小てつのよも山話(NO.26)
「小てつの娘 愛宕さんに登る」


小てつの娘が通っていた保育園は・・・



2008年12月28日(日)  小てつ





 今回の話は、小父さんはお休みで、小てつの話。

 okaoka clubのメンバーのお一人に、お孫さんが誕生された。
 誠におめでたい話で、自分のことの様にうれしい。
 お宮参りに、お食い初めと、お話を伺っていると、自分の娘の時のことも
 思い返し、ついこんな話を思い出した。

 小てつの娘が通っていた保育園は、お寺の境内の中にある。
 近在の施設をくまなく自分で見て選び、預かっていただくことをお願いした。
 毎朝のお勤めで礼節を学び、薄着で健康を養い、数年間を元気に過ごさせて
 いただいた。
 また、たくさん行事もあり、親共々、あちこちに連れて行っていただいた。
 その極めつけが、毎年行なわれる年長児による「愛宕さん登山」である。

 いつもは11月に行なわれ、上の娘も気候の良い日に行ったのだが、下の娘
 の時は、どういう訳か順延が重なり、とうとう2月になってしまった。
 決行予定日の3日前、愛宕さんを見れば、何やら上の方は怪しい雰囲気だ。
 小てつは、気になって登ってみた。
 案の定、水尾別れから上は別世界、氷の世界である。
 表参道は踏み固められ、スケートリンクだ。
 スニーカーで登った小てつは、端のほうを気をつけて歩くが、それでも2回
 こけた。
 電波の通じるところまで降り、すぐ電話、

「園長先生、こりゃ無理です。とても歩けません。」

 と、小てつ。

「いえ、行きます。行かないと「頑張りっ子」になれません。」

 と、園長。

 何でも、愛宕さんに登ることで「頑張りっ子」の称号が受けられ、後輩達に
 胸を張って卒園できる慣わしだそうだ。

 どうしても登るんならと、小てつは、鋼材を加工して荷造りひもを通し、
 超軽アイゼンを年長児32人分、64ケ作った。
 決行当日の朝、引率の先生に、「荷物になりますが・・・」と、持っていって
 もらった。

 結果は全員無事帰り、めでたく「頑張りっ子」の称号を受けたのである。
 帰ってきたバス停で、年長児たちの雪と鼻水でカベカベになった上気した
 赤いホッペタと、ドタドタのズボンすそを見ると、たくましくなったと、
 涙の出る思いであった。

 後から聞けば、やはり5,6人、特製アイゼンを着けないと動けない子がい  
 たらしい。
 つるつるの靴底の、普通の靴で来た子達である。
 そりゃ保育園年長児が、そんなところに連れて行かれるなんて、親御さんは
 想像もしていなかったのだろう。


 何年か経って、他の用事で園に電話をすると、偶然当日は「愛宕さんの日」
 であった。
 小てつは、自分の娘の時ならダメだけれど、よその子だったらええやろうと、
 昼ごはんもソコソコに、お出迎えに登ってみた。
 丁度、通称「鬼のねぐら」の、崖がえぐれたところらで、出会った。
 手を振ると、引率の先生は、「このオヤジなら、不思議な行動ではない。」と
 思ってくれたのか、驚きもしなかったし、結構ウケた。

 隊列を見送り、最後のグループと一緒に降りる。
 その中の、やはり女の子はきついのか、もう半べそである。

「リュック、持ってあげよか?」

 と言うと、

「リュックは、自分で持っております。愛宕さんの鬼と約束しました。」

 と、キッパリ返されてしまった。

 そうですか園長先生、「頑張りっ子」は、こうしてできるんですね。


 もう十年も前の、思い出話



                        【 記: 小てつ 】