京都北山を中心とした山々を楽しむ okaokaclub

木之本古戦場巡り
2025.11.22

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賤ケ岳合戦場の図

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日程:
・2025.11.22(土)晴れ 16℃ ikomochi、M


コース:
・京都→米原駅=米原10:00ツアーバスにて→木之本県立伊香高校前10:45~田上山山頂11:40~登山口12:40~木之本北國街道12:50=昼食13:30~木之本の町散策~14:00→賤ケ岳リフト→山頂14:40~リフト乗り場16:00→長浜駅17:00解散→京都駅



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 オオヌマズさんの「豊臣ファミリーと近江No1」というツアーに参加した。来年の大河ドラマにちなんでの歴史資源開発機構の企画だそうで、長浜・木之本・各山頂も含め、「豊臣兄弟」宣伝の旗がひらひらしていた。

 1日目は 木之本周辺で田上山と賤ケ岳の山城を歩き、2日目は姉川合戦の横山城や龍ケ鼻砦をめぐるという日程。賤ケ岳古戦場に興味があり参加したいと考えていたが、予定がなかなか立たずにいた。が、16日になって抱えていた仕事の目途がつき22日からの連休はフリー。ツアー会社に22日だけの参加ができるだろうかと問い合わせたところ可能とのことで、毎度のお供のMと参加。なかなかに勉強になりました。

 姉川の合戦も賤ケ岳の合戦も歴史の授業で習い、ドラマなどで浅井長政とお市の方、浅井3姉妹の物語を知っているくらいで詳しくはない。合戦にさしたる興味もない。ただ、地理的になぜ戦いの場があそこだったのか?には興味がある。山城の造りにも興味がある。

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唐橋の向こうに比良が 刈り入れが終わり 広がる湖東平野

 米原駅のバス乗り場でツアーバスに乗り込む。総勢19人。大半が中年女性で男性は5人。おひとりさまも多い。参加者の半数が関東から来たというからびっくり。早朝の新幹線で参加とか、他のツアーと絡めてずっとツアー旅をしているとか。へええ そういう生活の方たちもいるんやと目を白黒。世の中、暇なというか。。。余裕があるというか。。。 そんな世界があるんやなあ。(というても、いつもあっち行きこっち行きと気ままにしているわたしも 似たようなもんでしょうかね?) 一路米原から長浜へ。

 一昨日初冠雪の伊吹山、北西の山襞に雪が吹きたまり真っ白の帯になっている。先週半ばから凍えるような冷え込みで風もきつく、もし山頂で天候が悪かったらあかんと、手袋に帽子にヤッケと、防寒着をワンセット持ってきたが、日差しはぽかぽか。田上山の登山口は真っ赤な紅葉が今を盛りで、歩いていると汗ばむほど。着こんできた薄いダウンを脱ぎ、山シャツ1枚で十分な心地よさ。

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初冠雪 伊吹山 錦秋の呉枯ノ峰方面

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田上城跡へと登っていく 木之本の町の向こうに賤ケ岳

 ツアーの案内では、田上山城と、賤ケ岳は山なので、登山の格好をしてきてくださいとあった。一応山姿で参加。登り始めは広い林道でよく整備されており、周囲の山は黄色や赤の色とりどりに覆われている。まさに晩秋。点々とお地蔵様や石仏が祭ってある道を三々五々登っていく。

 20分ほどで道は勾配がきつい階段道になる。大きなカメラを抱えたご夫婦としゃべりながら、私はしんがりの方で写真を撮りながら歩いていた。突然すってん。。。と奥さんがよろけた。山歩きなんて久しぶり、こんなところに来るって知らなかったと、ご夫婦。山道に慣れていないようだ。

 しんがりにいたツアー会社の添乗員の男性が、すぐに様子を見に来た。怪我はされていないが、足元が危ない。道の周囲に散乱している木の枝の中から杖になりそうなのを探して、奥さんに渡した。ゆっくりゆっくり木の階段道を登る。旦那さんの方もしんどそうなので、よさそうな木の杖を作って渡した。

 オオヌマズさんと先頭グループはどんどん先へ進む。一人ひとりに無線トランシーバとイヤホンが配布されているので、オオヌマズさんの各所での説明も聞くことができる。

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色鮮やか 勾配がきつくなりプチ登山

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秋晴れの良い日和

 登山口から30分も登るとP323m山頂付近に着く。広く平らな場所が点在。山城を造った跡だという。土橋や堀切、馬出し、土塁などの遺構はよく保存されている。地理的にはこの田上山は、北國街道の入り口を抑えるためのベストの位置で、秀吉の弟秀長がこの田上山城に1万5千の兵を率いての布陣だったそう。

 築いた山城は山頂や支尾根の山全体を上手に使い、各郭が巧みに配置してあった。数か所の郭は結構な広さがあるが1万5千がどうやって暮らしていたのか?大将はそこそこしっかりした建物にいただろうが、兵は雨露しのげればよい程度だったろう。。とのこと。

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田上山砦跡

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山上から琵琶湖を眺める 山上から余呉、行市山方面

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西郭跡 北郭跡

 低山ながら周囲の斜面は急こう配で、攻めるには大変だろう。現代のように地形図も測量地図も空中写真も無い中で、どうやって情報を得たのだろうか。諸国津々浦々を歩き回り、地元に詳しい民に聞きと情報をキャッチして、さらに策を立てる軍師と言われる専門家集団がいたのだろう???

