関宿に入ると電柱が消える
日程:
・2024.11.23 (土) 曇りのち雨 森の旅人Mと嫁さん
コース:
・鈴鹿市:JR加佐登駅~鈴鹿市:庄野宿~亀山市:亀山宿~亀山市:関宿
伊勢国に入り東海道五十三次道中も終盤に入りました。今回は例の青春18切符は利用せずに伊勢に入ります、青春18切符の1枚あたりの金額より当日券は若干高くなりますが予定がいつでも立てられます。これも京都三条に近づいてきたことの印です。今回の東海道はJR富田駅から私は帰宅しましたが、嫁さんは別日に一人で四日市宿(四日市市)と第四十四番石薬師宿(鈴鹿市)まで到達。
今まで東海道線を乗って歩いてきた旧東海道歩きですが、今日は朝一番の奈良線、関西本線を乗り継ぎJR加佐登駅を9時前にスタートです。庄野宿、亀山宿そして第四十七番関宿まで歩きます。いつも二人のみですが、駅から七人グループに二人連れも同じ方向へ歩き出します。
JR加佐登駅 | 庄野宿 |
一本道を行くとすぐに庄野宿に入ります。七人グループと二人連れは後方を歩いていますが前方にも別の二人連れの姿が見えたものの、この二人には会うことは無かった。国道25号線信号汲川原町から国道を離れて歩きます。町並みが切れた場所からは遠く鎌ヶ岳が見える。鈴鹿山脈をいつまでも右に見て歩きます。曇り空の下平坦な道が続く。
庄野宿も一本道 | 遠方に鎌ヶ岳 |
川俣神社で写真を撮っていると後方から7人グループがやってきて追い抜いて行く、和泉橋で女性にどこからですかと聞くと横浜と静岡からだった。同じように関宿までの予定だと言う。しばらく吸収される形で後方を歩いて行く。
東海道の分岐標識が見えたところで7人は道路沿いをそのまま行くではないか。我々は標識通りに旧道の左へ進む、田畑道に出てから関西本線踏切を渡ると先程の道路に出た。七人グループはJR井田川駅にてトイレ休憩のようだ、それを見て同様にトイレ休憩とする。関宿までの間コンビニは少ないので場所の確保は大事だ。七人グループは先行しその後会うことは無かった。
川俣神社 | 七人組が先行する |
左が旧東海道 | 井田川駅でトイレ休憩 |
国道25号線に出て陸橋を渡り国道の一本西を南下。11時前となり国道信号和田近くの食事処「ちもと」に入り早い昼食を摂ります。席にすぐ案内されランチの昼御膳を頂く、11時過ぎだが待ち客が出る人気の店のようだ。
陸橋で1号線を越える | 亀山宿への標識はありがたい |
昼食のランチはお得でした | 昼食後に東海道へ戻ります |
その後亀山宿に入ると民家の前に当時の旅籠の名称札がかけられている。東町商店街を通り江ヶ室交番前交差点で左折すると道路が黄色になっている。東海道を案内しているようだ。
亀山宿中心部にやってくると亀山城址の多聞櫓が見える。どうしても見たいと言うので東海道から外れるが訪れてみる。白い櫓が目に入る、中にも入れるようだがスリッパに履き替えるのが億劫で止める。
亀山宿では軒下に旧家の名札が掛かる | まつばや跡 |
江ヶ室交番前交差点を左へ | 道路の色が黄色に変わる |
亀山城址の多聞櫓 | 野村の一里塚 |
東海道に再び戻り亀山宿を西へ歩くと、この辺りにも旧旅籠らしい名称札がつけられている家が続く。京口門跡を過ぎると亀山宿も通り抜ける。
次に目についたのが野村の一里塚。東海道には京都三条まで一里ごとに標識を設置したようで多くの一里塚が今も残っていたが、この「野村の一里塚」は別格で大きな樹木が目印に空高く伸びている。布気皇舘太神社(ふけこうたつだい神社)前を通り、関西本線の跨線橋を歩くと目の前には亀山インターの高架道。その高架下には伊勢国の各宿場の歌川広重の絵が設置してあった。
布気皇舘太神社(ふけこうたつだい神社) | 国道1号線と関西本線を越える |
東名阪自動車道の下を歩く | 自動車道下には 歌川広重の絵が描かれている |
もうすぐ関宿の手前で小雨が降り出す。今日は冬型の気候で本来晴れのはずが高度の低い鈴鹿峠辺りを越えて雨雲が近江から流れてくる。国道1号線から関宿入り口の大きな標識にやってくると本降りになる。傘を出すことになったが、それ以上強くならず関宿に入ると止んだ。
関宿入り口 雨が降り出す | 関宿東の入り口 東追分の鳥居 |
関宿に入ると空間がすっきりしていると思ったら全く電柱と電線がない。昔ながらの宿場町を残すため、歴史的な町並みを残すため町作りに取り組んでいるそうだ。他の宿場町には無い町並みをぜひ、来て見てほしい宿場町です。
(今回歩いた加佐登駅~関宿の距離は19.4Kmでした。)
関宿の通り | 第百五銀行 |
眺関亭より瓦屋根を見る | 関宿石標 |
西エリアの関宿通り | 映画ロケができそうな町並み |
次回の予定は鈴鹿峠のふもと坂下宿から鈴鹿峠越え、そして近江国に入ることになります。ますます京都三条に近づきます。