2009年12月31日(木) 小てつ
「まだまだ若いんやから、がんばってくださ〜ぃ。」(最後のほうは英語調)
小父さんの号令により「ボッカ隊」の出発である。
去年、ひとつボッカでめげそうになっていた小てつなのに、三分の一の距離
のコースということもあり、志願して二つボッカに挑戦してみたのである。
いつもの台石で背負子にくくり、よいしょと腰をあげようとするが、あがら
ない。もういっぺん気合を入れ直さないと立ち上がれない。
それでまた感じるのは、担いで立ってしまえばなんてことはないのだ。その
まま動かずジッとしているなら、いくらでもしていられそうだ。ところが一
歩踏み出せば、途端にずっしりくる。これが不思議なことに腰ではなく、「太
ももの外側」にくるのだ。
昔バイクに乗ってた頃に、何かで読んだことがある。
「人間の骨や関節は、支えているだけなら1トンでも支えていられる云々。」
だから女性でも大型のハーレーなんかに乗れるんだけど、バランスのとり方
に慣れていない人は、少し傾いただけで支えきれずに「立ちゴケ」をしてし
まったりする。
要はバランスなのだ。でも歩くということは、ある意味バランスを崩すこと
の連続なので、シンドイ訳だ。山道は特に変化があり、当たり前にシンドイ。
そんなとき思い出すのは、やはり「二宮金次郎」であって、端正な顔の少年
が焚き木を担ぎ、歩きながら本を読んでいる。
(う そ や ・ ・ ・ 。)
小てつの心のつぶやきである。絶対にウソに思えてくる。校庭に置かれた石
像の面影が、「鉄腕アトム」が背負子を担いでアスファルト道をスタスタ歩い
ているように思える。今の小てつを石像にしたら、どんなになるだろう・・・。
しかし、今日のコースは紛れもない、生きるために重い荷を担ぎ歩かれた道
なのだ。
普段ならなんてことはない丸木橋や川横の細い道など、本能がそうさせるの
か恐怖を感じる。よく擬似体験で、重りのついた装具をつけて障害のある方
の苦労を知るようなことをやっているが、正にそんな感じで、倒木がうらめ
しい。
「ここらで半分くらいやろう、一服するか?」
「いっぺん降ろしたら、もう持ち上がらん気がする・・・。」
「ほな、ボチボチっと歩きますか。」
という惨状。
しかし、小父さんは70歳になるまで、この二つボッカを3時間コースでや
っていたんだから、驚きもあきれも通り越す。おまけに3時間コースは登り
も降りも今日のコースの比じゃない。
「もう途中でぶちまけたろうか、と思うときもありましたで。」
と小父さんがいうのも納得する。
やってみればわかります。良い事か悪い事かなんてことじゃなく、
いろんなことがわかります。 という話
【 記: 小てつ 】
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そんなとき思い出すのは、 やはり「二宮金次郎」
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