親父の山歩き報告 (NO.19)
大東亜の野望は風花舞うトンネルの闇に(愛宕山ケーブル跡コース) |
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なんとなく佐伯祐三の世界を彷彿させます |
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2008年 2月5日(火) 洛西オヤジ
![]() ![]() ![]() ![]() えらいたいそうな標題になりましたが、芭蕉大先生の、夏草や兵どもが夢の跡、の一句がなぜか脳裏をかすめる歩きでした
(コース)
こんにちは、洛西伊達オヤジです、二月になりました、春が来ました。「どこにやねー」とゆうお叱りの声が聞こえますが、節分すぎたらもう春なんです、はい春です。でもオヤジは先日比良の蓬莱でエライ目にあって、もう山は懲りました。今後はポンポン山と愛宕山しか登らない事に決めました。 それに寒いし山は怖いしお布団にもぐって、じーとしていたらストレスで過食症になり激太りして、家の階段登るのもハア、ハア結う始末、いよいよ皆さんに失笑を寡っていました親父の報告も、エピローグの雰囲気が、でも春なんで愛宕山に行く事に。 さて何処から、もちろん清滝表参道しかないでしょう、とゆうわけで、清滝のトンネル手前の駐車ペースに此処はトンネルを歩くのが怖いのですが、皆さんご存知の人はよく留めていかれます。只トンネルを歩いている時に車が入ってくると、ものすごい音がします。車のライトが見えないのに、グワーゴーギャーと結う音が先に聞こえるので判っていても怖いのです。
オヤジはヨボヨボと歩いて清滝に、此処の駐車場は思ったより平日と結うのに沢山車が止まっています。登山の格好した人がウロウロ、へーみんな愛宕山好きなんやー、中にはものすごい本格的な格好したオッチャンも。こらあかんオヤジがヨタヨタ歩いていたら迷惑が皆さんに掛かるなー、どないしょうなー、ふと表参道の鳥居の横の階段が目につき、そうやケーブル跡のコース下から登ってみたろ。みたところ、誰もそちらへはいかはる様子もないし、それに一直線に登るのやし、距離も短いのちがうやろか。 この辺の思い付きが単純とゆうか甘いとゆうか、登りだしたオヤジはすぐに、えらいきついなーそうか距離が短い分、勾配がキツイのやー、しんどいなー、えらいとこ来たなー、と思っても後の祭り、ハアーハアーいいもってエッチラです。さてここでこのケーブル跡についての講釈を、なんですか、そんなん判っている初心者のお前がなにゆうてんねん。そらそうかもしれませんが、まーたいそうな標題掲げた手前ちょっとだけ講釈述べさせてください。 昔、昔その昔、「いったい いつやねん」はい話は昭和四年の事であります。「そんなもん 愛宕山の歴史に比べたら 昨日のことやないけー」そらそうですけど、ちょっとしたいいかたでんがな。(大阪弁か京都弁か どっちやねん)すんまへん。京阪電鉄と京都電燈と結う会社が、共同出資で作った愛宕山鉄道と結う会社が(設立は昭和二年)、嵐山から清滝までの平坦線と清滝から愛宕山(現在の水尾分れ近く)までの鋼索線(ケーブルの事)を設置、又それに伴い愛宕山の駅舎近くには愛宕ホテルやキャンプ場、飛行塔のある遊園地などを作り、京都人の愛宕山への関心を呼んだそうです。 丁度現在も残る東の比叡山のケーブル、遊園地はもうないですが、想像していただいたらイメージが涌くのでは。嵐山から清滝までの平坦線は、終日朝の6時30分から22時まで20分間隔で、ケーブルのほうは朝の7時から19時まで15〜30分間隔で、運行されていたといいますから、結構な利用客があったのでは。それに現在も盛んな千日参りの時は臨時便が出て賑わったそうです。又ご存知の竜ヶ岳に向かう時に目にするスキー場もあったわけで、その賑わいは想像が出来るわけですが、第二次の大戦が愛宕山鉄道の運命を変えてしまうわけです。 昭和18年戦時下体制のさなか、不要不急路線の指定がなされたわけで、昭和19年2月ケーブル廃線、その年の12月平坦線廃線となったわけです。