京都北山を中心とした山々を楽しむ okaokaclub

東海道五十三次 七回目
(関宿~鈴鹿峠~土山宿)
(伊勢の国から鈴鹿峠越えて近江の国へ)
2025.01.23

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鈴鹿峠

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日程:
・2025年 1月23日(木) 晴れ 森の旅人Mと嫁さん

コース:
・JR関駅~亀山市:関宿~坂下宿~鈴鹿峠~甲賀市:土山宿~バス停白川橋


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 今回は前回の四十七番関宿から歩き始めて四十八番坂下宿を抜けて鈴鹿峠越えです。ようやく近江の国へ入ります。関駅に向かうためJR奈良線木津駅から8両編成の電車で関西本線へ乗り替えて加茂駅へ。この駅で1両編成のディーゼルエンジン搭載の列車に乗り替える、赤字路線の非電車区間です。

 通勤通学時間なので朝の列車はほぼ満員で出発。ディーゼルエンジンの唸りと振動が心地よく山間部を走り抜ける。過疎地域を走行するため乗り降りは少ないが、途中から立ち客も見られた。終点亀山駅手前の関駅で降車、満員の列車を見送る。

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関駅で乗車してきた
亀山行きディーゼル車両
JR関駅

 関駅でトイレを済ませ、嫁さんを待っていると体が震えるほどの寒さを感じる。前回は関宿東側を歩き終えたので、今日は西側を抜けて鈴鹿峠手前の坂下宿に向かう。

 8時過ぎの関宿はまだ観光地として目覚めていないのか通りは人の姿はボツボツ。電柱のない通りはすっきりしている。東西1.8kmの細長い町並みをようやく抜けると国道1号線沿いをしばらく歩く。交通量少ないこの辺りを走る車両は相当なスピードで通り抜ける。薄曇りの天気も青空が見えてようやく周囲の山々を明るくする。

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関宿の西側の通り 国道1号線へ出る

 国道1号線から離れて右折し脇の道路へ方向を変える。今回のコースにはコンビニがなく飲み物と昼食等の購入はできない。一番はトイレ休憩場所がないことだ、把握しているのは鈴鹿峠を越えた先と土山宿までに1カ所の2カ所のみ、16km7時間の道のりにしてはなか厳しい。

 再び国道1号線に出た先の市瀬のバス停市瀬の近くに426.2kmの標識が見られる。三回目の脇道から最初の集落に入ると坂下郵便局があるがここは坂下でなく沓掛集落、坂下宿手前で更に杉林の道路を奥へ進むと鈴鹿峠自然の家、そして公共の施設と思われる鈴鹿馬子唄会館に到着。

 この会館ならトイレが借りられるのではと思い訪ねると受付に女性が一人在席され、トイレ借用をお願いすると難なく了解され安堵する。会館では坂下宿の絵図と峠を越えるための荷役の馬等が飾ってあった。自然の家前の道路には日本橋から京都三条までの五十三次の宿場を書き込んだ標柱が並んで立っている。50本を越える標柱はなかなか絵になる。

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国道1号線から脇道へ バス停市瀬 日本橋から426.2km

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国道1号線から離れる 鈴鹿馬子唄会館

 先に進むと民家が見えて集落が現れる、坂下宿である。広い道路両側に民家が立ち並ぶが歯抜けのように更地もある。賑やかだっただろう宿場は現在一軒も宿場はなく山間部の集落になっている。本陣跡の標柱も見受けられ当時の説明文の案内板が設置されている。

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東海道五十三次の宿場名の標柱が立つ 坂下宿は道路が広い

 坂下宿を抜けると左手に国道1号線、その脇道を上っていく。片山神社へ向かう分岐で右折、坂道になり山中に入っていく。結構な坂道を登り切った正面に片山神社が鎮座している。ここから本当の鈴鹿峠越えが始まり、道は地道になり松林と雑木で木陰となった道は急坂に変わる。

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国道1号線沿いに坂下から鈴鹿峠へ 片山神社への分岐

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片山神社 鈴鹿峠へ

 国道1号線もこの辺りを走るため頭上には高架橋が上下2本分走り、巨大な橋脚が何本も立ち並んでいる。急なコンクリート石段を上ると国道1号線が真横に見える広場に出る。国道1号線工事により当時の東海道は破壊されてこのコンクリート石段となったのだろう。旧東海道には不似合いな高架道路であるが、深山の山間部を抜けて走る国道1号線をよく作ったと思う。