 来年の来るべき大河ブームに備えてか、遺構の周囲の木々が伐採され、見晴らしもよく明るい。案内図も立てられ、観光客への期待度が高い。田上山山頂から東へと呉枯ノ峰へと登山道が続いている。一度は登ってみたい。急な階段道は滑りやすく、ゆっくりと下った。

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田上山山頂323m 呉枯れノ峰へと続く ここは角馬出し

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黄葉が美しい ホウノ葉

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コシアブラの黄色 三々五々 秋を楽しみながら

 登山口から北國街道に歩き、街道沿いの料理屋「すし慶げんさん」で昼食となった。鯖寿司と焼き鯖そうめんの湖北名物料理は美味でした。さすが、街道の要、木之本には良い店がありますね。街道沿いの酒造による時間はないか尋ねていたら、急遽買い物時間を作ってくれた。

 食後、わたしは大急ぎで2軒の酒蔵へ直行。ひとつめは国内で5番目?に古いという山路酒造で(創業1532年、信長生誕2年前)、桑酒を試飲。とても飲みやすくお屠蘇みたいな味。珍しいと購入。ついで、つるやパンでサラダパン購入。富田酒造(こちらも493年目)に駆け込んで「七本槍」をお土産に購入。朝から一緒のご夫婦がずっとくっついてきて、のんびりしているのではらはらしたが、なんとか木之本駅のバスの集合時間にセーフ。

 オオヌマズさんが急遽木之本の地蔵院の説明案内時間を作ってくれたのだが、ご夫婦の世話をしていて(トイレを待っていたり)、参加できなく心残り。

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意富布良神社の背後に田上山 おほふらと読む

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北國街道へ 北國街道マップ

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昼食はここで 湖北名物 鯖そうめんと鯖寿司

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天文元年1532年創業山路酒造

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黒田如水の黒田集落 黒田から伊吹を望む

 お腹も気持ちも緩んで、賤ケ岳リフト乗り場へ向かう。もうずーっと昔、来たきりだけれど、多分ここのリフトは当時のままの風景なのだろう。山林を切り開いたこじんまりしたリフト。子連れもカップルもと乗客は途切れないアットホームさ。所要時間6分だけれど、乗っていた感あります。

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リフトで賤ケ岳へ 竹生島を眺める

 山上リフト駅から急な階段をよじ登っていくと、5分ほどで眼下に琵琶湖のパノラマが広がる。更に急な山道をよじ登ると421mの山頂に到着。四方の山波、眼下に琵琶湖、余呉湖の青さ、見上げる青い空。広々とした空間に気持ちが吸い込まれるようだ。

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山頂から奥琵琶湖を望む

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山頂から余呉湖、湖北の山々

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余呉駅望遠 余呉 糸繰の里川並

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賤ケ岳から姉川合戦場俯瞰

 先に到着した先頭集団に賤ケ岳山城の説明をするオオヌマズさん。北方を指さしては、柴田勝家軍と秀吉軍との攻防を説明してくれる。山々山が続く北陸からの山地の要所に砦を構え、両軍が対峙。突き上げるような山頂を持つ行市山の砦から、柴田軍が駆け降りて攻め込んできたそうで、昔の人たちの体力脚力はすごい。

 合戦は何度ものぶつかり合いの末、最終的には勝家方の前田利家の寝返りで、ここに秀吉の天下統一への道が開けたそうです。そんな話を聞きながら、いつの世も権力闘争の駆け引きに、取り込みに裏切りにと人間は変わらず続けてきているんだなと、おかしくもあり。

 山頂で周囲を見渡しながら姉川合戦の説明も聞く。信長と浅井との攻防。幾度もの戦いの末、小谷城を落とした信長は、長浜から琵琶湖へ安土へと向かい、天下を取るには琵琶湖の水運を抑えたものが勝つと考えて、それが比叡山焼き討ちへとつながった。。。。との説明に、納得。

 権力権益を追い求める人間のパワーはいつの世も同じなんだなあと、山頂から地形を眺めているとその歴史の大きな流れが俯瞰できるようだった。面白かった。ここでも、この複雑な地形の中で砦を築き要所要所を守る、その知恵に感心してしまう。

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武者の像 光の道

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三等三角点

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山頂から北西の山々 山頂からの下り

 賤ケ岳でも砦の縄張りを歩く予定だったが、田上山での参加者の様子を考えての上か、山頂広場での説明に終わった。大堀切というとても大きな堀切(溝ですね)が造られたそうでその遺構に行くはずが、行きますか?とのオオヌマズさんの声に参加者からは「いいえー」で中止だった。山頂直下の大堀切の場所、確かめるのを楽しみにしてきたが残念。(大堀切は、今では切通しと言われる峠道なのでは?と期待していたのだが)

 湖西の山々に沈みゆく太陽のきらめくさまは素晴らしく、しばしうっとりと眺めた。そんなことをしているので、リフト駅に下山したのはみんなのラストで、大急ぎでバスに走った。ツアーの宿は長浜、バスは湖畔道路を走る。琵琶湖の湖面を朱色に染めながら比良山地に沈む夕日。刻々と迫る夕闇の中を長浜へ。ホテル宿泊して2日目も参加するご夫婦と別れを告げ、JR駅へと歩いた。

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夕陽

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琵琶湖の夕焼け

 オオヌマズさんの解説は、独特な切り口で歴史を俯瞰図として語ってくれるので、話がすとんと腑に落ちる。歴史学という実証学問的にはどうなんだ?との異論もあるそうだが、わたしはダイナミックな説明に想像をかき立てられる。行きたい山リストには、賤ケ岳と呉枯ノ峰追加。信長秀吉の時代の歴史書を読みたくもなった旅でした。

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賤ケ岳の合戦資料



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