桑谷山


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煙たなびく久多の集落



2001 (13) 11.23 (金) 晴れ  哲、道





写真 行き:北大路バス停(広河原行き)−能見口バス停
写真 帰り:八桝橋バス停−北大路バス停



コース:
能見口バス停〜久多峠〜桑谷山・東峰〜桑谷山・西峰(三角点)〜大悲山口分岐〜桑谷林道〜桑谷出合〜大悲山口バス停〜八桝橋バス停




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 3年振りの桑谷山は、名前も地味だけど?マイナーな山の一つ。別名『経塚山』と呼ばれ、経典を埋めたと伝えられている。また、東峰と西峰とからなる双耳峰も北山では珍しい。

 北大路バス停からの「広河原行」が超満員で、山に登る前から少々お疲れ気味。能見口バス停で下車。平成2年廃校となった堰源(えんげん)小学校を右に見て、JA売店横の車道に入る。右手には観光トイレがあり、能見川に沿って歩く。道端に珍しく大きな粒のフユイチゴがあるので食べてみると、これが甘酸っぱく美味しい。左に見えてくる京都府が分譲したビレッジ数件には、衛星放送のアンテナが付いている家もある。

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大きな粒のフユイチゴ アスナロの木々の間を縫う

 すれ違いに歩き方が、ちょっと"やんちゃっぽい"おじさんが、「桑谷山に 行んか クマに 気をつけな」とニヤニヤ言っている。真顔で「クマ いるんですか?」と問いただすと、横のおばさんが「じゃらじゃら 鈴を付けたはるし 喋りもって行かはったら ええわ」と言いながら行ってしまう。クマかぁ・・・ おばさんの言うことは確かだけど、どうも、あのおじさんの、"やんちゃっぽい"歩き方が気にかかるのよね。言っていること全てが冗談っぽくうつるんだから。

 歩くのも気持ち良い小春日和。山の中だけあって朝夕の冷え込みが強いのか、周りの草や木々が霜でビッショリ。農家のおばさん2人が葦をせっせと刈っている。この辺りには、まだ所々かやぶき屋根の家がある。

 人家が途切れると、久多峠まで長い林道歩きが続く。フカンド谷分岐を過ぎる頃から、林道は高度を上げ木々の間からフカンド山が望める。久多峠に着くと数台車を止め、関西電力のおじさんが作業をしている。峠からは武奈ケ岳を背景に煙たなびく久多の集落が望める。林道と別れ、右手送電線巡視路から登り始める。

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鉄塔で作業をするおじさん シャクナゲとイワカガミがある

 アスナロの木々の間を縫うように急坂を進む。歩きながら哲郎が「アスナロ以外 何もない ところやな」と言っているが、ほんとアスナロばっかりだ。一つ目の鉄塔に着くと、関電のおじさんが立っている。「上から 落ちてきたら 危ないし こっち通って下さい」と誘導される。高い鉄塔を見上げれば命綱を付け2人で作業をしている。私のように丸木橋で「落ちる落ちる」と言っているのとレベルが違う。「あれっ!通れへん 道に人が寝ているでぇ」 上半身を起こしたので尋ねてみる。「あの〜 ここで 泊まったはるんですか?」 驚いたように「泊まっては いないけど 朝、早くから仕事に来ていたしね」ああ〜なんと間抜けな質問だこと。誰も鉄塔横で泊まるはずがない。だって林道まで車で来られるというのにね。

 二つ目の鉄塔でおにぎりを食べる。ここからの見晴らしは素晴らしく比良山系、朽木方面の山々が見渡せる。鯖街道で有名な朽木にはまだ行ったことがないけれど、いずれ行ってみたい。

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桑谷山(西峰)へ

 シャクナゲが点在しイワカガミのある道を進むと、やがて東峰に着く。展望は大悲山と峰床山が望め、桑谷山(西峰)と寺谷峠の分岐を標識どおり桑谷山(西峰)にとる。右の伐採された斜面の植林を荒らされないよう、獣よけネットが続いている。そのまま沿って行くと、小広場の三等三角点(西峰)のある山頂に着く。樹木が邪魔をして展望はきかない。

 帰路は地図に載っている三角点近くからの、尾根道に降りることにする。不明瞭な道を気の向くまま、これが尾根道かなと降りるが違うらしい。もう一度三角点に戻り、進むがこれも道らしくない。何度も三角点を行ったり来たりしているのに、誰にも会わない。きっと桑谷山は2人きり。ああー 疲れた! もう尾根道はあきらめた〜と。

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獣よけネットが続く 三等三角点のある西峰
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大悲山口へ

 来た道を東峰の手前の大悲山口と書かれた分岐まで戻る。大悲山口への道はかなりの急坂を下る。登りも大変だが下りも足元が大変だ。要所要所には関電の階段がある。下からの瀬音が聞こえ始め、最後の急傾斜を降りきると登山口に着く。渓流で顔を洗い一息入れ、桑谷林道を下って行くと『桑谷出合』に着く。左折すれば峰定寺だが、右折して大悲山口バス停へ向かう。バス待ちが40分余り。待っているのも寒いので、ぶらぶらと歩き始める。

 ガイドに『桑谷山は、大阪万国博(昭和45年)を契機に、福井県美浜原子力発電所からの送電が始まり、巡視路もでき展望も開けたため登山者も入れるようになった』と書いてある。まさにその通り。関電の鉄塔と、関電の階段と、きわめつけは関電のおじさんがいたんだもん。

 辿り着いた八桝橋バス停前の民家には、冬に備えてか軒に薪が山積みされている。じっとしているのも冷えてきた。バスの到着を知らせるメロディーが聞こえてくる。





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彼らは家を建てて住み、
ぶどう畑を作って、その実を食べる。

イザヤ書 【65−21】
桑谷林道を歩く


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