もちろん巷で言われる鉄材の供出のために、廃線になったと結うことはあったと思うのですが、いち早くそれを実行に移したのは愛宕鉄道だけだとゆうのです。おかしいのはケーブルの機材などは傘松ケーブル(天橋立鋼索鉄道)に転用されたとゆうことです。おかしな話ですが、あの時代戦時下の混乱の時代の事は、正に冒頭に書いたとうり闇の中です。風花舞う線路跡に、コンクリートから少しばかり顔をだしたもぎとられたような鉄材が、歴史と人間の愚かさを語っています。 山歩き報告がチョット硬いお話になりましたが、清滝は愛宕山鉄道が残っていれば、又今とは違った様子になっていたのではと、地元の人達が今でも機会があればいわれているのもうなずけます。なお清滝トンネルは戦時下、最後のほうは飛行機の軍需工場になっていたと結う話をききましたが、トンネルを歩く時に聞こえるあの車の音はそういえば、車とゆうより飛行機の爆音のような気がするのはオヤジだけでしょうか。ちなみに清滝トンネル、別名幽霊トンネルともよばれているとか、そんなん怖いがなーオヤジは怖がりなんやと結うわけで、今回の講釈はフリー百貨愛宕山鉄道を参考に、又僕の嵯峨のお友達のおじいちゃんの話も参考に。
さて本題の山歩き報告、ヨレヨレオヤジハ先ず一号トンネルは問題なく通過、(一応下から一号順次 上に六号まで有ります)二号も同じく、三号トンネルが20Mほど入ったところで上からの陥没により通過できません。向かって右斜面に迂回のテープ有り比較的簡単に迂回できました。四号は問題なく、五号は三号と同じく入ってすぐにアウトです。この迂回も右斜面からですが、こちらはなかなか厳しく斜面の途中にトラロープが、どなたか知りませんがいつも感謝してます。
まもなく巻き道に、この五号がどうも一番長いトンネルみたいです。又軌道跡に戻り六号トンネルに、六号はトンネルと結うより橋げたの下とゆう感じで過ぎると、はるか上のほうに駅舎跡がみえるような見えないような(どっちやね)、ゲーまだあんなにあるのやヨレヨレや。それに足元には雪が結構あるやないの、もういややで雪は、春と違うのかいな、ブツブツ独り言、やっと着きました駅舎跡。着いてみると雪にたたずむ廃墟も雰囲気があって中々、グーです。
正面に回ると佐伯祐三描くところの世界など感じたりして、それにしても予想以上の雪やなー、もう雪はいややとぶつぶついいながら、ホテル跡やら炊事場跡など写真に。時計を見ると、エーもう11時半やで9時頃から登り出したんやで、なんぼ写真撮っていたにしても、やはりもうオヤジは山歩きは無理な体になったのです。グスン、なんとか、ご存知水尾の分れと花売り場の途中によろけ出てきたオヤジは、神社目指してもうひとふんばり、でも結局テカテカに凍てている参道に又アイゼンはつけました。
もう春と違うのかい(まだゆうとるで)12時過ぎて神社に到着、休憩場でおにぎりを。前回の蓬莱ではひどい状態でおにぎり食べていたなー。そういえばまだ左の小指薬指中指の先が痺れているなー、もう治らへんのかなー、やっぱり山は愛宕山とポンポン山しか行かんとこ、と思いながら月輪寺コースに。 ストック二本点きながらヨタヨタ下りるオヤジを、すんません、お先にと声を掛けてオッチャンやオバチャンが追い抜いていかはります、すんません迷惑掛けてます。一瞬初めての梨木コース挑戦と思いましたが、雪は新雪のまま踏み跡もないので、そのままヨタヨタとお寺に。お寺でアイゼン外して安売りで買ったバナナのチップを食べて、又肥えるなーと自己嫌悪。 何とかヨタヨタと下りて来ました。こらもう愛宕山も無理かなーと思いつつトンネルを歩いていると、飛行機の爆音にも似た音が近ずいて来ます。一瞬勤労動員で働くモンペ姿の少女の姿が脳裏に浮かんだ、といえば出来すぎでしょうか。トンネルを出ると又風花が舞っていました。 【 記: 洛西オヤジ 】 ![]() ![]() ![]() ![]()
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