小てつのよも山話(NO.2)
若い頃の話


2008年7月7日 (月)   晴れ        小てつ







 いつ頃から、登り始められたんですか?

「みんな、よう聞きよるんやけどな。」

ハーモニカを吹くのを止め、小父さんが、語りはじめた。

「まあ、岩は、働き出してからやが、山を歩くとなるとなぁ。」

 小父さんは、四国、徳島の出身で、それも山の中。「京都北山」とは、また違
う、「山岳地帯」と言ってよい地域だ。ほんの数キロの間で、海抜二百メートル
の谷すじから、海抜二千メートルの尾根すじを見上げるような険しい地域であ
る。
 偶然にも、私は、学生の頃、「剣山」の尾根をはさんだ「鬼頭村」に一週間ほ
ど、滞在したことがある。郷土の「ゆず」を全国区に広める。と言うプロジェ
クトの隅っこに、居合わせたのである。プロジェクトは、頓挫し、立ち消えと
なったが、その時の取材や体験などで、この地域のことは、全く知らないとい
う訳ではない。
 このあたりの地域を、イメージしていただくのに、ぴったりな伝え言葉があ
る。

 祖谷は、いやいや、行きとうない。 
(イヤ)      (鬼頭)

 鬼頭村をはじめ、祖谷地方には、険しくて、嫁に行くのはイヤだ。という女
子衆の伝えだろう。
 小父さんは、尾根の北側で、多分、大歩危、小歩危のあたりだろうが、地形
図を見ていただければ分かるように、似たりよったりの、等高線の混み具合だ。

「その頃は、みな、貧しくてなぁ。」

 小父さんは、高校時代、高いバス代を浮かせるため、片道十三キロを、毎日、
徒歩で通ったというのである。

「それもな、道路やないで、山道や。近道や、言うてガケ下りたりな。」
「時々な、ついでに炭を担いでいくと、何十円かになるんや。」

二宮金次郎の世界である。しかし、その当時に、高校に行けたというのは、ま
だマシだったそうな。

「基金のおかげや。」

それで就職もできたそうで、

「就職できたんやが、衣装がいってなぁ。その当時は、吊るしなんてあらへん。
 みんな、あつらえや。背広から、ワイシャツから。
 背広が、月給の三ヶ月分。シャツが、一ヶ月分したから、全部、月賦や。
 いっぺんには、とても払えへん。」

「月給が、八千円やったかなぁ。下宿代と月賦に、四千円払ろて、それでも、
アルプスまで、三千円の交通費使こて行って、残り千円で、ひと月暮らさな
あかん。それでも、行ったなぁ。」

「登りはあかん、しんどうて。けど、下りは早いでぇ。
 以前、アルプスでの下りで、エベレストに日本で初めて登頂した、〇○と
 一緒になってな。
 負けるかいな。
 人の半歩ほどの歩幅で、ちょこちょこと、石を蹴らんように、走ってる
 ようなもんや。
 その方が、ヒザを痛めん。
 下から、見てた人が、「ひや〜、天狗が2匹、降りてきよる。」言うて、
 びっくりしとったが。」

懐かしそうに振り返り、しばらくして再び、ハーモニカを吹き出した。

曲は、「ふるさと」。

タゴガエルも、一緒に、合唱をはじめた。



                        【 記: 小てつ 】

剣山