大比叡、水井、 小野、大尾、宮めずら 比叡北部の山並み
日程:
・2024.11.4(月) 晴れ 21℃ ikomochi
アクセス・コース: ・JR京都駅10:27発→堅田駅10:44着~明神橋11:25~天神川の道~棚田の道~12:50休憩=13:15~仰木の一本桜13:30=13:45~牛墓14:10~伊香立へ~14:50南庄バス停=15:25発堅田行きバス→堅田駅→京都 |
ふと目にした新聞コラムに、仰木在住の写真家今森光彦さんが 刈入れを終えた棚田の風景がよい とあった。仰木の棚田には、田植えの前や田植え後、稲穂の実る時期などに行ってみたなと願いつつ、かなっていない。
そうだ、仰木に行こう。棚田を眺めながら歩いて、私の十数年来の疑問符を探しに行こう と堅田に向かった。もうかれこれ15年ほど前 比叡山一帯を探索していた時、大原から大尾山を越え琵琶湖側へ下った。古寺の瀧寺へ、そして伊香立南庄へとたどり着いた。
その後日、瀧寺から堅田へと道をつなごうと思ったが、お寺の参道を下り田んぼの真ん中で幾筋もの道の分岐に出て、どの道をとればよいか迷った。堅田の方角はわかってはいるものの、田んぼの道のわかりにくさは山の中の迷路よりもやっかいだと、そのころには体験していたからだ。日も傾いてくるので、結局その時にぶち当たった大きな水路沿いに土地勘のある伊香立を目指し、南庄からバスに乗った苦い思い出がある。いつかはコースをつなぎたいと願っていた。
昨年思いがけず仰木の棚田迷路を2回も歩くことになり、少し土地の様子が分かってきた。これは、晩秋の棚田の風景と、宿題のルート探しのチャンス到来。いそいそと堅田へと向かう。
堅田からは比叡山へ、古道ルートの一つである天神川沿いに遡っていく。駅前の住宅地を離れると、市民の憩いの散歩道として整備された川辺となる。明神橋から左岸へと渡る。清い流れには、ところどころに魚道のある堰がいくつも続く。比叡山から琵琶湖へと急こう配で下る川、そして遡上する湖の魚を大事にしてきた土地の知恵を思う。
堅田駅から比叡連山を望む 手前は春日山 | 湖西線沿いに南へ |
菊愛好家のみごとな大輪 |
湖西線 つららに注意! | 天神川に出る |
緑地公園 | 明神橋を横断 |
天神川の流れ | 県道313 仰木道を見ながら 川沿いに歩く |
魚路が何か所も現れる | なにか彫ってあるが分からず |
その後県道313号線の仰木道の橋を右岸へと渡り、湖西道路の橋脚を潜り越え市街地を抜けると、いよいよ田んぼの中の道となる。車1台分の車道が続く。渋柿の実が赤く日に映え、烏瓜が生る。川沿いの草むらを覗き込みながら、心地よい川風を受けて歩く。正面に連なる比叡山の山並みを目指して道をたどり、途中で川を離れて棚田の上へと坂道を登った。
湖西道路が見えてくる | 丘の上に広がる田畑 |
広い遠い | 二番穂の刈り取り作業している |
小高い丘の上一面に、刈入れの終わった田が広がる。田んぼの中を一直線に道が走る。ずーっと丘の先のほうまで続いている。刈穂の後始末の刈り取りをしているご夫婦が、作業していた。軽トラで休憩中の奥さんに道を尋ねる。「仰木の一本桜はこの道でいいんですよね?」「えっつ 歩いていくんですか?この道をずっと行けばいいけど遠いですよ」「 はい がんばってみます」 と礼を言って出発。
作業中の軽トラがあちらこちらに停まっている。地元の皆さんには、もう歩くことは当たり前ではないのかもしれないなあ。以前も迷ったとき、雄琴温泉駅に行くといったら、3キロはあるよとおじさんがえらく心配してくれたものなあ。軽トラに乗せてもらってありがたかったけれど。
さて、いったん迷うととんでもない農道の怖さから免れ、コース決定。確信をもって歩を進める。小高い丘の上、比叡山の山麓へむかって、ずーっと上り坂が一直線に伸びている。見渡す限り田んぼで、農作業の軽トラが時折走りすぎる。田んぼはどこも電気柵で囲まれているか、柵で覆われている。
道路は続くよどこまでも | やっと木陰 でも立ち入れず |
