赤崎東谷ノッコシを探す旅 その3


Oさんと記念撮影



2008年12月20日(土) −1℃〜12℃ 快晴 Oさん、小てつさん、ikomochi
                                          赤崎東谷MAPへ


コース:
出町柳⇒広河原9:45発〜ワサビ谷入口10:20〜ワサビ谷遡行〜大滝11:15〜ノッコシ12:05=13:05〜サエ谷尾根に向かう〜サエ谷尾根13:40〜サエ谷橋14:50〜広河原15:10


okaokaclubからのお願い

◆このレポートにある「トチノキの鞍部」は、古道の乗越のひとつであり、
登山道の「東谷乗越」ではありません。間違えないように注意してください。

◆古道の乗越から南北へ通じる作業道の先は、現在崩壊していますので、
踏み入らないようお願いします。

                    【 サイト管理人 哲郎 】





 ノッコシの標識を取り付けに行くべく準備していたら、小てつさんが同行してあげましょうと嬉しいお誘い。小てつさんの愛車軽トラに乗せてもらい、花背峠を越える。

 今日もやっぱり、峠を越えたらがらりと景色が変わり、別所村は一面の霜の世界。光る路面に、小てつさんの運転も慎重になる。先の14日、小てつさんは、10年ぶりに歩くというOさんと一緒にノッコシ古道を探査したばかりのほやほやで、わたしも同じ道を連れていってもらう約束だ。Oさんは仕事で来れない・・の言葉に、少々がっかりだ。ノッコシには是非ともOさんに案内してもらいたかったのだが・・・。

 お約束の庄兵衛さんの前に、1台の軽トラ。「あれえ Oさんの車やん?」お店の椅子にちょこんと座っていたのは、Oさん。「あれ 仕事じゃなかったの?」なーんと、どっきりカメラならぬ、びっくりサンタ小てつさんのクリスマスプレゼントだったのです。山に行くというOさんを、誘ってくださったってわけでした。嬉しさに舞い上がるわたし。

 Oさん、小てつさん、絶妙な組み合わせの師弟コンビ。小てつさんはついに長年愛用の腰ベルトを止めて、師匠から譲り受けた大きなザックを担いでいる。一切合財を詰めたら重いのなんのと言いながら、軽い歩調のOさんにしっかり着いていくところなぞ、なかなか頼もしい限り。Oさん、いい弟子ができて心強いことでしょう。

Oさん 小てつさん 名コンビ ここが取り付きやで

 ネジリキ谷からホラノ谷の林道付近、「イコモッチャン、どこが入り口かわかるか?」林道から北側の斜面を透かしてみると、植林地の中を走る1本の道。林道から一段高くなった場所にある。わたしは作業道かな?と思っていた踏み跡だが、「これがな ノッコシへの入り口やで」

 さらに、林道を少し進むと、草ぼうぼうの沢の入り口がある。以前、この草むらをかき分けて谷に迷い込んだ場所だ。今日もOさんは、枯れた草を踏み沢に進む。「さっきの道はあそこに見えるやろ。」ノッコシへの取り付が右側に見えている。「そしてな、ここ。ここがもっと以前の入り口や」Oさんが指差す方を見れば、草に覆われてはいるものの、深く掘り状にえぐれた道型がくっきりと残っているのです。「これだけ掘れているってことは、相当人の行き来があったってことですよね」嬉しくなってしまうなあ。

ほら 道が掘れているやろ 道型を探す2人

 少しの間はっきりとした道があるので、進む。西側の首吊り尾根。ここで事件があったそうで、怖い名前の命名はOさん。「この尾根はな、昔は道がなかったんや。いっぺん行ってみよかって庄兵衛のだんなと登ってな、これなら使えるなあと枝を切り開いて道を作ったんや」そうやったんですか。「尾根の取り付きは、あんたらが使こうている作業道やのうて、林道からまっすぐに直登するんやで」えーっ それってかなりな激登りですやん!

