂には行けるが下山後が問題だった。長い車道歩きは良しとしてもたどり着いた先に宿はない。タクシーを使えば近くの町に戻れるだろう。

 それにしても2泊3日の日程は限りある滞在期間には厳しい。あきらめかけていた時、鹿児島在住の従兄が、暇にしているからどこでも連れていくよと声をかけてくれた。伯父は宮之浦岳登山やへき地が好きでゴビ砂漠にも行った人、その血を受け継いだ従兄なら登山にも乗ってくるかも。思い切って持ち掛けてみた。

 野間半島の野間岳、山頂直下の野間神社まで林道があり、最後は急登りながら往復1時間で登ることができると。案の定従兄は即答で引き受け、出発時間の約束もできた。心配なのは居座る梅雨前線。京都などは梅雨明けとなったのに、九州南部は宣言がでない。

 天気図を気にしつつ就寝、明け方激しい雷雨が始まり、予想より半日早く雨雲が襲来した。線状となって次々に押し寄せる予報。これでは登山はむりだろう。まったく初めての山で無理はできない。従兄に連絡し出発時間の変更と行先変更を打ち合わせる。

 予定より1時間遅れ8時半に従兄が迎えにきてくれた。車で一路薩摩半島を南下する。道路が整備されて車はビュンビュン走り、1時間半余りで野間半島の付け根の高崎山展望所に到着。

南さつま街道八景を行く

高崎山展望台から望む

立神岩から野間岬を望む2023.7

 雲が厚く垂れこめ眺望は良くないが、青く美しい東シナ海を眺めた。足元にはいかにも南の植物ですという野の草花が生い茂っている。景色を眺め、一路 野間池に向かう。野間池の後浜から野間岬を眺め、従兄にあの先まで車で行けるよと声を掛けたが、興味はなさそうだった。風が強く波が荒い。潮風に吹かれた身体は塩っぽい。野間池から眺める野間岳山頂は分厚い雲にすっぽり隠れ、姿かたちすらはっきりしない。こんな天気に登らなくてよかった。

海風が強く波も荒い 4去年はきらきら輝いていた海

野間岳山容・今年 野間岳山容・昨年

 一応国道という名の266号線、林道に毛が生えた細くて手入れが行き届いていない道。時折崩れた石が散乱している。従兄は、「国が貧しくなるというのはこういうことだ、道路整備にお金が回っていないのだ」とぶつぶつ。30年アメリカ暮らしをしていたので、アメリカの道路の素晴らしさ、どんな高速道路でも料金無料の国の動脈としての道路への考え方をひとくさり。

 笠沙美術館に行ってみたかった。真っ青な海と点在する島々、リアス式海岸の絶景。美術館は今日2組目の入場者だときいた。車道から海へと下がっているので、ちょっと気づきにくいかも。でも斜面に建てられた建物は要塞っぽくてなかなかいい雰囲気。

 美術館受付の女性に聞くと、ななつ星トレインをデザインした水戸岡鋭治さん設計という。一年中海風がきついという土地に合った、よく練られた建物だった。笠沙出身の画家黒瀬さんのダイナミックな作品が展示された画廊は、落ち着いた空間だった。受付の学芸員女性は、一日中人と喋ることが少ないのだろう、笠沙に伝わる瓊瓊杵尊上陸神話の話や様々を教えてくれた。海に向かって開く窓を背景に、絶景写真を写してもらった。

絶景ポイント 笠沙美術館

笠沙出身画家
黒瀬道則さんの絵が収蔵されている
笠沙美術館 額縁コーナー

風が強く喫茶コーナーは閉店 ニニギノミコトが着いた海岸

ニニギノミコト伝説を唄った

 12時半頃、道路沿いに食堂を見つけた。秋目浦だった。刺身定食のみだったが、新鮮な刺身やおかずの数々に舌鼓。同席していた中年女性グループと美味しいねーと食べた。写メを取ってラインで友人に送る。「こうやって美味しいものの写メを送ると、友達が ワガバッカイ(自分だけ)と怒るんですよ」と鹿児島弁でしゃべったら一気に座が和んだ。

秋目浦の中心地 新鮮な刺身やおかずの数々に舌鼓

 女性グループは地元ではなく佐多から来たのだという。錦江湾を挟んで対岸の大隅半島の先端からフェリーに乗って山川港へ。一度対岸の野間半島へ来てみたかったという。開聞岳の陰に隠れて、野間は見えないそうだ。

 「まあまあ はるばる海外からよこさおじゃいやんせ」と言って、また大笑いだった。野間池に向かう女性たちと別れ、坊津を目指す。途中小高い丘の上から秋目湾を眺めた。ここは「007は二度死ぬ」のロケ地として、一躍有名になった場所。当時の面影はないが海の豊かさは今も変わらない。

古代 神が渡った地 007は二度死ぬ ロケ地

007 ロケ地 007 ロケ地

現在の秋目浦

 帰ってから二度死ぬのビデオを見た。1967年制作。上映当時わたしも映画館で見た。日本の描き方がいまいちおかしく突っ込みどころ満載、ジーン・バリー作曲の音楽は中国テイストの日本味で全くもって・・・だが、ボンドガール浜美枝は株をあげた。

 見返してみると、霧島の新燃岳、韓国岳、姫路城や那智神社など日本オールロケで、ことに秋目浦は秘密基地にぴったりの景色。当時鹿児島で秋目に来たことのある人は少なかったと思う、わたしはどこにあるかも知らなかった、それほど僻地だった。映画製作者はよくこんな場所を見つけ出したものだと感心する。

 秋目浦の食堂の主人が、戦艦大和はこの秋目の沖合を通って大洋に出て行った、ここから船影が見えたと、見たように話したのが可笑しかった。大和の撃沈地点は、大海のど真ん中ではなく、種子島屋久島近くの十島村の島々の沖合と知り、随分近海でやられたのだと驚いた。近年枕崎に、慰霊碑が建てられそこから沈没地点を望むことが出来るという。

戦艦大和の航路

磯釣りのメッカ

 秋目には、鑑真和上が上陸した地点もある。黒潮に乗ってはるか大陸から、はたまた海のかなたから、異国の船や人々がたどり着いたのだろう。ニニギノミコトはそうやって流れ着いた異国人ではないかとの説にもうなずける。唐人墓もあるという。野間岳は笠沙岳と呼ばれていたが、唐からノーマ信仰の人が渡ってきて住み着き、野間岳になったらしい。

28全長30キロ 吹上浜

 今でもその子孫が住むという。遣唐使船や貿易船、密貿易の拠点として栄えた坊津を走り抜け、はるばる尋ねた野間半島一周ドライブは、新しい発見の旅でもあった。 大海原を眺めて、気分爽快であった。

咲き乱れる鹿の子ユリ 大きなモンキアゲハが舞う

センニンソウ 薩摩野菊

南国の植生 不明

不明調査中










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