電気柵が続く | 遠くの丘に桜の木が。あれかな |
周囲にはこんもりした森も点在するのだが、畑地には一本の木陰もなく、日差しがギラギラ暑い。やっと見つけた木陰は電気柵があって中に入れず。明神橋からてくてく1時間半ほどして、やっと10本ほどの木立が小さな森を作っているのが見え、あー やれやれと休憩。ここはみんなの休み処らしく、丸太がベンチよろしく転がっている。遠くびわ湖が光る。随分と登ってきた。京都駅の駅弁を広げほっと一息。さきほど横を通った大きなため池、これを越すと直ぐに県道に出るらしい。
11月なのにギラギラ | 大きなため池をみる |
素敵な木立発見 | 丸太ベンチがありました |
南を眺めると、向かい側の緑の丘の上には建物が立ち並び、さらにその奥には上仰木集落の屋根瓦が見える。比叡山の広い裾野一帯が棚田となり、琵琶湖岸へと広がっている。ちまちましないこの開放感がいい。北山の狭い谷間の田畑とは違う心地よさ、明るい空気に溢れている。北山の谷あいの、秘めやかで静かな佇まいもいいんですけどね。
びわ湖が光る | 上仰木集落の家並み |
仰木の1本桜 | 棚田を見渡す |
木立の休憩所から10分も歩くと車道に出た。車がものすごいスピードでぶんぶん行き交い、えっつ ここは人里離れた農村じゃないの?とびっくり。車道には橋が架かり、そのまま森へと道が繋がっているので先へと進んでみた。すぐに桜の植わった広場があり、その先のカーブに1本の桜の木が枝を広げていた。
これやな 仰木の一本桜。田んぼの土手の上に、傘を広げるように張った枝先。春にはさぞかし春霞のような花をつけるのだろう。桜はあたりの田畑を見下ろすように立っていて、農作業の人も道を辿っている人も、どこからでも目に入り心和ませてくれるだろう。いい桜やなあ。
下から見上げ、土手の上から見上げする。土手の上から、眼下の田畑を眺めていたら、なんとまあ すぐ直下に広がっているのは、かの馬蹄形田んぼではないか。土地の形状に合わせて楕円形の畑地を幾層にも重ねた田んぼ。美しい形だけれど、作業には一手間多く手を取られるだろう。でも、効率よく真四角に ではなく、土地に合わせたらこうなりました せっかくなので見た目も美しくつくりました 感あふれ、持ち主の心意気が伝わってくる。
馬蹄形の田んぼ | 矩形の田んぼが普通だが |
棚田の作業はまったいらな土地と違い、維持管理には苦労が多いだろう。仰木の里の明るく大らかな空気は、こんなところにも表れているようで、心がやさしくなる。桜と棚田を確認し、さていよいよ瀧寺との道を探す。
とりあえずは瀧寺の参道方向へ向かう。かつてどっちに行くか悩んだ大きな水路を目指すことにした。ところが、その水路へとつなぐ道は、さきほど橋を越えてきた下の車道を辿らなければ行けなさそう。仕方ないので、階段から車道に出て、白線の狭い路側帯を歩く。田舎の道なのに、まあどんどん車が走ること、大型バイクのツーリングもやってくる。スピードを出しているので、よーく注意して道路を横断せねばならない。
交通量が多い車道 | 大尾山方向を眺める |
ガードレールに引っ付きひやひやしながら進むこと10分、支尾根をぶった切って通した車道から支尾根の先端へと脇道が発生。あー やれやれこんな怖いとこ歩きたくない と、わき道の細い車道へと退避した。坂道を登ると小高い支尾根の上についた。
削り取った対岸との間に、パイプ菅が車道をまたいで通っている。そして向こう岸に見えるのが一本の桜の木。この木は、天神川から棚田の丘を登ってくるときにずっと見えていて、あれが一本桜かな?とも思っていた木だ。こんなところにあったんだ。
桜の木がある |
眺めながら道なりに先へと進む。ご多分に漏れず、獣避け柵が張り巡らされ、またしても田んぼ迷路である。遠くに墓地が見えるので道が繋がっているかなあと期待を込めて進むも、大きな柵と閂のかかった門扉にぶつかる。反対側は廃棄物処理場らしく関係者たち入り禁止とある。