 そんな苦労話を聞きながら、沢沿いの道を進む。分岐を右へ行くと、すぐに道は怪しくなる。右岸を見ながら、「あっちに道型が見えるなあ」とOさん。沢伝いに道型が残っているので見にいくものの、先は流れていて見分けがつかなくなる。「あの上のほうに、道があるみたいやけど」と小てつさん。下から斜面を眺めると、確かに道らしきものが水平に走っている。西の斜面をよじ登るが、獣道が続くだけ。さらに上の方へと偵察に行くOさん。 「あかんわ、もう道は消滅しているなあ」獣道が辿れたら行きたいところだが、それも崩れた箇所が多く、無理っぽい。沢沿いに遡ったほうが安全だろうということになり、3人で沢を遡ることにした。

頭上には 道型の名残が見える 沢沿いに行くことにする

 10年ほど前までは、この沢はワサビがびっしり生えていて、イノシシも食べにくるほどだったそうな。「なぜかこの谷と、ノッコシた東谷だけにワサビがあってなあ。周山の料亭に持っていってやるもんやった」とOさん。村の人が、この沢で苗を取り、ホラノ谷でワサビ田を作ってもいたそうだ。そんな豊かな沢も、10年ぶりに歩いてみると、ワサビは姿を消し、道ものうなってしまった・・・とOさん。庄兵衛の奥さんが、「広河原の山はすっかり荒れちゃって、山に入る気になれないわ」と話していたのもなるほどとうなずける、そんな山の変貌振りなのだろう。でも、Oさん、小てつさんと相談して、もともと名前がないというこの谷に『ワサビ谷』と名前をつけました。また山葵が戻ってくるように、そして豊かな山になるようにと、願いをこめて。

滑りやすい荒れた谷だ 倒木も巨大

 新名『ワサビ谷』の沢は、通る人もないので、苔がびっしり岩に張り付いている。おまけに、「ここらの岩は滑りやすい」というだけあって、ヘタに足を乗せようものならばつるりんと転んでしまう。藪枯れで見通しが利くので、慎重に足場を探しながら前進。現れた小滝群の左岸を巻いて、慎重によじ登る。「ゆっくりでいいで。あわてんでいいからな」とOさん。小てつさんがロープを出してくれるけど、「いらないよ、平気だよ」とすべる岩場をよじ登るわたし。が、ずるっと足を滑らせて、危うく墜落しそうになるわたし。「だからぁ ロープ出したのに・・」と小てつさん。すみませんデシタァ。

 第1の難所を通過すると、倒木が散乱した荒れようになり、すぐに沢の分岐。ここはポイントで、左側 西の沢へと進むべし。巨大な倒木が転がっている。すっかり苔に覆われいる。どの木が折れたのか、上を見上げると、斜面にこれまた大きな木の根元が残っていました。相当な巨木だったことでしょう。 沢の西側の尾根を見上げると、等高線上に道型らしきものの痕跡がずっと繋がっています。 「古道は等高線で大滝まで登っていっているなあ」とOさんと小てつさん。沢沿いに歩かず、尾根の中腹を行く巻き道だったようです。

ポイントここは西へ 最大の難所 大滝

 「今日一番の難所や」と小てつさんが言うと、目の前に3mくらいの滝が現れました。小ぶりながら、滝つぼまでしっかりと備わっています。「この滝やな、カズヨンさんが苦労したという滝は」滝つぼまで行って眺めると、上部は段になってさらに奥がありそう。岩は特有の滑り石。「この滝、どうやってよじ登ったんやろうなあ。すごいというか なんというか、カズヨンさんはやるなあ」と小てつさんとひとしきり。(先日のノッコシの旅で書いたKさんが越えた大滝の項、その後Kさんことカズヨンさんとのやりとりで、図らずもこの谷を遡行したことが判明しました。初級沢登りの連続だったそうです。大滝はさすがによじ登らず、右の斜面をよじ登ったのだとか)

 わたしたちはこの大滝を登れないので、Oさんの先導で、右岸の崖をよじ登る。岩の足場と木の根を掴んで、慎重に慎重に。すぐに、滝の全容が見渡せる場所に出た。最下段は3mくらいだが、その上部がさらに3段になり、つごう4段10mほどの堂々たる大滝。滝つぼは垂直に落ち込んでいて見えない。このまま滑落したら、危険な高さだ。

大滝の右岸を高巻く 第二ポイント 分岐を西へ

 大滝の西の斜面には、谷の入り口から等高線で続いていたであろう巻き道の、名残があった。炭や薪を背負って歩くには、安全で早く歩ける道が必要だ。ところで、炭1俵、何キロと思いますか。20キロだそうです。それではますますのこと、足場がしっかりした道じゃないと駄目ですよね。