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急坂を登る 国道1号線の橋脚が立つ

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橋脚横の石段を登っていく 国道1号線と同じ高さに出る

 広場から更に登っていくと坂道が緩やかになり杉林の中へ入っていく、多くの標柱が見える。ようやく鈴鹿峠に到着したらしい。しかし鈴鹿峠の名を示す標柱は無く大きな鈴鹿峠の説明文と絵図が設置されていた。峠の標高は約380mで高くはない。鏡岩と呼ばれる岩が近くに有るというので西側の高畑山登山道へ入っていく。

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広場に出る 更に登り続ける

 分岐があり鏡岩を示す矢印に従い向かうと岩場が現れた。どれが鏡岩か分からなかったが、そこからは鈴鹿峠を越える国道1号線の曲線が見えた。峠に戻り北側へ行くと伊勢の国と近江の国の境界標柱があった。ついに近江の国へ入ることになる。

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鏡岩から国道1号線を望む 鈴鹿峠

 峠に戻り北側へ行くと伊勢の国と近江の国の境界標柱があった。ついに近江の国へ入ることになる。近江の国へ入ると杉林は無く、代わりに茶畑が広がり明るい風景となる。トイレもあり先の広場で昼食とした。

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伊勢の国と近江の国境界 境界に立つ標柱

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鈴鹿峠の公衆トイレ 万人講常夜灯

 広場には江戸時代に道中安全を願うため建立した万人講常夜灯と呼ばれる巨大な常夜灯がある。今日はコンビニもないので昨夜嫁さんが作ってくれたおにぎり弁当です。風も無く晴れているが季節はまだ冬で寒さを感じる、温かい春雨スープとお茶でいただきました。

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土山に入ると茶畑が広がる 滋賀県に入りました

 昼食後、土山宿方面へ下ると国道1号線へ出る。4車線の広い道路であるが通行量は少ない。地下道を潜り右側(東側)へ移る。スピードを出すトラックの風圧を感じながら歩くが、しばらく代わり映えの無い風景が続く。信号山中西で公衆トイレにも寄ってみる、ここは新しく最新設備であった。前方に新名神の高架橋が見える。その高架橋の真下を歩く。

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国道1号線をしばらく歩く 新名神の下を歩く

 蟹ヶ坂からは黄色で着色された道を土山宿まで歩く。順調に歩き通し海道橋を渡り田村神社境内へ、左折してまっすぐ南下した先が今日の目的地「道の駅あいの土山」である。ところが国道1号線を越えた先にあるべき道の駅がない!轟音と土煙のなか取り壊しで建物は無くなっている。予定していたトイレ休憩と軽食も吹っ飛んでしまった。昨年12月から撤去工事が始まっていたらしい。そして北側で新しい道の駅を築造中だった。

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蟹ヶ坂から黄色の道へ入る 海道橋渡り田村神社へ

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田村神社 道の駅あいの土山がまさかの解体工事中

 予定より1時間早い予定で到着したので先に進みたいと言うので、四十九番土山宿を歩く、宿場跡らしく旧宿屋の名を記載したプレートと石柱が設置されている。「土山宿無料休憩所」に寄るが鍵が掛かり休みだった。平日に歩く人や観光に来る人は少ないので致し方ない。

 続いて喫茶店を探すがここも休み。土山宿を抜けるのでは思った先に「東海道伝馬館」なる施設が目に入る。奥へ入ると女性が見えて声をかけると開館しており快く迎え入れてくれた。トイレ休憩以上にお茶もいただき施設の案内(地元の方の切り絵と100体を越える大名行列の人形等)もしていただいた。土山のほうじ茶を購入し、お礼を言って先に進む。

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土山宿の通り 土山宿の宿屋跡の表札

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東海道伝馬館でようやくトイレ休憩

 国道1号線沿いを進むと思っていたら、土山宿を越えた先では野洲川を渡河するのが本来の道で、現在の参考コースは東海道から大きく外れている。本来の道をできるだけ歩きたいと言うので野洲川の南側の渡河場所と反対の北側の場所を探して歩くことになる。南を確認した後は近くの白川橋を渡り大きく回り込んで北側の渡河場所付近を確認。

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野洲川南側の渡し跡辺り 白川橋を渡り対岸へ

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野洲川北側の渡し跡辺り 本来の旧東海道だが
参考コースから外れる道

 疲れも出てきて帰るバス時刻も近くなり当方の機嫌が悪くなるが、改めて来ることも大変だ。嫁さんは思いどうりに確認できたと納得してくれたようだ。バス時刻に間に合わせるため急いで国道1号線へ出る。バス停白川橋で待つこと5分でやってきました。JR貴生川行きのコミュニティバスに乗車、ほっとしてバスの乗客になりました。

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バス停白川橋から帰宅

 人に会うこともほとんど無く、またコンビニも全く無いコースで心配した鈴鹿峠越えでしたが、天候にも恵まれ無事近江の国へ入りました。今後はJR沿線が近くになり歩きやすくなります。


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