しばらく脱出口を探し、他の大きな門扉は立ち入り禁止だが閂で開け閉めできることを発見。きちんと締めさえすれば通して貰えるだろうと、おそるおそる閂を開け、田んぼの中の広い道を進んだ。すぐに坂道になり、車道の上をまたぐ橋に出て、左右に分岐し、片方は車道へと下り、片方はさらに支尾根の奥へと伸びていた。
田んぼ迷路 | 牛墓跡の碑 |
支尾根の方へ登っていくと、先ほど眺めた桜の大木の下に出た。石碑があり、「牛墓跡の碑」とある。へえ 初めてみた。牛のお墓。大切にしていた牛を弔うのだろうなあ。(帰って調べたら、大津近辺では家族同然の牛が疫病になったとき、元気な他の牛まで殺さねばならなくなり、その牛を弔うために牛墓を作ったとあった。)こうして桜の木を植えて、後世までに伝える気持ちに悲しさと温かさを感じる。
この支尾根の道を辿ると瀧寺へ通じるかもしれないが、今日は水路を発見したいので、先へは進まず。引き返して先ほどの橋分岐から車道へと下った。相変わらず、車が行き交う。路側帯を歩き、北側に大きなビニールハウス群を発見。旗がひらひらして、トマト栽培の農家で販売所でもあるようだ。このハウス群から北へ道を取ると、この下にあの水路があるようだ。確認しに行こうかと迷ったが、ご多分に漏れず、農道の道は遠く果てしない。
伊香立への道 |
ここまで辿ってきて、大体の道の様子がつかめたので、今日は帰ることにした。車道を注意しながら歩き、伊香立の大きな看板のところから脇道へ入り、南庄の集落へと向かった。
家々が立ち並ぶ南庄、ここも交通は不便だろうけれど住みやすいのだろう。目の前に比良の権現山を見ながらのんびりと歩いた。見覚えのあるごみ集積場のある広場、ここを曲がって道なりに行けば、お寺やらあってその先にバス停があるはず。そう思って進むが、はて 次の十字路でどっちへ行けばいいのやら。
トマトハウスと比良山 | 比良連山 |
丁度男性が歩いていたので声を掛けて、案内を乞うた。ところが道案内をしてもらっている間に、下の方の細い道から車がビューンビュンと通り抜けていく。いったいなにごと。男性は、「ここは車が多いから端によって」 という。融神社から伊香立への抜け道というものの、この車の走りようはなに???
男性は、「南庄は道が入り組んでいてとってもややこしいんですよ。」と丁寧に道案内をしてくれた。石垣に囲まれた見覚えのある細い道を下っていくと、お寺の前のバス停に出た。待合所があり、そこで休憩。しかし、この場所の記憶は薄い。丁度30分後の3時25分のバスがあるので、そのまま待つことにした。
目の前にそびえる比良の山影が刻々と夕日に染まっていく。伊香立にはたくさんの大きな建物が増えたようだ。知り合いの障がい者施設もここを一大拠点としている。バス停から広がる景色を眺めながらコーヒーを入れのんびり過ごした。
カラスウリ | キタテハ |
数珠玉 | アキノノゲシ |
堅田行きのバスは、伊香立の馬術センターやあちこちの施設を巡って駅へと向かった。今回は瀧寺へは行かなかったが、いずれ大原から下って堅田への道をつなごうと思う。そして、春には、一本桜と牛墓の桜の花見に来たいものだ。楽しみがまたひとつ出来た。
ところで、あの車がビュンビュン走る山の中の道は、県道47号線で、渋滞の湖西道路を迂回するための抜け道なんだそうだ。比良の帰りによく通るというユッキーさんが、ようあんな怖い道を歩いたねえ と驚いていた。10数年前はのんびり田んぼ道で、わたしもそんな道とはつゆ知らず。南庄の人たちも家の前を安穏と歩いてられないなあ と気の毒になったのでした。
ヤクシソウ | 山ラッキョウ |
最近になって仰木の一本桜について、小西博さんが調べた貴重な逸話を見つけた。https://kitayama.blog.jp/archives/2021-05.html 100年ほど前、一人の若者が植えた桜。昭和初期の頃、戦争に徴兵され外地へと派遣されて戦の修羅場を潜り抜け無事に故郷へ帰ってきた青年は、戦争がない平和な世界を祈って桜の木を植えたのだという。そうなんだ、ただの道しるべではなく、戦争で人を殺め心傷ついた青年の償いと鎮魂の碑なのだ。花咲くころには、ぜひ訪れたいものだ。