 大滝の上部をこわごわトラバースして、垂れ下がった藤蔓にしがみついて、滝の上の沢に到着。見上げると、頭の上はもうノッコシの鞍部で、葉の落ちた大木の上には真っ青な空が広がっている。朝は凍結していたけれど、陽が上るにしたがって気温がぐんぐん上がり、暮れとは思えぬぽかぽか陽気。ここらで一休みしようか、お湯を沸かして、小てつさん持参のこぶ茶をよばれた。

源頭部に到着 ノッコシへ 小てつさんも記念撮影

 元気が出たところで、もう一仕事。最後の源頭部を上り詰めると、もうひとつのポイント、沢の分岐がある。ここも左側西の沢に入る。すぐにゆるい登りになる。堆積した赤や茶色の落ち葉をさくさく踏み分けると、そこはノッコシ。Oさんが、この木につけたらいいんと違う?」と鞍部の中心にある小木を指差す。先日の『かもんこえ』標識は木にぐるぐる巻きでくくりつけたのでちょっと駄目だったかなあ 、今度のには穴を開けてきた。紐を穴に通し、無事、『東谷ノッコシ』の標識を掛けた。と、Oさん「あんな ほんまは赤崎東谷ノッコシや」と言い出した。あー、正確にはそうやなあ。でもま、今回はとりあえずってことで、目をつぶってもらいましょう。次回、『赤崎』を書き加えにまた参ります。

赤崎東谷ノッコシ標識 赤崎東谷への古道

  標識と記念撮影後、昼食。 ノッコシの東谷側には、道型が残っている。じぐざぐに尾根を下ると、東谷沿いにゆるい巻き道が由良川へと続くそうな。東谷には、炭焼きの基地があったそうだ。つい数十年前まで、わたしが子どもの頃までは、家庭では炭や薪が熱源であった。床下には、炭置き場があった。街中でもかまどがあったし、風呂は薪で沸かし、炭をおこして調理もしたし、暖もとった。薪炭産業は一大産業であった。広河原には炭の集荷場があったという。活気ある村だったことだろう。

 「さあて、これからどう行くかな」とOさん。もちろん「ノッコシからサエ谷尾根に続く古道を探しましょうよ」とわたし。ノッコシの南面を東へと、うっすらと道型が残っている。ちなみに、西面には今日登ってきた谷へと下る道型が、残っていました。見にいったけれど、先は消滅。

 谷を巻きながら道型は東へ続く。が、すぐに倒木が道をふさぎ、その先は怪しくなった。「こうやって倒木が道をふさぐと、獣が通れませんやろ。獣が歩かんようになると、道はだんんだんのうなってしまいますんや」そういうことですか。先日見つけた古道は、人が使っているから残っているわけではないのですね。獣が歩いているからきれいに残っているわけですね。あの古道は倒木がなかったですもんね。古道を残すには、時々見回りにきて倒木をどけてやらなくちゃいけないのですね。

サエ谷尾根古道へ 板取りの跡

 道端の大木の一部が、すっぱりとありません。90×100センチはあるでしょうか。「これは板取りの跡や」とOさん。のこぎりで切り取れるだけの、大きな一枚板を切った跡だそうです。天井板とかに使ったそうです。「一升飯をかきこんで山に登ってきて、一日がかりで板を切り出して、背中に背負って下ったんや。大変な力仕事やったろうな」と、Oさんの話を聞くと、まるでそこにわたしもいるような気持ちになります。こんなに大きな板を切断しても、木の本体は死なないそうです。それもすごいことです。

 怪しくなった古道は、かすかに獣が歩き続けているようで、谷の上部をトラバースしながら道が見える。辿っていくが、これが怖いのなんの。下は谷の源頭部に急斜面が下っていて、崩れそうな土の上を滑り落ちないようにへっぴり腰で一歩一歩。そんな私を尻目に、Oさんはすたすたと進み、藪を分け道を探している。トラバース道でも身体は立っているもんね、Oさん。わたしはやっちゃあいけないという山側にへばりついた姿勢です。こわーい。 そうやって源頭を2つ巻き、やっとサエ谷尾根本体の真下に近づきました。最後、苔むした大岩群を乗越えて、やっと尾根上に到着。あーやれやれです。

獣道を進む トラバース道を行く

 しかし、このサエ谷の尾根もいい加減藪こぎが続きます。はっきりした道がないので、獣道を歩きます。藪を巻き、潅木を掻き分け下ります。先頭を歩いていたわたしは、いつの間にかOさんに追い越されてしまいました。Oさんは歩きやすい道を探すのが早いし、すたすた歩くのです。さすがです。

