小てつのよも山話(NO.71)
「チャレンジャー小てつ」


昔バイクに乗ってた頃に、何かで読んだことがある



2009年12月31日(木)        小てつ








「まだまだ若いんやから、がんばってくださ〜ぃ。」(最後のほうは英語調)

 小父さんの号令により「ボッカ隊」の出発である。
 去年、ひとつボッカでめげそうになっていた小てつなのに、三分の一の距離
 のコースということもあり、志願して二つボッカに挑戦してみたのである。

 いつもの台石で背負子にくくり、よいしょと腰をあげようとするが、あがら
 ない。もういっぺん気合を入れ直さないと立ち上がれない。
 それでまた感じるのは、担いで立ってしまえばなんてことはないのだ。その
 まま動かずジッとしているなら、いくらでもしていられそうだ。ところが一
 歩踏み出せば、途端にずっしりくる。これが不思議なことに腰ではなく、「太
 ももの外側」にくるのだ。

 昔バイクに乗ってた頃に、何かで読んだことがある。
「人間の骨や関節は、支えているだけなら1トンでも支えていられる云々。」
 だから女性でも大型のハーレーなんかに乗れるんだけど、バランスのとり方
 に慣れていない人は、少し傾いただけで支えきれずに「立ちゴケ」をしてし
 まったりする。

 要はバランスなのだ。でも歩くということは、ある意味バランスを崩すこと
 の連続なので、シンドイ訳だ。山道は特に変化があり、当たり前にシンドイ。
 そんなとき思い出すのは、やはり「二宮金次郎」であって、端正な顔の少年
 が焚き木を担ぎ、歩きながら本を読んでいる。
 (う そ や ・ ・ ・ 。)
 小てつの心のつぶやきである。絶対にウソに思えてくる。校庭に置かれた石
 像の面影が、「鉄腕アトム」が背負子を担いでアスファルト道をスタスタ歩い 
 ているように思える。今の小てつを石像にしたら、どんなになるだろう・・・。
 しかし、今日のコースは紛れもない、生きるために重い荷を担ぎ歩かれた道
 なのだ。

 普段ならなんてことはない丸木橋や川横の細い道など、本能がそうさせるの
 か恐怖を感じる。よく擬似体験で、重りのついた装具をつけて障害のある方
 の苦労を知るようなことをやっているが、正にそんな感じで、倒木がうらめ 
 しい。
 
「ここらで半分くらいやろう、一服するか?」

「いっぺん降ろしたら、もう持ち上がらん気がする・・・。」

「ほな、ボチボチっと歩きますか。」

 という惨状。
 しかし、小父さんは70歳になるまで、この二つボッカを3時間コースでや
 っていたんだから、驚きもあきれも通り越す。おまけに3時間コースは登り
 も降りも今日のコースの比じゃない。

「もう途中でぶちまけたろうか、と思うときもありましたで。」

 と小父さんがいうのも納得する。


 やってみればわかります。良い事か悪い事かなんてことじゃなく、
 いろんなことがわかります。              という話



                        【 記: 小てつ 】

そんなとき思い出すのは、
やはり「二宮金次郎」