 この尾根で、不思議な巨木を発見。門の形をした2本の大木。なぜ門かというと、左の木の枝が伸びていった先に右の大木の幹があり、そのまま枝を伸ばしたもののいつの間にやら右の木の幹に巻き込まれてしまったというのです。延びた枝先は枯れていますが、太いので、かなりの年月をかけてじわじわと取りこまれたようです。想像するだに恐ろしい光景に思えます。右の木の枝は真綿をくるむように締め付けられていったのでしょう。左の幹からは樹皮というか細胞というか なにやら得体のしれぬものがじわっと伸びていったのでしょうね。

 「あっ りすのレストランや」と小てつさん。見ると、木の切り株の上に栗のイガがちょこんと乗っています。「???」リスが栗の実を食べた跡だそうです。見晴らしが利く木の切り株の上に栗の実を持ってきて、ゆっくりご馳走になるんだとか。「あるとき、ひょいと見るとりすが夢中になって実を食べていてなあ・・・」とOさん。そうか、わたしはまた上手に木の切り株の上に栗の実が落下したもんだなって、思ってましたよ。これから山を歩くときは、レストラン探してみよう。それから気をつけていると、2個3個とイガがのっかった切り株がありました。たのしいなあ。

やっと尾根道へ出た 門の樹 りすのお食事

 そんなこんなでわいわいと言いながら尾根を下る。「しかしひどい藪やなあ、さすがにテープはないし、だれも来とらんなあ」と話していると、ありました。okaoka印のテープ。確か最近2回ほど来ているはずなので、そのうちのいづれかでしょう。激斜面をよじ登ってきたのでしょうか。東の谷はサエ谷へと落ち込んでいます。ま こんなとこに来るのはokaokaさんくらいでしょう。

台杉 巨木

 平坦だった尾根がどんどん下りになり、藪もひどくなり、先に道を探しにいったOさんの姿はとっくに辺りにない。小てつさんと、えーっこんなところを下るのかなあ でも太陽は南やし・・と、木の枝にぶら下がりながら下っていく。すると、「おーい おーい 林道やでえ」とOさんの叫ぶ声。「はーい 下ってますよお」とわたしたちも叫びながら、激斜面を下ると、目の前が開けた植林地になり、その先にネジリキとサエ谷の分岐が見えた。 転がり落ちないように慎重に下っていくと、サエ谷橋に腰掛けて一服しているOさんがいた。あー下りは、登り以上に足を踏ん張り、大汗が出ます。

 「サエ谷からノッコシへの古道は、植林ですっかり消えてしまった」とOさんは言います。 かつて、北山クラブに東谷乗越の場所と道を教えたのも、実はOさんだそうです。 広河原から東谷へ、芦生へと木や山の幸を求めて人々の行き来は盛んで、尾根や谷にはノッコす道がそこここにあったそうです。サエ谷の破線の道もそのうちの1本でしょう。

Oさんはすたすた下っていく サエ谷橋へ下る

 しかし、今日たどった谷道は、距離は一番短く危険な箇所はなく、重い荷を担いでの行き来に一番使われていたのではないでしょうか。歩いてみて、そんな確信を小てつさんとわたしは抱いたのです。ワサビ谷の古道は、残念ながら消滅していてわずかな痕跡のみでしたが、山を歩きつくしてよく知るOさんに案内してもらい、たくさんの教えを貰いました。アレンジしてくれた小てつさん ありがとうございました。

 今年の山歩きはもう終わりですが、5年越しの疑問が次々に解け、新たな山の仲間が増えた今年は、わたしにとって思い出深い1年となることでしょう。 突然の病でままならぬ1年でしたが、後半は体力、気力が少しづつ戻り、山への興味がまた湧いてくるようになりました。徐々に時間や距離を伸ばし、無理せず歩こうと思います。山は、わたしに活力をくれます。古い道を探し、藪をかき分け、目的地に着いたときの喜びはお金で買えません。大きな樹に抱きついて養分を分けてもらい、山に呼びかけて返事をもらったときの嬉しさ、山は病をも軽くしてくれます。元気の源は、山歩きと個性溢れる山仲間たちとの交流です。みなさん ありがとう。来年もよろしくお願いいたします。



                          【記: Ikomochi】






冬の花